2010.06.01
「ネット全履歴もとに広告」(DPI)をやりそうなのはケータイのキャリアだろう
昨日の「ネット全履歴もとに広告」という話について、補足を兼ねてもういちど書いてみたい。

この「DPI(ディープ・パケット・インスペクション)」をいちばんやりそうなのは、PCのプロバイダ(ネット接続業者)よりもむしろ、ケータイのキャリアだろう。

PCの場合、キャリアとプロバイダが分離しているのが一般的だが、ケータイではキャリアがプロバイダを兼ねていて、一体化している。さらに、ケータイは数社が寡占する市場だ。つまり「ケータイのプロバイダ」は数社しかないのであり、ここがPCのプロバイダ市場と大きく違う。

よって、この数社がすべてDPIをやった場合、ケータイ利用者は非DPIの業者を選ぶという選択肢がなくなってしまうのだ。

さらにケータイはいつも持ち歩くものなので、キャリアから見れば、「いつ、どこにいて、何を見ているか」が全部わかる。「通信履歴」に「行動履歴」まで入ってくるわけだ。

ケータイのキャリアから見て、利用者の「通信履歴」と「行動履歴」が全部わかるというのは、現状でもすでに、技術的にはそうだ。しかし、「その履歴情報をずっと蓄積しておくかどうか」というのはまた別の話だし、「それを広告業者に売り渡すかどうか」は、さらに別の話だ。

ケータイのキャリアというのは、基本的に通信サービスである。その通信サービスの担い手が、「通信履歴を全部保存して広告業者に売る」ということをすれば、それはもう通信サービスではないし、むしろ通信サービスという立場を利用した人権侵害に近い。

私が支持するリバタリアニズムの原理的な見方からすると、人権やプライバシーも自分の「財産」の一部だから、それを自分の判断で広告屋に売り飛ばすことも自由ではある(石橋秀仁氏の指摘は正しい)。しかしこの判断が現実的に可能なのは、DPIをおこなわない通信業者も十分存在していて、業者間の競争があり、そこから業者を選ぶことができる場合だけだ。さらにその場合も、DPIについて通信業者側が十分な開示をおこない、運用においてもそれを順守する必要がある(青木理音氏の提言がこの方向に近い)。

このように、自分の人権やプライバシーを売り飛ばすという選択肢を認め、リバタリアニズムの原理を貫くためには、少なくとも日本の現状では、コストやリスクが高すぎる。通信業者にDPIを認めれば、社会や市場を不安にさらし、運用コストやコミュニケーションコストを増大させることは明らかだろう。基本的にはリバタリアンの私ですら、そこまでやる意味やメリットがまったく見出せない。

自分の人権やプライバシーを売り飛ばしてカネにしたいなら、わざわざ一般人を巻き込んで通信業者にDPIを導入しなくても、やりたい人だけが別のルートで通信履歴を蓄積し、そのデータを売買するような仕組みが可能だろうし、そのほうがビジネスとしてもうまくいきそうに思う(チラシを全員に送りつけるのでなく、欲しい人だけ取れるチラシ置き場を作る、というのに近い)。

しかしそのような場合ですら、例えばメールやインスタントメッセージのような第3者を巻き込んだ私的通信を含む履歴を、相手に同意を得ずに「売り飛ばす」ことができるのか、という問題が残る。

このように考えると、少なくとも公開を意図していない私的な通信については、「通信の秘密」が守られるという憲法のルールが、やはりもっとも妥当かつ現実的だと思う。本人が意図的に「公開」したもの以外は、通信は私的(プライベート)であることが「デフォルト」であり、よってその「通信の秘密」を第3者が侵害することは、通信業者にも許されないのだ。

わたしたちが通信業者に通信サービスを任せるのは、「通信の秘密」を守ってくれることが前提であり、通信履歴を「どうぞご自由に」と差し出しているわけではない。


関連:
経済学101 - ISPでの個人情報収集の是非
http://rionaoki.net/2010/05/4195
この繊細なテーマについて、とても丁寧に書かれており、主張内容も妥当だと思う。

関連エントリ:
「日本の政治」という現実と、「リバタリアニズム」という理想、そのあいだに「みんなの党」がある
http://mojix.org/2010/04/28/libertarianism_minna
私はそれほど原理主義的なリバタリアンではなく、現実を改善するほうを重視するし、最終的にはいかなる教条的原理よりも自分の「感じ方」に従う。