2009.12.17
竹中平蔵vs菅直人 「現実が変わった」ことを受け入れられない日本
産経ニュース - 【菅vs竹中論争】(1)竹中氏「郵政の再国有化は残念」(2009.12.16 17:22)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091216/plc0912161726014-n1.htm

<菅直人副総理・国家戦略担当相は16日、内閣府で行われた成長戦略策定会議の「検討チーム」に竹中平蔵元総務相を招き、成長戦略について約35分間にわたり議論を戦わせた。やりとりの詳細は以下の通り>。

これ以下、4つの記事に分けて、竹中氏と菅氏のやりとりが詳細に収録されている。

産経ニュース - 【菅vs竹中論争】(2)菅氏「小泉・竹中路線は失敗」(2009.12.16 17:25)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091216/plc0912161728015-n1.htm
産経ニュース - 【菅vs竹中論争】(3)竹中氏「改革で格差拡大は止まる」(2009.12.16 17:28)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091216/plc0912161730016-n1.htm
産経ニュース - 【菅vs竹中論争】(4)菅氏「過去の失敗を検証する」(おわり)(2009.12.16 17:32)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091216/plc0912161733017-n1.htm

分量としては長いが、しゃべりをそのまま収録しているので、とても読みやすい。

竹中氏はいつもの通り、ごく当たり前のことを、わかりやすく言っている。竹中氏がすごいのは、わかりやすさもさることながら、その説得の「ねばり強さ」だ。あまり経済をわかっていない人に対しても、馬鹿にしたり、ブチ切れることなく、できるだけ話をあわせながら、自分の論点をなんとか説得しようとする。

菅氏のほうも、つねづね小泉・竹中路線を批判してきたくらいで、対立的な立場であることは当然だが、今回は竹中氏本人を目の前にして、わりとていねいに話している。私は菅氏の考え方には賛同できないが、どういう思考回路でその考え方になっているのかは、いくらか理解できた気がする。

菅氏の考え方がよく出ているのは、2番目の記事の2~4ページあたりだ。いくつか抜き出してみよう。

【菅vs竹中論争】(2)菅氏「小泉・竹中路線は失敗」 (2/4ページ)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091216/plc0912161728015-n2.htm

<少なくとも1929年以降は需要がなくて供給過剰になるという中での不況が多く起きたわけで、今まさにデフレという状況が生まれておりますが、私たちが考えている実は経済政策、あるいは成長戦略もそうですが、先ほど抑圧された需要という、表現は別として、そこはやや共通なんですけども、まず需要をつくることが重要ではないかと。つまり供給サイドを効率化する、競争で勝てるような供給サイドを作る。しかし需要がなければ競争に勝った企業は、それは企業としては成り立つけれども、負けたところからどんどん失業者が出ますから。完全雇用じゃない状況の中で私は需要サイドのことを、どちらかというとですよ、両方考えないといけないというのは共通です。需要サイドをいかにして新たな需要を生み出すかということがより重要だと思いますがその点はいかがですか>。

【菅vs竹中論争】(2)菅氏「小泉・竹中路線は失敗」 (3/4ページ)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091216/plc0912161728015-n3.htm

<最近私はですね、やや大胆にですね、経済における第三の道というのを内部で少しずつ言っているんです。つまり、今、需給ギャップを財政を埋めるのに一時的に効果があると言われました。私は80年代後半以降の公共事業は、投資効果はなかったとみています。つまりどちらかというと田舎に仕事を持っていくことによって格差是正にはつながったけれども、投資効果がなかった。典型で言えば私が高校時代、東京・大阪の新幹線、ご存じのように4000億円です。たぶん何十兆円の投資効果があったけど、本州・四国の橋は多分3兆円以上かかっていますが、ほとんど投資効果はゼロです>。

【菅vs竹中論争】(2)菅氏「小泉・竹中路線は失敗」 (4/4ページ)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091216/plc0912161728015-n4.htm

<ですから、そういう第一の道は破綻(はたん)したと。次に率直に申し上げて小泉・竹中路線といわれているのは、今言われたように、例えばカルロス・ゴーンが来て、日産、正確な数字は別として1万人の労働者をですね、半分ほどリストラすると。確かに5000人の日産は高い生産性になったかもしれないけど、リストラされた5000人が新たな、完全雇用で新たなところで同じような効率高いところで仕事ができればいいんですが、結果として失業状態になり、低賃金であえぐようなことになれば、マクロとしては成長はしていないわけです。ですから私は一企業の日産はリストラできても、国は国民をリストラできないんだから、必ずしも個別の企業が競争力を高めることが、それを全部やったら、イコール、マクロ的な成長になるとはかぎらない。それは完全雇用の下ではなるかもしれません。そこで第三の道ということで今、この間の経済政策とか雇用政策で常に打ち出しているのは、雇用が新しい需要を生む。例えば介護などは雇用が増えることでイコール、サービスを増やすことになる。あるいは同じ費用でも1兆円で1兆円しか効果がないというのが今の経済財政の官僚のみなさんの計算なんですが、おかしいではないかと。1兆円でやっぱり11兆円ぐらい生み出すような知恵があるはずだ。それから規制について、抑圧されたと言われましたけど、私の言い方で言えば、社会ルールを変えることによって、規制を弱くする場合もあるし、強くする場合もありますが、それによって新しい需要なり、そういうものが特に環境分野で生まれてくる。ですから私はどうも竹中さんが言われるですね、供給サイドを強めればそれでマクロ的にもよくなるという考えは第二の道として失敗したというのが私の見方ですが、いかがですか>。

ここで菅氏が言っている「第三の道」というのは、ブレアの言っていた「第三の道」ではなく、菅氏独自の分類のようだ。かんたんにまとめると、次のようなものだろう。

第一の道:田舎に公共事業をもっていくようなバラマキ路線
第二の道:企業がリストラを進める市場主義路線
第三の道:将来につながる需要や雇用を政府が生み出すその中間の路線

菅氏の考えの要点は、企業がリストラを進めて失業者が増えれば、マクロとしては成長できないので、政府が需要や雇用を創出しなければいけない、ということだろう。

この種の考え方、いわば「需要強化論」は、菅氏に限らずよく見かけるものだ。「日本は供給が過剰で、需要が不足しているので、デフレになっている。だから供給でなく需要を増やす必要がある」といったものだ。

この種の「需要強化論者」は、竹中氏のような「成長論者」をしばしば侮蔑を込めて「サプライサイダー」と呼び、「足りないのは需要なのに、供給力を高めてどうするのか」と考える。

このような考え方の特徴は、「売れない」という市場の現実を「需要不足」と考えるところにある。「売れない」という市場の現実が「異常」で、本来はもっと売れていいはずのものだから、無理やり需要を作り出して「正常」にすべきだ、と考えるわけだ。

この考え方がおかしいのは、世の中にたくさんある「売れない」もののうち、どれが「異常」なのか、どうやって判定するのかの根拠がない点だ。さらに、それが仮に「異常」だとして、ではどこまで無理やり需要を作り出せば「正常」になるのかの根拠もない。

上記の菅氏の分類で言えば、「第一の道」のバラマキ公共事業と、「第三の道」の将来につながる需要創出は、どうやって区別できるのか。政府が無理やり需要をつくり出す点では同じだ。

ダムをつくるのは、「第一の道」なのか「第三の道」なのか。潰れそうな大企業を税金で救済することは、「第一の道」なのか「第三の道」なのか。グリーン政策やエコ、地球温暖化対策ならば、つねに「第三の道」なのだろうか。

結局のところ、菅氏の言う「第三の道」とは、「第一の道」より自分たちのほうが税金を有意義に活用できる、という思い込みに過ぎない。政府が税金を投入して無理やり需要を作り出すという意味では、「第一の道」も「第三の道」も同じである。

いっぽう菅氏は、企業が問答無用でリストラを進める「第二の道」では、マクロとしては成長できないと決めつけているが、これは本当だろうか。

企業がリストラに追い込まれるのは、それまでは売れていたものが、売れなくなったからだ。「売れない」という市場の現実がやってきたのだ。この現実に対して、社員のクビを切らないよう政府が規制し、税金を使って補助金を入れたり、救済しているのがいまの日本である。「売れない」という市場の現実を見たくない、「失敗を認めたくない」のだ。

「売れない」という市場の現実は、なぜやってきたのだろうか。もっと安くて性能のいいものが新興国から出てきたのかもしれない。その会社が技術のイノベーションについていけていないのかもしれない。性能は同じでも、もっとデザインのいいものが他社から出てきたのかもしれない。消費者のライフスタイルが変わって、その商品カテゴリの市場自体が縮小しているのかもしれない。なんにせよ、それは「現実」なのであって、「現実が変わった」と捉えるしかない。

「現実が変わった」以上、現実から目をそむけていても仕方がない。企業は「現実」に見合ったサイズにリストラすること、そしてリストラされた人は、より有望なセクターに移ったり、新興国の労働者に負けないよう一層のスキルアップを図ること、これが「現実と向かい合う」ということだろう。

市場とは、「自分の欲しいものにしかカネを出さない人の集まり」である。人々が何を欲しがるかはつねに変わっていくので、市場もつねに変わっていく。この現実を受け入れなければ、企業にも労働者にも成長はない。

この現実から目をそむけて、「企業は潰れるべきではない」「企業は社員をクビにしてはいけない」といった勝手な「正義」を政府が押しつければ、どうなるだろうか。市場参加者は、市場でマトモに競争したり、価値を生み出すよりも、その「政府ルール」の中でもっともトクになるように行動する(強者も弱者も)。市場参加者の「インセンティブ」が歪められて、政府からいかにカネを取るかという方向に努力が向くようになるのだ。こうなれば、政府のカネはもともと皆の税金だから、価値の生産というよりカネの取り合いが起こる。日本全体から生み出される富や価値の量は減っていき、世界との競争力もなくなっていく。

竹中氏のような「成長論者」がいう供給力の強化とは、当然「売れるものを作る力」の強化であって、売れもしないものをたくさん作っても、供給力にはならない。むしろ「需要強化論者」こそが、「売れもしないものをたくさん作った」現実を前にして、おかしなことに「需要不足だ」と考えるのだ。

いまの日本とはまさに、「売れもしないものをたくさん作った」現実を前にして、それを「需要不足だ」と考え、政府が税金を投入して無理やり買い支えているような状態だ。企業のリストラを規制して、補助金まで投入している。「現実が変わった」と捉えることができず、一時的な「不況」だと思っているのだ。

企業がリストラし放題で、「第二の道」を行くアメリカでは、1年のあいだに5700万人が職を失い、5100万人が採用されている。アメリカは「現実が変わった」ことを受け入れているのだろう。これに対して、政府が企業のリストラを規制し、雇用維持に補助金を出す「第三の道」の日本では、雇用の流動性が低いまま、失業がじわじわ増え、賃金や待遇がじわじわ悪化している。日本は「現実が変わった」ことをまだ受け入れられないのだ。


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