反原発派こそ、市場メカニズムを使え
先日、計画停電よりも市場メカニズムを使うべしという野口悠紀雄氏の提言を紹介したが、この鈴木亘氏の提言もいい。
SYNODOS JOURNAL - 市場メカニズムを活用すべき電力不足対策 鈴木亘
http://synodos.livedoor.biz/archives/1720131.html
<現在行われている計画停電に対し、首都圏の人々は「東北の人々のことを思えば、これぐらい仕方ない」「国民がひとつになって危機を乗り越えよう」と、不便さによく我慢をしている。病院や老人ホーム、在宅医療をつづける患者にとっては、まさに命の問題が発生しているが、本当によく耐えている>。
<しかしながら、本来、計画停電や総量規制のような「社会主義的な手段」は、命の問題にとっても、生産活動にとっても、非常に「非効率」である。早い震災復興を望むのであれば、こうした手段をつづけたり、大規模に行うことは望ましくない。生産活動にとって非効率というのは、生産性の高い企業も、生産性の低い企業も一緒くたに休業させてしまうからである>。
こういう「効率」に訴える議論は、日本では反発を食らいやすい。むしろ、計画停電や総量規制のような「社会主義的な手段」のほうが、心情的には支持されやすいだろう。
それはまさに、日本はタテマエとしては資本主義の国だが、心情的にはむしろ「社会主義的」な国だからだ。「みんなでいっしょにガマンしよう」というかたちのほうが、日本ではウケる。
しかし、こういう非効率な精神論こそが、日本をダメにしているものだ。かつての日本を「挙国一致」で無謀な戦争に向かわせたのも、この非効率な精神論だった。
鈴木亘氏はこの記事の前半で、「効率」的な市場メカニズムを使った方法として、電力消費税の導入や、「電力使用権」の市場をつくる、といった提言をしている。しかしこの記事の真価は、むしろ後半部分にあると思う。
「ピークロード・プライシングでじつは十分」という項で、鈴木氏はこのように書いている。
<電力需要というものはじつは非常に変動が激しく、電力使用量が混み合う夏場のピーク時とオフピーク時では、最大電力量は倍近くも異なる。また、一日の時間帯でも昼間のピークと夜のオフピークでは倍近い変動がある。つまり、電力事業の稼働率の変動は著しく、ピークなど全体のほんの一部にすぎないのである>。
<これに対して、電力事業というものは、どのようなときにも安定的な電力供給を行わなければならないという「供給義務」が課されているため、夏場数日間の昼間における一番のピーク時に対応するために、きわめて過剰な発電所設備を保有しているのである。このためじつは、普段は、発電所はあり余っている状態なのである>。
<このような過剰設備を許しているのが電力会社への規制であり、「総括原価方式」の下、どのように過剰な設備をもっていてもすべて電力料金に転嫁でき、しかも地域独占によって競争相手にさらされずに、料金を引上げられることが、その背景である>。
<これを経済学ではアバーチ・ジョンソン効果と呼んでおり、過剰設備、非効率の典型例とされる。また、電力会社も、経済産業省の官僚も、発電所設備を拡大することで利権があるので、こうした規模拡大にさらに拍車がかかる>。
<これは例えていえば、需要者という暴投ピッチャーに合わせるために、キャッチャーを5人も6人も配置しているという状況であり(しかも、そのうち2、3人は、普段寝ている)、非効率きわまりない>。
<キャッチャーを増やすよりも、暴投ピッチャーをさっさと交代させて、需要者というピッチャーのコントロールをよくするほうがはるかに効率的である。これが、経済学でいう「ピークロード・プライシング」の考え方である。つまり、ピークを解消するために、ピーク時にのみ、高い電力料金を取るのである>。
<混雑時に電力料金がドンと引き上がれば、企業は、その前後に操業時間をずらして使用を分散したり、電力料金の安い時間に蓄電をしたり、混雑時に自家発電を行って自ら対応する。つまり、需要側の対応によりピークを均すことが可能なのである>。
混んでいるときは料金を高くする、というこの方式は、旅行業界などでは当然である。電力という資源がより希少になっているときに、料金をより高くするというのは、経済学的には当然の話だ。
<もっとも、各家庭まですべてピークロード・プライシングをするというのは、消費者は驚き、反対も大きいであろう。東京電力の電力需要の過半は企業需要であるから、まずはフランスの電力公社(EDF)が1957年から導入しているように、企業に対して、季節別・時間別・業種別のピークロード・プライシングをはじめることが現実的である>。
<これにより、ピーク時とオフピーク時の料金差は10倍以上となるので、相当の需要変動を均すことができる。消費者については、そこまでの変動は対応が難しいだろうから、徐々にはじめて2、3倍程度のピークロード・プライシングをしてはどうか。もちろん、病院や老人ホームは対象外である>。
企業から始めるのにも異論はないし、消費者もむしろ、この方式を歓迎する人が多いと思う。少なくとも、それによって計画停電のような不自由さがなくなるのならば、大歓迎ではないだろうか。
そして、最後の「原子力発電所は不要になる可能性」という項で、鈴木氏はこのように書いている。
<この需要側に働きかけるピークロード・プライシングを徹底すれば、現在の過剰な設備など必要がなくなる。つまりは、原子力発電所が不要になる可能性も高いと思われる>。
<実際、原子力発電所は一旦発電を始めると炉を落とすことが難しく、ずっと発電をつづけなければならないので、需要に応じた調整はできない。大きな需要変動を調整しているのは、じつは火力発電所なのである。このため、火力発電所の稼働率は、平均的に50%以下の水準である>。
<よく原子力発電が日本の電力供給の3割を占めているので、原子力発電なしには日本は立ち行かなくなるといわれるが、それは間違いである。原子力発電所は需要変動に対応できないために100%近い稼働率であり、火力発電所が普段は炉を落として稼働率を下げているので、原子力発電所の電力供給割合が異様に高く(火力発電の電力供給割合が異様に低く)みえるだけである>。
<これを火力発電所の稼働率を引き上げ、需要の変動をピークロード・プライシングである程度均せば、原子力発電所の発電量など、少なくとも東京電力に関しては不要となる可能性が非常に高い>。
この鈴木氏の議論が正しいのかどうか、私は判断できないが、現状の議論の多くが、「原発ありき」のバイアスがかかっていることは間違いないと思う。
原発事故によって、反原発派の主張に説得力が出てきている。しかし同時に、反原発派には少なからず、経済学やビジネスの現実を軽視し、精神論的な主張に走りがちな傾向もある。
反原発派の人は、世論が追い風になってきたいまこそ、精神論を脱却して、ここで鈴木氏が書いているような「市場メカニズム」を使って、世の中を説得すべきではないか。
まずはピークロード・プライシングなどの価格メカニズムによって、電力需要を「ならし」、現実の需要ピークを抑える方法を提示する。同時に、原発というものの真の「コスト」を、人命・健康・農作物・風評・地域経済・国の経済といった広範囲に及ぼしうるリスクに基づいて計算し、「市場に内部化」する。こうすれば、原発はとても「ペイしない」という結果になるのではないか。いままさに、このような被害が起きているのだから、この種の計算には絶好の機会だろう。
同時に、政治のレベルでも、原発や電力事業をめぐる利権や癒着構造を明らかにする。電力事業が独占され、電力ベンチャーの参入をはばんでいる制度的な障害をなくす。電力や原発について、各自治体が責任をもって自主的な判断をおこない、住民が自分の考えに合う自治体を選べるように、道州制や連邦制などの地方分権をすすめる。
これだけの事故が起きて、その大きな影響を見せつけられれば、誰だって反原発派になりそうだ。しかし、ここで精神論や属人論法による告発、「誰々が悪い」という犯人探しをいくらやっても、日本の制度設計=「構造」が変わらないかぎり、問題は解決しないだろう。利権や規制が温存されてしまえば、また同じことが起きる。事故を起こしたのは「ワルモノ」ではなく、日本の「構造」だからだ。
関連エントリ:
野口悠紀雄「40A以上の基本料金を値上げすれば、自主的な節電と利用平準化が進むだろう」
http://mojix.org/2011/03/25/noguchi-setsuden
競争によるリスク分散
http://mojix.org/2011/03/22/kyousou-risk-bunsan
日本も連邦制にすればいいのでは
http://mojix.org/2010/08/04/renpousei
SYNODOS JOURNAL - 市場メカニズムを活用すべき電力不足対策 鈴木亘
http://synodos.livedoor.biz/archives/1720131.html
<現在行われている計画停電に対し、首都圏の人々は「東北の人々のことを思えば、これぐらい仕方ない」「国民がひとつになって危機を乗り越えよう」と、不便さによく我慢をしている。病院や老人ホーム、在宅医療をつづける患者にとっては、まさに命の問題が発生しているが、本当によく耐えている>。
<しかしながら、本来、計画停電や総量規制のような「社会主義的な手段」は、命の問題にとっても、生産活動にとっても、非常に「非効率」である。早い震災復興を望むのであれば、こうした手段をつづけたり、大規模に行うことは望ましくない。生産活動にとって非効率というのは、生産性の高い企業も、生産性の低い企業も一緒くたに休業させてしまうからである>。
こういう「効率」に訴える議論は、日本では反発を食らいやすい。むしろ、計画停電や総量規制のような「社会主義的な手段」のほうが、心情的には支持されやすいだろう。
それはまさに、日本はタテマエとしては資本主義の国だが、心情的にはむしろ「社会主義的」な国だからだ。「みんなでいっしょにガマンしよう」というかたちのほうが、日本ではウケる。
しかし、こういう非効率な精神論こそが、日本をダメにしているものだ。かつての日本を「挙国一致」で無謀な戦争に向かわせたのも、この非効率な精神論だった。
鈴木亘氏はこの記事の前半で、「効率」的な市場メカニズムを使った方法として、電力消費税の導入や、「電力使用権」の市場をつくる、といった提言をしている。しかしこの記事の真価は、むしろ後半部分にあると思う。
「ピークロード・プライシングでじつは十分」という項で、鈴木氏はこのように書いている。
<電力需要というものはじつは非常に変動が激しく、電力使用量が混み合う夏場のピーク時とオフピーク時では、最大電力量は倍近くも異なる。また、一日の時間帯でも昼間のピークと夜のオフピークでは倍近い変動がある。つまり、電力事業の稼働率の変動は著しく、ピークなど全体のほんの一部にすぎないのである>。
<これに対して、電力事業というものは、どのようなときにも安定的な電力供給を行わなければならないという「供給義務」が課されているため、夏場数日間の昼間における一番のピーク時に対応するために、きわめて過剰な発電所設備を保有しているのである。このためじつは、普段は、発電所はあり余っている状態なのである>。
<このような過剰設備を許しているのが電力会社への規制であり、「総括原価方式」の下、どのように過剰な設備をもっていてもすべて電力料金に転嫁でき、しかも地域独占によって競争相手にさらされずに、料金を引上げられることが、その背景である>。
<これを経済学ではアバーチ・ジョンソン効果と呼んでおり、過剰設備、非効率の典型例とされる。また、電力会社も、経済産業省の官僚も、発電所設備を拡大することで利権があるので、こうした規模拡大にさらに拍車がかかる>。
<これは例えていえば、需要者という暴投ピッチャーに合わせるために、キャッチャーを5人も6人も配置しているという状況であり(しかも、そのうち2、3人は、普段寝ている)、非効率きわまりない>。
<キャッチャーを増やすよりも、暴投ピッチャーをさっさと交代させて、需要者というピッチャーのコントロールをよくするほうがはるかに効率的である。これが、経済学でいう「ピークロード・プライシング」の考え方である。つまり、ピークを解消するために、ピーク時にのみ、高い電力料金を取るのである>。
<混雑時に電力料金がドンと引き上がれば、企業は、その前後に操業時間をずらして使用を分散したり、電力料金の安い時間に蓄電をしたり、混雑時に自家発電を行って自ら対応する。つまり、需要側の対応によりピークを均すことが可能なのである>。
混んでいるときは料金を高くする、というこの方式は、旅行業界などでは当然である。電力という資源がより希少になっているときに、料金をより高くするというのは、経済学的には当然の話だ。
<もっとも、各家庭まですべてピークロード・プライシングをするというのは、消費者は驚き、反対も大きいであろう。東京電力の電力需要の過半は企業需要であるから、まずはフランスの電力公社(EDF)が1957年から導入しているように、企業に対して、季節別・時間別・業種別のピークロード・プライシングをはじめることが現実的である>。
<これにより、ピーク時とオフピーク時の料金差は10倍以上となるので、相当の需要変動を均すことができる。消費者については、そこまでの変動は対応が難しいだろうから、徐々にはじめて2、3倍程度のピークロード・プライシングをしてはどうか。もちろん、病院や老人ホームは対象外である>。
企業から始めるのにも異論はないし、消費者もむしろ、この方式を歓迎する人が多いと思う。少なくとも、それによって計画停電のような不自由さがなくなるのならば、大歓迎ではないだろうか。
そして、最後の「原子力発電所は不要になる可能性」という項で、鈴木氏はこのように書いている。
<この需要側に働きかけるピークロード・プライシングを徹底すれば、現在の過剰な設備など必要がなくなる。つまりは、原子力発電所が不要になる可能性も高いと思われる>。
<実際、原子力発電所は一旦発電を始めると炉を落とすことが難しく、ずっと発電をつづけなければならないので、需要に応じた調整はできない。大きな需要変動を調整しているのは、じつは火力発電所なのである。このため、火力発電所の稼働率は、平均的に50%以下の水準である>。
<よく原子力発電が日本の電力供給の3割を占めているので、原子力発電なしには日本は立ち行かなくなるといわれるが、それは間違いである。原子力発電所は需要変動に対応できないために100%近い稼働率であり、火力発電所が普段は炉を落として稼働率を下げているので、原子力発電所の電力供給割合が異様に高く(火力発電の電力供給割合が異様に低く)みえるだけである>。
<これを火力発電所の稼働率を引き上げ、需要の変動をピークロード・プライシングである程度均せば、原子力発電所の発電量など、少なくとも東京電力に関しては不要となる可能性が非常に高い>。
この鈴木氏の議論が正しいのかどうか、私は判断できないが、現状の議論の多くが、「原発ありき」のバイアスがかかっていることは間違いないと思う。
原発事故によって、反原発派の主張に説得力が出てきている。しかし同時に、反原発派には少なからず、経済学やビジネスの現実を軽視し、精神論的な主張に走りがちな傾向もある。
反原発派の人は、世論が追い風になってきたいまこそ、精神論を脱却して、ここで鈴木氏が書いているような「市場メカニズム」を使って、世の中を説得すべきではないか。
まずはピークロード・プライシングなどの価格メカニズムによって、電力需要を「ならし」、現実の需要ピークを抑える方法を提示する。同時に、原発というものの真の「コスト」を、人命・健康・農作物・風評・地域経済・国の経済といった広範囲に及ぼしうるリスクに基づいて計算し、「市場に内部化」する。こうすれば、原発はとても「ペイしない」という結果になるのではないか。いままさに、このような被害が起きているのだから、この種の計算には絶好の機会だろう。
同時に、政治のレベルでも、原発や電力事業をめぐる利権や癒着構造を明らかにする。電力事業が独占され、電力ベンチャーの参入をはばんでいる制度的な障害をなくす。電力や原発について、各自治体が責任をもって自主的な判断をおこない、住民が自分の考えに合う自治体を選べるように、道州制や連邦制などの地方分権をすすめる。
これだけの事故が起きて、その大きな影響を見せつけられれば、誰だって反原発派になりそうだ。しかし、ここで精神論や属人論法による告発、「誰々が悪い」という犯人探しをいくらやっても、日本の制度設計=「構造」が変わらないかぎり、問題は解決しないだろう。利権や規制が温存されてしまえば、また同じことが起きる。事故を起こしたのは「ワルモノ」ではなく、日本の「構造」だからだ。
関連エントリ:
野口悠紀雄「40A以上の基本料金を値上げすれば、自主的な節電と利用平準化が進むだろう」
http://mojix.org/2011/03/25/noguchi-setsuden
競争によるリスク分散
http://mojix.org/2011/03/22/kyousou-risk-bunsan
日本も連邦制にすればいいのでは
http://mojix.org/2010/08/04/renpousei