2011.01.03
『ガイアの夜明け』 スーパーマーケットの「小型化」特集
先日『ガイアの夜明け』で、スーパーマーケットの「小型化」を紹介していた。

日経スペシャル「ガイアの夜明け」 12月14日放送 第447回
時代は“コンパクト”~小ぶりな店舗に商機あり~
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview101214.html

いまは大手スーパーマーケットも、昔より売上が落ちてきているとのこと。いままでよりも小さい店舗を出したり、よりキメ細かく、ムダのない出店戦略が必要らしい。

単身世帯も増えてきているので、いままでの商品より量を少なく、小分けにしたパッケージが求められている、といった話も紹介されていた。

スーパーマーケットが生き残るためには、店舗の規模も、パッケージも、もっと「小さくする」必要があるわけだ。「小さくする」のは、店からすれば効率は下がるが、より現実の需要にフィットできるようになるのだろう。

ガイアの夜明け』という番組は、ひとことで言えば「ビジネス・ドキュメンタリー」である。ビジネス側の人たちがいかに苦労し、奮闘しているか、その様子を活写する番組だ。

この回も、基本的には「スーパーマーケット側の視点」で番組が作られていた。スーパーマーケットの人たちがどのような問題に直面しており、それにどう取り組んでいるかが、いくつかの実例を軸に紹介されていく。

しかしこの回は、それだけではない深みを感じさせる内容だった。スーパーマーケットがどこに、どういう規模の店を出すかという出店戦略の話のところで、近くにスーパーマーケットがなくて困っている住人(特に老人)が、番組にたくさん出てきた。この人たちの困りっぷりが、なんとも痛切で、印象的だった。

近所にあったスーパーが、営業不振で撤退してしまう。これだけで、生活は一挙に不便になる。しかし、そこに自宅を持っている場合は、そうかんたんに引っ越すこともできない。たくさん歩いたり、バスに乗ったりして、遠くのスーパーまで行くしかないのだ。

特に老人の場合、これはこたえる。歳をとればとるほど、身体が弱って、移動がたいへんになる。老人こそ、むしろ都会のほうが住みやすいという説をよく聞くが、少なくとも店などの利便性という面では、都会の優位性は明らかだろう。

食品や日用品を買えるスーパーマーケットは、もはや一種の「ライフライン」だと思う。老人でなくたって、近くにスーパーがなかったら、かなり不便だ。動くのがたいへんな老人であれば、なおさらだろう。

マンションや住宅を売る不動産のチラシでは、駅の近さやスーパーの近さが「売り」になる。しかし、せっかくスーパーの近さをアテにしてマンションや住宅を買っても、そのスーパーがずっとそこにあるという保証はないのだ。駅がなくなるということは少ないが、スーパーの撤退はむしろ日常茶飯事である。

近くにスーパーがあるということが「ライフライン」のように重要だという見方に立てば、ある程度の規模以上の街に住むことは必須だろう。そして、郊外型の大型ショッピングセンターのようなものも、撤退リスクがないとはいえないので、そのエリアが成長を続けられるのかどうか、見極めが大事だろう。

スーパーマーケット側にも「出店戦略」が必要だが、マンションや住宅を買う側にも「住居戦略」が必要なのだ。スーパーマーケットであれば、失敗したらそのエリアから撤退すればいい。しかし、マンションや住宅を買ってしまったら、そうかんたんに「撤退」できないのが普通だろう。一生に何度も買えるものではないからだ。

不動産の価値はよく、「1に立地、2に立地、3に立地」と言われる。マンションや住宅を買うということは、その建物や土地を買うという以上に、どこに住むかを選ぶということ、いわば「街を買う」ということだ。この買い物は、失敗してもかんたんに「撤退」できないのだから、スーパーマーケットの「出店戦略」にも劣らぬほど、慎重に選ぶ必要がある。

その選択の際に考慮すべきポイントとして、「スーパーマーケット」というのは外せないように思う。そして、スーパーというのは駅よりもはるかに不安定な存在なので、スーパーを重視してエリアを選ぶということは、「スーパーがなくなってしまうことがないエリア」を選ぶということになるだろう。

これまでの日本は、「これからも無限に成長する」ということを前提にして、制度設計がおこなわれてきたところがある。その代表が年金制度だろう。これがネズミ講と同じくらい無理な話だったということが、いよいよはっきりしてきた。「終身雇用」も同じである。社会保障の役割を会社に強制するという日本方式は、経済成長を阻害し、不公平を生むだけでなく、もはや維持不可能だということが明白だろう。

この回の『ガイアの夜明け』で何度も映し出された、「近くにスーパーがなくなって困っている老人」の映像は、いまの日本を象徴しているように思えた。老人がもっと若かった頃は、まさか近くのスーパーがなくなるとは、想像できなかったのだろう。日本は無限に発展し、日本じゅうが開発されて、どこまでもスーパーができていく。以前の日本人は、そんな未来を想像していたのかもしれない。


関連エントリ:
竹中平蔵vs菅直人 「現実が変わった」ことを受け入れられない日本
http://mojix.org/2009/12/17/takenaka_kan