2011.07.05
「経済優先」という批判
批判的な文脈で、「経済優先」といった表現が使われることがある。

お金より大事なものがあるのに、お金のためにそれが失われるといった場合に、このような言い方がされる。

しかしこれだと、「経済」がまるでワルモノみたいだ。「経済」というワルモノを追放すれば、問題が解決するかのような錯覚を与えてしまう。

より正しくは、こう考えるべきだろう。「お金より大事なものがある」ならば、その「大事なもの」は、経済的に見ても、本来はとても価値が高いのだ。

問題は、その大事なものの価値が、正しく評価されていないというところにある。経済学の言い回しを使えば、その大事なものが「市場に内部化」されていないのだ。

たとえば原発の場合、これまで原発が推進されてきたのは「経済優先」だった、というふうに批判する人がいるかもしれない。しかし「経済優先」の結果、今回の原発事故で、実際にとんでもない被害が生じてしまった。東北の農業や地域経済が大きなダメージを受けたり、事故の収束や汚染対応に膨大なコストがかかるのはもちろん、日本に対する世界からの信頼も失われてしまった。

つまり「経済優先」の結果、すさまじい「経済的被害」が出たわけだ。このことが意味しているのは、原発の推進というのは、そもそも「経済優先」ではなく、むしろ「経済的でない」判断だったということだろう。

「お金より大事なもの」は、経済に反する存在ではなく、むしろ経済の上でも価値が高いものだ。よって、それを失ってしまうことのコストはきわめて大きい。「経済優先」という批判が生じるのは、この大事なものの価値評価が正しくおこなわれていないときだ。よって、それは「経済優先」というよりも、むしろ「非経済的」な判断なのである。


関連エントリ:
池田信夫「原発のリスクよりリターンのほうが大きいなら、原発が市場で選ばれるだろう」
http://mojix.org/2011/04/14/genpatsu-risk-return
反原発派こそ、市場メカニズムを使え
http://mojix.org/2011/03/29/hangenpatsu-market
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