2011.07.18
道路は誰のものか
道路ではクルマが中央を走り、歩行者は端を歩く。なぜ歩行者は、道路の真ん中を歩けないのだろうか。道路という公共の土地・空間において、なぜこれほどクルマが優先されるのか。

もし、街の中心部にクルマが入ってこないような自治体があったら、きっと人気を集めると思う。その自治体では、モノを運ぶトラックなどを除き、中心部にクルマが入って来れないようにする。そのトラックも、制限速度を低くしたり、電気自動車だけを許可するようにする。

もし、こういう自治体が日本にひとつでもあれば、おそらくここに人が集まってくるだろう。クルマがないというだけで、生活の質はぐっと上がると思う。クルマがない不便さよりも、クルマがない快適さのほうがまさるだろう。

クルマは、原発に似たところがある。それは一定の効率や利便性をもたらすが、リスクやコストももたらす。クルマの場合、そのコストは、いわゆる費用・カネという以上に、生活の質の低下という側面がむしろ大きい。

クルマがいいのか悪いのか、絶対的な結論を出す必要はない。単に、クルマがない自治体がひとつくらいあってもいいと思うのだ(関連:「さまざまな「社会設計」の自治体が競争するメタ社会」)。そうすれば、クルマのない街で暮らしたい人は、その自治体を選ぶことができる。


関連エントリ:
原発問題とタバコ問題は似ている 原発にも「分煙」を採りいれて、日本を分割してはどうか
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