2010.04.28
「日本の政治」という現実と、「リバタリアニズム」という理想、そのあいだに「みんなの党」がある
日本のリバタリアン・ブロガーの1人であるslumlordさんが、みんなの党に入党したとのこと。

PRIVATOPIA - みんなの党
http://d.hatena.ne.jp/slumlord/20100425/1272203147

<ぼくがみんなの党に入党しようと思った動機は主に2つ。1つは、こうした(政党を通じた)政治活動というものに興味を持ったことだ。もともとぼくの家はノンポリ(すでに死語だが他に適切な言葉が思いつかず)といっていいような家系。親が政治的な話をしていることもみたことがないし、投票にはマメに行っていたようだが「投票の秘密」とか言って、父親・母親とも誰に投票しているのかも言わないような状況だった。ぼく自身はこのブログでも書いているように観念的な政治哲学には以前から興味があったが、果たしてそうしたものをどのように現実に落とし込んでいくのかについてはほとんど未経験だった。ここらで体験しておこうと思ったわけだ>。

<もう1つは、みんなの党の理念・政策に(ある程度)共鳴できたことだ。以前から「Zopeジャンキー日記」等ではみんなの党への賛意が積極的に示されていた。たしかに主要政党の中では最も自由主義的な党と言ってよいと思う。もちろん個々の政策では賛同できない点も多い。だが、ここはより betterな方向へ向かうことを優先させるべきだろう。(自覚的な)リバタリアニズムの信奉者が少ない現状では、余り教条的なるのは(戦略上も)得策ではない。また、個々の政治家を見た場合、(みんなの党の)山内康一氏の存在はやはり抜きん出ていると思う>。

私はslumlordさんと面識はないが、ブログはかなり以前から読んでいる。slumlordさんがみんなの党に入るのに、私のブログが少しでも背中を押したのであれば、うれしいことだ。

ここでslumlordさんが書いている、<観念的な政治哲学には以前から興味があった>が、<そうしたものをどのように現実に落とし込んでいくのかについてはほとんど未経験>というポジション、その距離感みたいなものは、共感できる。私自身も、ここ2~3年ほどで政治ネタも多く書くようになったが、政策的な問題意識はそれなりに強いものの、日本の「現実の政治」の泥臭さには、やはり距離を感じる。

しかしそれでも、そして私のように素人であっても、現実の日本の問題について自分で考え、自分の意見を発信することに意味はあるし、それによって1ミリでも「日本を変える」ことに貢献できるかもしれない、という気持ちで書いている。私にとって、自分のブログに政治ネタを書くことは、いわば「投票」みたいなものだ。それによって、読んでくれた人が少しでも気づきを得たり、なんらかの行動を後押しすることができたら、書いた甲斐があるし、うれしい。そういう小さな動きが集まっていって、いずれ「日本を変える」ことにつながっていくと私は信じている。

また、ここでslumlordさんが書いている、<個々の政策では賛同できない点も多い>にせよ、<よりbetterな方向へ向かうことを優先させる>という理由で「みんなの党」を支持するというスタンス、そして<(自覚的な)リバタリアニズムの信奉者が少ない現状では、余り教条的なるのは(戦略上も)得策ではない>という、リバタリアニズムに対するスタンスという点でも、共感できる。これらのスタンスは、ひとことでいえば「現実主義」だろう。

リバタリアニズムのような思想では、徹底的に教条的・理論的なスタンスの人と、それをどう現実社会に応用・接続・普及させていくかという現実的なスタンスの人がいる。これはどちらがいいかというよりも、どちらの立場も必要で、「役割分担」だと思う。ちょうど、「科学と工学の違い」みたいなものだ。私は「現実主義」のスタンス、「工学」寄りのほうが自分に合っていると思うので、そうしている。

契約論的リバタリアニズム」というエントリで、slumlordさんはこう書いている。

<ぼくが思うに日本のリバタリアン(とりわけアカデミズムに拠点を置く研究者)は現実の政治問題に無関心・無関与すぎる。欧米の議論の紹介・検討が不必要というわけでは全くないが、少なくともリバタリアニズムの意義はそれだけではないはずだ。日本の研究者から鳩山(社会主義)政権にほとんど批判も出てこないのが不思議で仕方がない。いま発言しなくていつ発言するのだろう。商業ベースに載らなくてもブログとかいくらでも手はあるはずだ。日本のリバタリアン(研究者)にはぜひ時事問題への積極的関与をお願いしたい>。

リバタリアニズムの場合、そもそも日本では研究者の母数自体がかなり少なそうだが、この話はリバタリアニズムに限らず、日本の社会科学系の「研究者」一般に言えそうだ。アメリカの経済学ブログ界などは代表例だと思うが、アメリカでは学者ブログがとても活発で、現実への影響力も大きいようだ。いっぽう日本では、ブログを書いている学者もいることはいるが、主に一部の若手で、それほど現実への影響力は持っていないように見える。

この差はちょうど、大学での「研究」と「教育」の位置づけの話と似ている。アメリカでは「教育」も重視されていて、授業の質や人気が評価の対象になるようだが、日本では「研究」しか評価されず、よって「教育」が手薄になる。つまり、日本の研究者は専門的な「研究」のほうにばかり目が向いていて、学生や一般人に向けた「教育」が手薄になっている。これが政治学者の場合、slumlordさんが書いている<現実の政治問題に無関心・無関与すぎる>という態度になり、ブログなどで<時事問題への積極的関与>をしない、というふうになるのだろう。

教条的・理論的なスタンスの人と、現実的なスタンスの人、その両方のスタンスがあっていいし、「役割分担」だと思う。しかし日本の研究者は、後者の現実的なスタンスを取る人があまりにも少ないのだろう。これは「専門家としての自重」と考えれば美点かもしれないが、「専門家のタコツボ化」を助長して、一般人とのあいだにカベを作ってしまう面もある。また、特に政治や経済の専門家の場合は、これほど日本の政治が激動していて、多くの一般人が「何が正しいのか」「どう捉えればいいのか」について振り回されているのに、意見発信によって自分の学問知識を社会に還元しないのは、学者としてもやや「無責任」「不誠実」と言われても仕方がないと思う。

専門知識や学問、研究の側から見ると、日本の専門家・研究者はやや専門の殻に閉じこもりすぎで、「現実主義」がおそらく不足している。しかし他方で、完全に一般人の側から見ると、むしろベタな「現実主義」が支配していて、「そんな理想は現実では通用しない、これが現実なのだ」という泥臭いゴリ押し・開き直りの前に、理想や理論、理屈がすべて吹き飛んでしまうという面があると思う。ほとんどあらゆる問題が「もっとがんばれ」という精神論と、「誰々が悪い」というワルモノ論に帰着してしまい、「手法」「制度」「構造」「システム」ではなく、すべてが「属人」的な話になってしまう。一般人レベルでは、むしろ「理想主義」や「方法論」が不足しているわけだ。

つまりこの状況は、専門家の側から見ても、一般人の側から見ても、「専門家と一般人のあいだにカベがありすぎる」ことが原因だろう。その意味でも、専門知識がありながら、一般人に対しても平易な言葉で語れるような人が、日本では希少価値が高いと思う(例えば池田信夫氏のような存在)。この「専門家と一般人のあいだにカベがありすぎる」ことが日本の弱点のひとつであり、そのあいだの「中間層」を充実させていくことが、もっと必要だと思う。

このような意味で、冒頭のslumlordさんのエントリは、「日本の政治」というベタな現実と、「リバタリアニズム」という理想、その2つの中間に「みんなの党」がある、という図式をよく示していると思う。つまり「みんなの党」というのは、「リバタリアニズム」という理想から見ると「現実主義」であり、いっぽう「日本の政治」というベタな現実から見れば、かなり筋を通した「理想主義」なのだ。

この「理想主義から見ると現実主義」、「現実主義から見ると理想主義」というポジションに、私はすごく共感する。だから私は「みんなの党」を支持しているし、slumlordさんもそうなのだと思う。

純粋な理論派リバタリアンからすれば、「みんなの党」の政策はとても飲めないレベルかもしれないが、しかし「日本の政治」というあまりにもベタな現実からすれば、「みんなの党」はかなり「理想」に向けて踏み出していると思う。2大政党などと言いながら、実際はただの無原則な「寄り合い所帯」でしかなかった自民党・民主党が支配する段階から、ついにマトモな「政策の党」が出てきて、日本政治は次のレベルに行こうとしているのだ。

なお、このslumlordさんのエントリでは、特に山内康一氏の名前が挙げられていて、氏の「小さな政府と大きな市民社会」という論考が紹介されている。このエントリは私も「小さな政府、大きな市民社会がつくる「新しい公共」」で紹介したが、これまで私が目にした山内氏のエントリの中でも、特に重要なもののひとつだと思う。

slumlordさんが書いているように、日本では「市場」という言葉はいまのところ拒否反応が強いので、リバタリアニズムの本質を伝えるには、「市民社会」という言葉のほうがいい、というのはその通りかもしれない。リバタリアニズムが最も重視するのは「自由」で、そこには「利己の自由」だけでなく、「利他の自由」も含まれる。リバタリアンが政府を嫌うのは、「利他」を「強制」するからだ。「市場」と言うと、一般的には「利己の自由」の連想が強いので、「利他の自由」を強調するには、「市民社会」のほうがいいかもしれない。


関連エントリ:
みんなの党は「政策の党」 市場メカニズム重視・自由主義の「小さな政府」路線
http://mojix.org/2009/09/07/your_party5
山内康一氏が自民党を離党 構造改革路線、「小さな政府」路線の正統な継承者
http://mojix.org/2009/07/24/yamauchi_ritou
「精神論」より「制度論」を
http://mojix.org/2009/07/19/seishinron_seidoron
民間による「公共」
http://mojix.org/2008/11/30/minkan_koukyou