2011.05.24
解雇規制のコストを負担しているのは誰か
解雇規制の議論では、中小企業は人をバンバン切っているので、解雇規制があっても関係ない、という主張をしばしば見かける。解雇規制というテーマは、解雇規制を守っている大企業だけの話であり、中小企業は関係ない、という見方だ。

これは、まるで逆ではないだろうか。

大企業は、人を切らなくてもやっていく余裕がある。モラルや遵法意識が高いという以上に、現実的には、この「余裕がある」という側面のほうがはるかに大きいと思う。

いっぽう中小企業には、この余裕がない。よって、人を切らざるをえないのだ。

しかし中小企業であっても、少なくとも私の知る限り、人をバンバン切るような会社はむしろ少数派だ。余裕がないけれども、それでも人を切らずになんとかやっていくか、そもそも採用しないか、どちらかだろう。

表向きは、大企業のほうが解雇規制を守っていて、そのコストを多く負担しているように見える。いっぽう中小企業は、大企業よりも解雇規制を守っておらず、そのコストを負担していないように見える。

しかし、真のコストは「機会損失」なのであり、それは表にはあらわれない。もし解雇規制がなかったら、大企業と中小企業はそれぞれどのように行動するようになり、その結果どのような生産性やイノベーション、雇用が生じるのか、というふうに考えなければならない。

もし中小企業は解雇規制のコストを負担していないのであれば、それこそ中小企業については、明示的に解雇規制を撤廃しても差しつかえないはずだ。ぜひそうしてほしい。

私の見るところ、解雇規制による真のコストは「機会損失」であり、このコストをより大きく負担しているのは、大企業よりもむしろ中小企業である。「余計な人を抱える」というのは一種の税金であり、この税金によってより大きな痛手を負うのは中小企業である。この税金が、大企業を有利にするバイアスを生み出している。

そして、解雇規制による機会損失というコストを負担しているのは、中小企業という以上に労働者だろう。仕事が見つからないとか、いまの仕事はウンザリだがやめられない、という境遇にある人は、その「コスト」を負担させられているのだ。このコストの発生要因をつきつめれば、解雇規制や高い税金をはじめとする「構造」、つまり日本の制度に行きつく。


関連エントリ:
解雇規制は雇用を減らしている
http://mojix.org/2010/11/09/kaikokisei-herasu
これから設立される10人以下の新会社のみ、解雇規制をなくしてはどうか
http://mojix.org/2010/08/30/kaiko-jiyuu-gaisha
日本では会社と社員が「密結合」であり、人材が「入れ替え可能」な「モジュール」になっていない
http://mojix.org/2010/04/21/nihon_mitsuketsugou