2009.12.13
「思考の一貫性」に対する信頼
qune - 「○○さんだったらどう考えるだろう」と思えることが言論のミソなんでねいかと
http://qune.cside.com/archives/001498.html

<finalventさんのネットにおける存在意義は,決して小さくないと思っています。それは,氏の主張が正論だからとか,予想の類がよく当たるからとか,あるふぁなんちゃらだからとかいった理由からではありません。むしろ,氏の考え方を読ませてもらうたびに,自分と異なる考え方や価値観が流入するのを感じるくらいだし,しばしば衝突や葛藤も生じています>。

<それにもかかわらず,あたしが氏の発言を読み続けるのは,物事を考える上で,氏の発言がひとつの極を形成しているからです。もちろん,これはあくまでもあたしの個人的な話なわけだけれども,ネット上でその手の発言している人も,おそらくあたしと同じように葛藤を抱いたり賞賛を送ったりしているはずです>。

<ネットにおけるそれに限らず,言論または言論者の存在意義つのは,発言者における責任の所在云々ではなく,こうした(知性の)極を読者個々人の内部に形成することができるか,といったところにあるんじゃないかと思っていたりします,最近>。

<知性の極というのは,具体的に言えば「○○さんだったらこの件についてどう考えるだろう」というときの「○○さん」と言ってもいい。社説を読むたびに,finalvent さんだったらどう考えるだろう,と思う人は少なからずいるはずです。そして,そうした自分と異質な意見やその可能性を,自分の内に抱え込むことは,より深く問題の対象に迫る契機になるはずだし,そうした場面でうまく折り合いをつける経験を踏むことが,自らの「言論の質」に反映されるはずだと思うわけ>。

これはすごく同感。

ブログ主のAIANさんは、ここでfinalventさん(「finalventの日記」、「極東ブログ」)を例に出しているが、私の場合だと、例えば池田信夫氏(「池田信夫 blog」)などはまさに「知性の極」にあたる。

私に対する批判的なコメントで、私のことを「池田信夫信者だ」と書いているのを何度か見たことがあるが、私は池田信夫信者ではない。「信者」というのは、その「教祖」の言葉をすべて信じて、それが間違っているとは絶対に考えないような態度のことだろう。私は池田信夫氏の考え方に賛同することが多く、その意味で池田氏を論者として信頼しているが、その言い分に対してつねに賛同するわけではもちろんない。また、論敵に対する批判の仕方なども含めて、池田氏の書く一字一句すべてに賛同しているわけでもない。そんなことは当然だろう。

池田氏に限らず、私にとってある論者が信頼するに足るかどうかは、「思考の一貫性」を感じさせるかどうかが大きい。この「思考の一貫性」は、特定の専門分野に対するその人の専門性の高さ、その「エキスパート性に対する信頼」とは異なる。むしろ、いくつかの分野にまたがったその人の思考・判断をトータルに見たときに、何か一貫したものを感じさせる場合に湧いてくる信頼だ。

以前「池田信夫こそ真のアルファブロガー」というエントリで、私はこのように書いた。

<「リスクテイカー」で「ジェネラリスト」というのは、日本では希少な人種だ。日本では、優秀な人はたいてい「スペシャリスト」で、あえて自分の専門分野から出るというリスクを犯さない。それは単に専門外のことに興味がないという場合もあるが、ほんとうは「オピニオン」があっても、間違いを恐れたり、意見対立を避けて、黙っているということも多い。まさに「空気を読む」わけだ>。

<池田信夫氏の強みは、いい意味で「大人げない」ところだと思う。つねにリスクを取って、自分のポジションを明確にしており、「しがらみ」みたいなものを感じさせない。「ウソ」がないのだ。これこそが「倫理」なのであって、私はこれゆえに、池田氏こそ真のアルファブロガーだと思うのである>。

つまり、ここでいう「思考の一貫性」とは、幅広い分野に興味をもつ「ジェネラリスト」的なマインド、そして自分の専門分野でなくてもオピニオンを発していく「リスクテイカー」的なスタンスと、切っても切れない関係にある。

ブログというメディアでは、自分の専門分野について専門的な内容を書くこともできるが、専門でない分野について自由なオピニオンを書くこともできる。いわば、前者は「スペシャリスト的」なブログであり、後者は「ジェネラリスト的」なブログだ。私はスペシャリスト的なブログももちろん好きで、たくさん読んでいるし、一般的にも価値が高いのは疑いないだろう。しかし、ブログというメディアの本質的な面白さを体現しているのは、ジェネラリスト的なブログのほうだと考えている。

私にとって、ブログは「個人新聞」のようなものだ。その人がどういうテーマに対して、どのように考えるのか、それがなるべく「広い」テーマについて書かれていたほうが、私にとっては面白い。「広い」テーマについて書かれていて、かつそこに「思考の一貫性」や、その人のセンス・個性みたいなものを感じさせるとき、私は「信頼」を感じる。

「主観恐怖症」の日本では、マスメディアは<客観性を口実にどっちつかずの態度を取る>、<できるだけ「オピニオン(意見)」ではなく「ファクト(事実)」に絞ろうという傾向>があるので、せめて「個人新聞」たるブログは、自由闊達なオピニオンの場であってほしい。


関連エントリ:
「主観恐怖症」の日本
http://mojix.org/2009/10/11/shukan_kyoufu
「個人新聞」としてのブログ
http://mojix.org/2009/05/10/personal_newspaper
池田信夫こそ真のアルファブロガー
http://mojix.org/2008/12/23/ikedanobuo