2009.10.01
田村耕太郎参議院議員「日本を30のシンガポールに分ける」
Twitter / 田村耕太郎
http://twitter.com/kotarotamura/status/4456947245

<日本の人口規模なら日本を30のシンガポールに分けて各々国からの財政支援なしでその代わり完全な一国二制度で創意工夫を競ってもらったらシンガに負けない有意義な政策一杯出てきそうです。背水の陣で政策立案・実行しているところにシンガのすごさがありますね>

まったく同感。「日本を30のシンガポールに分ける」という表現は、わかりやすくていい。これこそ「地方分権」の核心だ。

この話は以前、田村氏のブログにも書かれていた。

田村耕太郎参議院議員「地方に課税自主権と自主法制定権まで認め、一国二制度に踏み込むべき」
http://mojix.org/2009/06/05/tamura_niseido

<地方分権は地方の現場ではなく、霞ヶ関改革から始まる。国がやるべきは、外交・防衛・通貨・マクロ経済政策、金融市場育成監督くらいか?!外務省、防衛省、金融庁・財務省の一部以外は機能を大幅に地方に移管してはいかがか?>

<税源委譲から一歩進んで課税自主権と自主法制定権まで認め、一国二制度に踏み込むべき。道州制がなくても、スイスではカントン(県)単位で課税自主権と自主法制定権を認めている。小さい規模でもできるし、幕藩体制の時はやっていた!>

<例えば、高齢化が進む鳥取県で贈与減税などやらせていただければ、世代間資産移転が加速され、消費が活性化し、税収もかえって増える!こういう成功例が地方から出れば、いい政策を全国がコピーして国が変わる!>

カネや税源を委譲するだけでなく、「制度」の決定権も委譲する。ここが大事なのだ。

法人税を何%にするか。消費税を何%にするか。解雇規制をおこなうか。年金制度をどうするか。医療保険をどうするか。こういった「制度」は、いわば「ゲームのルール」である。このルールをどうするかで、人や企業の行動が変わり、ゲームの展開はまったく変わってくる。これをどのようにうまくやるかが「制度設計」であり、いわば「ゲームデザイン」だ。

いまの日本政府は中央集権型で、この「ゲームのルール」を1つに決めなければならない。そこでいったんダメな制度ができてしまうと、それを変えるのは容易でないし、そもそも「ダメな制度」であることを客観的に証明することもむずかしい。

もし「日本を30のシンガポールに分ける」ような地方分権ができて、税率や規制をそれぞれの「国」で自由に決められるようになれば、日本のなかで「国」どうしの競争が起きる。制度設計や運用のうまさによって、「国」のあいだに客観的な差があらわれて、比較できるようになる。企業はビジネスしやすい「国」を、国民も自分が住みたい「国」を、自由に選べるようになる。

いまの日本は、「国」がひとつしかなく、その政府が「強制力」を持つ唯一の存在である。そのために、ダメな規制やダメな運用がいくらでも生きのびてしまい、政府と一部の人間だけがトクをして、その負担が大多数の国民に押しつけられる。いわば日本自体が「ブラック会社」で、国民はそこから逃げられないようなものだ。だから、「ゲームのルール」を変える必要がある。

地方分権によって、日本の中にたくさんの「国」を作り、それぞれが税率や規制を自由に作れるようにする。こうなれば、いまの日本のように、強い規制・高い税金で政府がどんどん肥大化して、そのコストで民間経済はひたすら沈んでいく、といったことは生じにくくなる。そういう「国」からは企業も人もどんどん流出して、すぐにやっていけなくなり、「国」が滅びるからだ。そのように「国」が消滅・生成していくなかで、どのような制度設計がいいのかというノウハウが蓄積されていき、国民も賢くなっていく。

シンガポールのような小国は、資源もほとんどないので、とにかく人や企業を集めて、そこから価値を生み出すしかない。強い規制・高い税金では人も企業も集まらないし、ダメな政治をチンタラやっている余裕もない。小国にはそういう緊張感があり、どうやって先進国や大国と渡り合っていくのか、自国の「生き残り戦略」を必死で考える(田村氏は<背水の陣>と表現している)。そういう緊張感のある小国を日本の中にたくさん作る、というのがこの話だ。

この地方分権のイメージは、以前「さまざまな「社会設計」の自治体が競争するメタ社会」というエントリでも書いたように、私にとって理想的な国のかたちである。私が「小さな政府」や「リバタリアニズム」を支持しているのも、このような考えに基づいている。

ひとりひとりの自由を最大化するには、できるだけ「分権」的な社会設計にする必要がある。社会をどんどん「分権」していき、小さな単位に分けていくと、最終的に「個人」という単位に至る。よって、個人の自由を尊重するような社会は、かならず「分権」的なアーキテクチャになる。その反対に、中央の「大きな政府」がすべてを統制するような社会は、個人の自由を尊重しないものになる。


関連エントリ:
小さな政府、大きな市民社会がつくる「新しい公共」
http://mojix.org/2008/10/27/small_gov_big_civil_society
田村耕太郎参議院議員「地方に課税自主権と自主法制定権まで認め、一国二制度に踏み込むべき」
http://mojix.org/2009/06/05/tamura_niseido
さまざまな「社会設計」の自治体が競争するメタ社会
http://mojix.org/2008/11/03/meta_society