2010.02.24
北海道独立論
日経ビジネスオンライン - 独立論者は叫ぶ「くたばれ!東京神話」 急先鋒、日本最北の公立大、名寄市立大学の白井暢明教授
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100222/212948/

<猛烈な人口減少と高齢化、流通業の寡占とデフレーションの進行、脆弱なモノ作り産業基盤――。日本が抱える「課題」を先取りするかのように、北海道経済は逆風の中にある。道開発予算は往年の半分以下まで減らされ、公共事業は激減。国の財政が悪化する中で、もはや切り捨てられようとしているようにも見える。
 もしそんな地域が「独立」したら――。
 本企画では、北海道を独立した「国」と見立ててみたい。一見、荒唐無稽なその夢想から、北海道という地域に埋れた「潜在力」と、それを生かす可能性が見えてくる。
 この企画のための取材として最初に訪れたのは、日本最北に位置する公立大学である名寄市立大学。米週刊誌「ニューズウィーク」も着目した北海道独立論の第一人者がそこにいた>。

このような書き出しに続いて、その北海道独立論の第一人者・白井暢明教授がどのように「北海道独立論」にたどり着いたかを追う格好で、氏の北海道独立論の概要が紹介されている。

<92年、白井はかねての持論であった北海道独立論を1冊の本にして上梓した。「東京」という「中央」に富が偏在するこの国の現状の根底に、「東京神話」とも言うべき思考様式があることを看破し、それによって覆い隠されていた北海道民としてのアイデンティティーを取り戻すべきだと説いた>。

<白井は言う。「“お上”から仕事が降ってくる。それを待っているのが一番いい。そうやって北海道民は、迫っている危機から目を逸らしてきました。しかし公共事業はどんどん削られる。早く目を覚まさないと、取り返しのつかないことになるという思いがありました」>

記事中では、松下幸之助や梅棹忠夫なども「北海道独立論」的な考えを持っていたことが紹介されている。

この記事は「独立!北海道」というシリーズ記事の第1弾で、今後もこのテーマの記事が載っていくようだ。これは楽しみだ。

「北海道独立論」というアイディアは、この記事にもあるように白井暢明教授だけのものではなく、昔からあるものだ。私は特に詳しいわけではないのだが、以前からいくらか興味をもっていた。私はもともと「小さな政府」や「リバタリアニズム」に共感していて、「個人の自由・独立性を最大限に高めようとすれば、政府は必然的に小さくなる」と考えているので、「国はできるだけ小さいほうがいい」と考える「小国論者」(こういう言葉があるかどうか知らないが)でもある。シンガポールや香港、スイスなどが良い例だが、小国であるほど自国の生き残り戦略を真剣に考えるので、国の政策が良い方向に行きやすい傾向があると思う。小国がヘボい政策をやれば、国が一瞬で滅びかねないからだ。

道州制などの地方分権も、私はその「小国論」の方向で考えていて、分権の単位が文字通りの「独立国」にはならないとしても、できるだけそれに近い、独立の権限を持つことが望ましいと考えている。中央から地方にカネだけ渡しても「分権」にはならない。

いまの日本の中で、国として独立できる可能性がある地域としては、北海道、九州、沖縄あたりが有望だろうと私は考えている。(1)島として独立している、(2)アジア内での地理的な位置を戦略的に活用しやすい、(3)地域の知名度やブランドイメージが比較的高い、といった点が有利だと考えている。

なかでも北海道は、地理的な位置やブランドイメージに加えて、その広大さや気候の独自性、食べ物のおいしさ、観光資源の豊富さなど、さまざな強みを持っており、最有望ではないかと考えている(私自身が北海道出身なので、ちょっと「ひいき」もあると思うが)。以前、大前研一が九州を例に「道州制のビジネスモデル」を解説した記事を紹介したが、そこで言われているのとほぼ同じことが、北海道にも言える。

日本の最大の「精神的課題」は、地方にも国民にも染みついている「お上」頼みの意識、蔵研也氏のいう「クニガキチント」を脱却することだと私は考えている。ひとことでいえば「独立」「自助」の精神だ。日本政府の「パターナリズム」は、政府が国民を甘やかし、国民も政府に甘えるという相互依存関係の上に成り立っている。国民が「親離れ」し、政府が「子離れ」して、この関係から卒業しなければ、日本はいつまで経っても次の段階に進めない。

「北海道独立論」は、まさにこの「独立」「自助」の方向に歩き出すための、思考の一歩である。北海道だけでなくすべての地方が、「独立」を考えてみる価値があるだろう。もし、国から一銭ももらえなくなるかわりに、制度を自由に決められるようになれば、自分たちの「国」をどのように「経営」できるだろうか。いわば、「東京の下請け」のような身分から脱出して、東京と同じ土俵で勝負するようなものだろう。

例えば規制緩和や減税を打ち出すだけで、東京はもちろん日本じゅうの企業や個人が、大量にその「国」に移動してくるはずだ。特にいまの鳩山政権の政策はひどいので、それを「負かす」のはカンタンだと思う。それくらい、いまの日本政治は国の競争力を奪う愚策を繰り返しており、国民はそのツケを払わされている。

そうした制度上の工夫だけでなく、その地理的な位置や特色、文化など、さまざまな「強み」を生かした「経営」をおこなうことで、いくらでも東京との差別化ができると思う。

「独立」すれば、「安定」はなくなるかわりに、「自由」が得られる。これは地方でも、個人でも同じだ。「自由」にはもちろんリスクもともなうが、「安定」だが「不自由」な境遇よりも高いパフォーマンスを出せるのが一般的だろう。国の経済力は結局のところ、個々の成員の生産性の総和で決まるので、国を分割したほうが個々の成員のやる気や自由度が上がり、生産性が高まるならば、分割したほうが「良い設計」となる。

北海道や、あるいは別の地域が日本から独立すれば、それは日本への刺激にもなる。人材や企業を呼ぶための制度的な競争が起きるので、ヘボい政治をやっていられなくなる。つまり、現状は政府が1つしかない「独占」状態だが、政府が2つになれば「競争」が起きるわけだ。この競争によって、愚策のツケを国民に押しつける政府は支持されなくなり、人や企業が流出する。よって、政府にはマトモな政治をやろうというインセンティブが生じるのだ。現状の日本では、どんなにひどい政治をやっても国民がそれほど流出しない(言葉や文化のカベを超えて海外流出する敷居が高いので)。「独占政府」はこの状況を利用して、国民に「ひどい政治」を「高値で売りつけている」のだ。

「北海道独立論」は、このごろ注目が増しているベーシックインカムの議論と同様、すぐに実現可能なものではないとしても、その「可能な社会」を考えてみることで、現状の「問題の構造」を浮かび上がらせる効果がある。


関連エントリ:
田村耕太郎参議院議員「日本を30のシンガポールに分ける」
http://mojix.org/2009/10/01/30_singapore_in_japan
北海道はハワイよりも北欧を目指せ
http://mojix.org/2009/02/06/hokkaidou_hawaii_hokuou
さまざまな「社会設計」の自治体が競争するメタ社会
http://mojix.org/2008/11/03/meta_society
大前研一による「道州制のビジネスモデル」
http://mojix.org/2008/06/23/ohmae_doushuusei