2010.03.05
北海道独立論その2: 1999年にイギリスから「独立」したスコットランドに学ぶ
日経ビジネスオンライン - 独立!北海道 “英国諸島の北辺”スコットランドに続け 英国中央政府から解き放たれて独立10周年(2010年3月2日)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100226/212999/

先日「北海道独立論」で紹介した「独立論者は叫ぶ「くたばれ!東京神話」 急先鋒、日本最北の公立大、名寄市立大学の白井暢明教授」につづく、画期的なシリーズ記事「独立!北海道」の第2弾。

「北海道独立」を考えるにあたっては、北海道と気候や立場が似ていて、独立で先行しているイギリスのスコットランドが参考になる、という話。今回もすごくおもしろい。

冒頭には、北海道独立が仮に2010年に成功したとして、2025年からそれを振りかえる、という「仮想」の話がある。以前「可能な社会を想像する」で紹介したChikirinさんの「2024年 F本氏の独白」を思わせる内容で、著者の池田信太朗記者が「未来の北海道」を想像したものだ。

驚くべきことに、この「未来の北海道」を想像した文章の「日本」を「英国」に、「北海道」を「スコットランド」に、「民主党」を「労働党」に、「鳩山由紀夫」を「トニー・ブレア」に、というふうに置き換えていくと、イギリスで実際に起きた「史実」になるというのだ。

ウィキペディアの「スコットランド」ページを見てみよう。

<スコットランド(英語: Scotland)は北西ヨーロッパに位置するグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)を構成する「イギリスのカントリー」(country)のひとつである>。

<スコットランドの法制度、教育制度および裁判制度はイングランドおよびウェールズならびに北アイルランドとは独立したものとなっており、そのために、国際私法上の1法域を構成する。スコットランド法、教育制度およびスコットランド教会は連合王国成立後のスコットランドの文化および独自性の3つの基礎であった。しかしながらスコットランドは独立国家ではなく、国際連合および欧州連合の直接の構成国ではない>。

<1707年の合同法でスコットランド議会は閉鎖され事実上廃止となったが、1998年スコットランド法の制定により1999年に再開された。スコットランド議会は一定範囲で所得税率を変更することができる他、スコットランド法でウェストミンスター議会留保事項と規定されている事柄以外について、独自の法令を成立させることができる。これまでに、福祉政策や狐狩り規制、公共施設内での禁煙などに関して、スコットランド独自の法令が施行されている。ウェストミンスター議会留保事項には、外交、軍事、財政・金融、麻薬取締り、移民の規制など、全国的に取り組む必要がある事柄が規定されている>。

スコットランドの歴史」ページ内「「イギリス」からの離陸」にはこうある。

<マーガレット・サッチャーの保守党政権が1979年誕生して「小さな政府」政策が、公約通り地方分権政策をもたらした。スコットランド議会設立の動きが表面化し、1979年国民投票が行われた。このときは有効票数が集まらず否決された>。

<1997年に首相の座についたトニー・ブレアはスコットランド出身であった。このブレア政権のもと同年、再度の国民投票が行われ、スコットランド議会を創設することが可決された。スコットランドや北アイルランドで議会がつくられることが決まると、それまでの「イギリス=イングランド」観は再検討を迫られ、イングランド人の間でも動揺がひろがった>。

<1997年、議会開会に先立ってスクーンの石がエディンバラに返還された。1999年の総選挙で選ばれた129名の議員は「ジャコバイトの象徴である」白い薔薇を胸につけ、ホリールードハウス宮殿の隣につくられた仮議事堂に会し、以下の宣言をもって開会した。
「1707年3月25日以来、一時的に中断していたスコットランド議会を、ここに再開する」>

このように、スコットランドは独立国家ではないにせよ、税率や法をかなりの程度まで独自に決められる権限を持った「イギリスのカントリー」なのであり、内政については国に近い権限を持っている。これがたった10年ほど前の1999年に成立したわけだ。

サッチャーの「小さな政府」が地方分権の変革を準備し、ブレアがそれを決定づけて、スコットランドの「独立」が成功した、という流れも、どことなく日本と重なる。民主党の政権奪取という大変革は、明らかに小泉・竹中の「小さな政府」路線によって準備されたもので、それが長年の自民党体制をブチ壊した。

日本の場合、小泉と鳩山の違いは、サッチャーとブレアの違いよりも大きいと思うが、「自民党をブッ壊す」という「変革」が受け継がれた面はある。経済政策はほとんど真逆だが、それに比べれば、地方分権・地域主権を推進するという点では大きく違わないようにも見えるので、「北海道独立」はありえないこともない、という気がしてくる。ブレアがスコットランド出身で、鳩山も北海道が地盤だ、というのも不思議な符合だろう。

冒頭の記事では、2003年に北海道がスコットランドに視察団を派遣したことが紹介されている。北海道自身もスコットランドには強い関心を寄せているわけだ。その調査研究は次の資料にまとめられている。

北海道 - スコットランドの分権改革に関する調査研究報告書(平成15年3月)(PDF)
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/NR/rdonlyres/1D3..

全部で71ページの充実した資料で、スコットランドで起きた「分権改革」がどのようなものなのか、詳しく解説されている。まだざっと眺めた程度だが、まさに「生きた事例」という感じで、とても面白い。ちなみに、「はじめに」を書いている代表者の柵木勝彦(ませぎ・かつひこ)氏の肩書きは、「北海道総合企画部政策室構造改革推進課」となっている。「構造改革推進課」(!)なんていう課があるとは。

記事では、この資料の要点解説に加えて、北海道大学公共政策大学院・山崎幹根教授へのインタビューなどもある。山崎教授は、スコットランド独立は「民族運動」という側面に加えて、「民主主義の赤字」を解消するという側面があった、と語る。

<民意に応えた政策を実行しようとすれば、行政区分のサイズは小さければ小さいほどズレがなくなる。逆に大きくなればなるほど、任意の地域における「民主主義の赤字(民意と政策の乖離)」は拡大する。スコットランドの“独立”を「民主主義の赤字の解消」と考えるのであれば、日本が学ぶべき点は少なくない>。

「民主主義の赤字」とは「民意と政策のズレ」のことであり、これは行政区分の単位が大きければ大きいほど拡大する。その意味では、分権が進んでおらず、中央集権体制である日本は、この「民主主義の赤字」という点では、世界で最悪かもしれないのだ。

<1億2000万人の人口と世界第2位の経済規模を持ちながら、道州制も連邦制も取らずに明治維新以来の中央集権制度を維持するこの国は、行政・立法単位として見ると、ひょっとしたら「世界最大の国」かもしれない>。

記事の最後のほうでは、元北海道ニセコ町長で、民主党政権では地方行政を担当する衆院議員、逢坂誠二総理補佐官のコメントが紹介されている。逢坂氏は日経ビジネスの取材に対して、次のように答えたという。

「すでに、地方と国とが話し合いを持てる『場』を作った。今後、交付金の一括化はやる。自治体にとっては、『自分たちのことは自分たちで考えろ』という一種のショック療法になる」

さらに、逢坂氏は2/24に、Twitterで次のようにつぶやいた。

今国会に提出を予定している地域主権関連法案に関し、なかなか条文が決まらない部分があったが、本日夜、何とか先が見えてきた。多くの職員の皆さん、そして官邸のスタッフの支援によってゴールが見えつつある。感謝、感謝。国民のための仕事が進みそうだ

総選挙での「当選確実なう」で話題をさらい、「Twitter議員」の代表格でもある逢坂氏が、元北海道ニセコ町長であり、民主党政権で地域主権を先導する役割を果たしているというのも、何か「北海道独立」への追い風を感じさせる。

今回の記事も素晴らしかった「独立!北海道」シリーズ。これを書いている池田信太朗記者の力量は相当なものだ。これほど前向きでテーマ設定力があり、ワクワクさせられる記事というのも、マスコミではあまり見かけないと思う。次回も楽しみだ。


関連エントリ:
北海道独立論
http://mojix.org/2010/02/24/hokkaido_dokuritsu