2010.11.03
誰のための規制か 「コスト」を考えない「正義」は、ほんとうに「正義」と言えるのか
asahi.com - 知事会、規制骨抜きへ一斉特区作戦 保育ママ事業など(2010年11月2日13時32分)
http://www.asahi.com/politics/update/1102/TKY201011020169.html

<地域活性化などを目的とする国の構造改革特区の申請を、複数の都道府県が同じ内容で一斉に申請する。全国知事会(会長=麻生渡・福岡県知事)が2日、地方分権推進特別委員会を開き、申請する提案項目を決めた。特区制度を使い、事実上国の規制を骨抜きにしてしまおうとの狙いだ。7月の全国知事会議で橋下徹・大阪府知事が「地方がまとまって行動しないと国は動かせない」と提案し、検討してきた。
 この日決まった提案は、自宅などで少人数の子どもを預かる「保育ママ事業」について、9.9平方メートルの保育専用の部屋が必要としている規制の緩和▽障害者の就労を支援する事業所を社会福祉法人だけではなく、NPO法人などでも開設できるようにする、など計23件。
 申請の締め切りの17日までに提案ごとに参加する都道府県を募るが、すでに34~46の自治体が同調を決めている>。

国の政治がひどいのに対して、地方の首長にはいい動きが目につく。これもぜひがんばってほしい。

ほんとうに社会の役に立っているのかどうか不明な規制、むしろ社会の迷惑になっているのではないかと思われる規制が、日本には少なくない。ここに挙げられている保育サービスにしても、「9.9平方メートルの保育専用の部屋が必要」という規制によって、供給される保育サービスが過少になり、保育サービスを受けられない人が多数出ているわけだ。サービスを必要としている人と、サービスを提供したい人がいて、その双方が納得していたとしても、それが国の規制によって実現できないのだ。いったい誰のための規制なのか。

「9.9平方メートルの保育専用の部屋が必要」という規制は、「保育サービスをするなら、9.9平方メートルの保育専用の部屋がなければダメだ」という判断から生じている。この判断が、その規制を作った人にとって「正義」だったわけだ。しかしこの判断には、その規制を作ることで、供給される保育サービスがどのくらい過少になるか、またそれによって保育サービスを受けられない人がどのくらい出てくるか、といったことは考えに入っていないだろう。「コスト」抜きに、ただその人の「正義」だけで判断されているのだ。「コスト」を考えない「正義」は、多くの人に不自由や代償を強いるわけで、これはほんとうに「正義」と言えるのだろうか。

ネットでの薬販売の規制なども同じだが、この「正義のコスト」がきわめて高いにもかかわらず、全体の便益が考慮されることなく、一部の人間の「正義」や、一部の人間の要望を入れてしまうことで、規制が成立している。「一部の人間のために、全体が高いコストを負担する」というこの構造は、まさに政府というものの全体をつらぬく特徴といえる。カネのムダ遣いについては、注意を払う人もそれなりにいるが、この「規制のコスト」については、そこで生じているものが「機会費用」であり、これが「見えないもの」であるために、注意を払う人が比較的少ない。また、規制はいったんできてしまうと、なくさない限り存在しつづけるし、それが市場取引を減らして経済活動を低下させるので、カネのムダ遣いよりもいっそう厄介である。

何らかの規制が正しいか正しくないか、という判断はむずかしいこともあるだろう。しかし少なくとも、この判断を国のレベルでやるよりは、その権限を地方に委譲して、それぞれの地方が自由に決めたほうがいい、ということは言えると思う。いまの日本が行き詰まっているのは、政治家や役人が無能だという以上に、なんでもかんでも国が決めるという中央集権体制そのものが行き詰まっており、その仕組み自体に無理がある、と私は考えている。

日本はもう途上国ではなく、先進国である。産業も労働集約による物量作戦はもう通用せず、個人のクリエイティビティを生かす知識産業の時代に入っている。誰かエライ人の言うことにみんなが従う「軍隊式」や、羊飼いが羊をひき連れていくような「護送船団方式」はもうダメなのだ。個人の自由を拡大し、その能力や創造性を最大限に発揮してもらうような環境が作れるかどうか、というのがこれからの「国力」だろう。そのためにも、「地方分権」「地域主権」は、日本にとって最優先の課題である。地方をエンパワーする(力を与える)ことが、個人をエンパワーすることになるのだ。

「何が正義なのか」「どんな規制をすべきなのか」を国の単位でえんえん議論するよりも、まずはその「意思決定の単位」を小さくして、地方に権限を渡してしまえばいいのだ。そうすれば、地方の意思決定はきわめて迅速になり、かつ地方どうしの競争が起きるので、制度設計やガバナンスの優劣がはっきりする。これで失敗した地方は、成功した地方をマネすればいいだけだ。このようにすれば、「何が正義なのか」「どんな規制をすべきなのか」という机上の論争を無限につづける必要もないし、間違った規制によって国民全員が苦しみつづけることもなくなる。


関連エントリ:
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