2010.07.07
政治家にとって選挙は「営業活動」である
政治家が生き残るためには、有権者に票を入れてもらう必要がある。支持者をあいさつ回りしたり、地元の会合や運動会に出たりする「ドブ板」選挙も、そのための「営業活動」である。

これは、企業が仕事を取るために「営業活動」をするのと似ている。

営業活動には、当然コストがかかる。よって、企業が売る商品やサービスの価格には、その営業活動のコストも含まれている。

しかし、企業が売るものは基本的に、商品やサービスそのものである。その価格には営業のコストも含まれるにせよ、商品やサービスの開発・製造が「主」であり、営業はそれに付随する「従」だ。

では、政治家にとってはどうか。選挙が「営業活動」であるのに対し、商品・サービスにあたるものは「政策」である。良い政策を作ることがメインであり、その良い政策を作ることを継続するために、選挙という「営業活動」をおこなうのだ。

政治家にとって、「顧客」に当たるのは国民である。政治家が国民に対して、良い「政策」という商品・サービスを提供すれば、国民はその政治家に票を入れることによって、それを継続して「買う」ことを表明する。

しかし日本の政治家の場合、メインの商品・サービスである「政策」よりも、営業活動である「選挙」のほうが、むしろ本来の仕事のように見えるところがある。まるで、政治家というのは「選挙をやる人」であるかのようなのだ。

日本の政治家は、政策よりも選挙のほうが重要で、「日本をよくする」「暮らしを守る」とか言いながら、選挙に勝つことが自己目的化しているようなところがある。その政治家が当選しても、日本がよくなったり、暮らしが守られたりすることはあまりなく、ただ国会でヤジり合いがあり、新聞には政治家が何を言った、どこへ行ったという芸能レポート的な人物消息が載るだけ。そのうちまた次の選挙が近づいてきて、政治家は選挙モードに入るのである。ずっとこれの繰り返しだ。

なぜこうなってしまうかというと、実は国民の側も、政治家の本来の仕事は何なのか、あまりわかっていないからだろう。「顧客」である国民の側が、政治家を選ぶ基準を、その商品・サービスである「政策」に置いているのではなく、街で見かけたとか、あいさつしてくれたとか、会合に出てくれたといった、「選挙」活動のほうで見ているのだ。

あるいは、自分の利害に直結しているという理由で、特定の政治家や政党を支持する人もいる。こういう場合はもはや、政府を通じて法規制や税金を自分たちに有利なほうに動かすための「綱引き」であり、いわば国を「私物化」するための戦いである。一部の政治家は、こういう人たちに票を入れてもらうために、特定の人たちに有利な法規制を作ったり、バラマキをおこなう。

国を「私物化」しようなどとは思っていない、良識ある有権者にとっても、政策というのは自分の「利害」とまったく無縁というわけにはいかない。すべての政策が、すべての人の「利害」に関係している。その意味では、有権者が自分の「利害」を一切捨てて、聖人のように完全なる高潔さを持って投票するのは不可能だ。どんな政策を支持するかという判断自体、その人の立場や育ち方と無縁ではない。

現実には、すべての有権者が「利害」を超越した聖人になることは不可能だ。よって、せいぜいできることは、政治家の本来の仕事である「政策」で判断できる有権者を少しでも増やすことだろう。国を「私物化」するための戦いをおこなう人はいなくならないが、全体として「政策」を判断できる人が増えれば、一部の人の「私物化」につながるような「政策」はすぐに見破られるようになる。

いまの日本は、「政策」の中身で判断できる有権者が比較的少ないために、「選挙」という営業活動がむしろ政治家の仕事のようになってしまっているところがある。そして、国を「私物化」しようとする熱心な一部の人と、その意を汲んだ政治家の動きにあまり注意が払われないために、まんまと「私物化」がおこなわれている、という状況だろう。

けっきょく、政府というシステムが大きくなればなるほど、それを正しく動かすコストや、それが正しく動いているのかどうか見張るコストがかかるのだ。政府の「中の人」も聖人ではないので、ちゃんとやっているかどうか、政府の「外の人」が見ている必要がある。政府の「中の人」が仮に聖人に近い人であっても、やはり全知全能の神ではないので、間違ったり、ミスをする。

だから、政府というシステムはできるだけ小さくしたほうがいい。政府の役割は「政府でなければできないこと」だけに絞って、あとは市場と民間に任せたほうがうまくいく。市場も完璧ではないが、そこには「強制」がなく、参加者の「自由」な取引によって進む世界なので、各人の意思を反映した方向に全体が動きやすい。民間では市場原理によって、良いものが生き残り、ダメなものは淘汰される。政府には市場原理がなく、淘汰や競争のプロセスがないので、ムダや非効率がいくらでも生き延びてしまう。

私はこのように考えるので、私にとって良い政治家とは、市場や民間の自発的な動きを重視し、政府の役割は「政府でなければできないこと」だけに絞ろうとする政治家である。つまり、政府の「リストラ」「減築」をおこなう政治家だ。民営化したり、規制緩和したり、減税したり、議員の数を減らしたりする、いわゆる「構造改革」「小さな政府」の方向だ。私はそのような政治家に投票する。


関連エントリ:
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