2010.03.06
「会社に人が属する」のではなく、「人に会社が属する」時代
産業の中心が知識や情報のほうにシフトしていくにつれ、会社の規模が大きいことのメリットは薄れていく。

家電やクルマなどを製造するのであれば、大きな資本や設備がモノをいう。しかし知識や情報の場合、複製や流通のコストが極端に低いので、資本や設備の規模はあまり重要でなくなる。むしろ、才能のある人間をどれだけ揃えられるか、その人間をどれだけやる気にさせ、どれだけ仕事をやりやすくできるかが、勝負の分かれ目になる。「人的資本」が何よりも重要になるのだ。

数千人、数万人の大企業よりも、才能のある数人の人間が組んだだけのベンチャーのほうが成功し、より収益を上げるということが、すでに十分ありうる時代になった。この傾向はこれからますます加速していくだろう。

これから会社のサイズはどんどん小さくなり、その数は増えていく。1人が複数の会社に属したり、1人でいくつも会社を立ち上げることも、これからはあたり前になっていく。

これはコンピュータの歴史と似ている。かつてコンピュータは部屋ひとつ分くらいある巨大なもので、もちろん途方もなく高価なものだったので、そのコンピュータを使うために人々は列をなした。人間の時間よりコンピュータの時間のほうが「高い」ので、あらかじめプログラムを紙に書いておいて、それをコンピュータに入力していた。コンピュータのほうが上位に君臨していて、人間が奴隷としてコキ使われていたようなものだ。

その後コンピュータはだんだん小型化し、安価になって、いまや1人で何台も持っていることもあたり前だし、数年前のスペックのものは使い物にならず、ゴミとして捨てられたりしている。いまや人間が復権して、コンピュータが奴隷になったのだ。

会社もそれと同じように、だんだん小型化して、気軽に作ったり、消したりするようになるだろう。金融などで使われる「SPC(特別目的会社)」のように、会社は「行き先(目的)」の決まった「乗り物(ビークル)」になるのだ。

あるいは、映画の製作のような「プロジェクト」に近いものになる、といってもいい。そこではあくまでも、プロジェクトに参加する「個人」が主役であって、会社という仕組みは脇役だ。そして、プロジェクトにはつねに「目的(ゴール)」があり、「締切(期限)」が区切られている。目的の「成果物」ができたら、それでプロジェクトは解散になり、参加者はまた別のプロジェクトに散っていくのだ。その「成果物」は出資した人のものになり、それが成功すれば出資者は儲かって、プロジェクトの参加者は栄誉と実績を得る。映画の世界は、まさにそういうふうに動いている。

数人くらいのベンチャーでは、1人あたりの役割が大きいので、1人がサボるだけで会社が回らなくなる。しかし、1人の役割が大きいとき、人間は意外にサボらないものだ。むしろ、「自分が重要である」という自覚やプライドによって、やる気が出る。ちょうど、映画でスタッフ全員の名前がクレジットされるのと同じように、それぞれの「個人」が不可欠のメンバーとして認められていれば、やる気になるのだ。

会社のサイズが小さくなればなるほど、「個人」の比重が上がるので、一般にやる気も増す。しかし同時に、会社の規模が小さいと、競争力で劣ったり、下請けになったりしやすいので、仕事や待遇の質自体が下がったり、会社の安定度が下がりやすい、という問題がある。会社のサイズが小さいことには、メリットとデメリットがあるわけだ。

しかし、産業の中心が知識や情報のほうにシフトしていけば、大きい会社のほうが有利な「規模の経済」がだんだん効かなくなる。よって、会社のサイズが小さいことのデメリットはこれから減っていき、メリットのほうは増していくことになるのだ。これから会社のサイズはどんどん小さくなり、数が増えていく、と私が確信している理由はそれだ。

「会社に人が属する」のではなく、「人に会社が属する」時代が、これから始まる。


関連エントリ:
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