2008.11.03
さまざまな「社会設計」の自治体が競争するメタ社会
アナルコ・キャピタリズム研究(仮)ブログ - 移民受け入れの是非3
http://anacap.jugem.jp/?eid=64

<メタ的な社会である無政府資本主義社会では、移民を認めないコミュニティなり政治体ができることは何ら問題ないし、当然妥当と考えられるものであるのだ>。

<様々なコミュニティや保護機関が一つの地域に混在、またはそれらが地理的に分離して存在するというのが私の無政府資本主義社会のイメージである。だから移民を認めないエージェンシーなり共同体が存在していいし、おそらく必ず出現するから、I君のようなナショナリストはそこで生きていけばいいだろう。(ただ近くではチャイニーズもタイもケバブも高くてまずいのしか食べられなくなるよ?)>

これは、私が持っている理想的な社会のイメージにとても近い。

まずベースに、リバタリアニズム・無政府資本主義的な「ミニマム社会」が、とても薄いレイヤー(層)としてある。これがいわゆる国のレベル。その上に、さまざまな「社会設計」をもった多くの自治体があり、それぞれの自治体は法や規制、課税体系などを自由に作ることができるようにする。税源も大部分を自治体に与える。

例えば、自治体は以下のような法・規制、課税体系などを自由に作れる。

・コンビニなどの店舗の営業時間に制限を課す
・公共空間は全面禁煙、タバコには高い税金を課す
・業務用以外の自動車を禁止、あるいは自動車の所有に高い税金を課す
・建築物や屋外広告、景観、音などの環境にきびしい制限を課す
・法人税や所得税を一律10%にする
・法人税や所得税を50%にするかわりに、ベーシックインカムや高福祉を保障
・あらゆる雇用規制をなくす
・ITやクリエイティブ産業などを戦略的に優遇

このような「社会設計」を、各自治体が自由におこなえるようにする。そして住民や企業は、自分の望む社会にもっとも近い自治体を選ぶのだ。気に入らなくなったら、いつでも別の自治体に引越しできる。こうすれば、各自治体のあいだで、民間の会社と同じような「競争」が起きるだろう。

行政というのは、ビジネスでいう「オペレーション」だ。日々の仕事、オペレーションは大事だが、それをどんなにマジメにこなしていても、そもそもビジネスの設計(ビジネスモデル)が間違っている場合、そのビジネスはうまくいかない。同じように行政も、どんなに職員のモラルが高く、マジメに働いていても、そもそも法や規制という「社会設計」が間違っている場合、その社会は成功しない。

いまの日本は中央集権的な社会なので、法や規制という「設計」をひとつしか選べない。能力主義か平等主義か、自由主義か社会主義かといったものは「社会設計」の問題であり、どんな社会が理想かという考え方は人それぞれだから、全員の意見がひとつにまとまることはありえない。だとすれば、「社会観」が近い人どうしで自治体をつくり、実際にそれでうまくいくのかどうか「社会実験」をすればいいと思う。

こうすれば、例えばいまの年金制度のように制度崩壊が起きた場合、その自治体から若い人がどんどん流出するので、年金の財源がなくなり、文字通り制度が崩壊する。こうして、年金制度の「設計の誤り」がはっきりする。いまの日本はこれがないので、「設計の誤り」がいつまで経っても修正されず、責任も追及されず、間違った制度設計がずるずると生き延びる。そのコストは、若年労働者が永遠に搾取されつづけることで払わされるのだ。もし、そうした「設計の誤り」が自治体の単位で独立していれば、間違った設計はその自治体もろとも淘汰される。会社の倒産と同じで、そこの住民は他の自治体に移ることができるので、間違った設計に一生束縛されずに済む。

税金が安いかわりに公的機能がミニマムな自治体と、税金が高いかわりに公的機能が充実した自治体では、どちらが人気があるだろうか。おそらく、能力が高い人・企業は前者を選び、能力が低い人・企業は後者を選ぶだろう。すると前者の自治体は民間のサービスが充実するうえに、けっきょく財源も豊富になって発展し、後者の自治体は民間のサービスレベルも低く、財源も少なくなって、衰退するのではないか(あるいは私の考えが誤っていれば、その反対になるだろう)。こうして、さまざまな「社会設計」が競争によって試され、ダーウィン的な淘汰がおこる。長い歴史を経ずとも、実地で「社会実験」ができるのだ。

社会は人間がつくるものだが、いったん社会が「環境化」すれば、社会が人間をつくる。いまの日本は、能力が高い人や努力する人が報われず、能力の低い人や努力しない人が甘えられるような、悪平等的な「社会設計」になっていると思う。これではどちらの人も、自分の能力を最大限に発揮しようという意欲が出てこず、「もっとがんばろう」という気にならない。人間の意欲をかきたてないような社会設計は、間違っていると思う。

どんな「社会設計」が良い設計なのか、いくら議論しても永遠に解決しないだろう。だから、さまざまな「社会設計」を実地で試して、どこに人や企業が集まるのか、どれがうまくいくのかを実際に確かめられるようにすればいい。正しい設計の社会は生き残り、間違った設計の社会は滅びることで、「社会設計」のベストプラクティス、ノウハウが蓄積されていく。そういうさまざまな社会が競争しながら共存できる「メタ社会」が、私にとって理想的な社会だ。


関連エントリ:
フェアな競争こそが、価値と生産性を引き出す
http://mojix.org/2008/10/18/fair_competition
大前研一による「道州制のビジネスモデル」
http://mojix.org/2008/06/23/ohmae_doushuusei