2012.11.08
脳は他者への共感と分析的思考を両立できない
スラッシュドット・ジャパン サイエンス - 脳は他者への共感と分析的思考を両立できない(2012年11月06日 13時50分)
http://science.slashdot.jp/story/12/11/06/041257/

<「共感」に使われる脳の神経回路網が活発になるときは、「分析的思考」に使われる神経回路網が抑圧される、ということがケース・ウェスタン・リザーブ大学の研究で明らかになったそうだ(EurekAlert!本家/.)>。

<脳には社会的/道徳的/感情的に他者と繋がるときに使われるネットワークと、論理的/数学的/科学的思考に使われるネットワークがあるという。脳が休息状態にあるときはこれらのネットワークが交互に使われるが、どちらかの機能を要するタスクを行う場合、もう片方のネットワークが抑圧されることが示されたという>。

<実験では45名の健康な学生に「他者の気持ちを考えさせる問題」と「物理学を要する問題」を提示し、脳の活動をMRIで解析した。問題はそれぞれ文章問題およびビデオ問題で20問ずつ出されたとのことだが、問題の形式に関わらず片方の機能が活動している際はもう一方は抑圧されていることが明らかになったという>。

<この仕組みは自閉症やウイリアムズ症候群を例にとると分かりやすいとのこと。自閉症患者は空間視覚を伴う問題を解くのに長けているが、社会機能に問題を抱えることが多い。これに対しウイリアムズ症候群は非常に温厚で優しいという特徴を持つが、空間視覚を伴う問題に対する能力が低いことが多い>。

<今回の研究は脳に構造的な制約があり、共感することと分析的思考を同時に行えないことを示す初めての研究とのことで、非常に理知的な人でも詐欺に引っかかってしまう場合があるのはこの構造のためと考えられるとのことだ>。

これはおもしろい話。たしかに、「共感」と「分析的思考」は、両方いっぺんにはおこなえない気がする。

しかし、あらためて考えてみると、これはあたりまえのような気もする。異なる種類の精神活動をするときは、脳の異なる部位がはたらく。人間は複数のタスクを同時にこなすことはなかなかできないので、ある種の精神活動をしているときは、脳ではその精神活動に使う部位だけが活性化する。こう考えると、「共感」と「分析的思考」では異なる脳部位が使われているという話は、わりとあたりまえではないだろうか。

「共感」と「分析的思考」では異なる脳部位が使われる、ということ自体はあたりまえのような気がするが、どういう場合に「共感」の能力が発達し、どういう場合に「分析的思考」の能力が発達するか、というのはおもしろい問題だと思う。

また、一般に「共感」といわれているものも、心からの「共感」と、打算でおこなう表面的な「共感」では、別の精神活動といえるだろう。打算的な「共感」は、そのほうが自分の社会的生存に有利だという「合理的な計算」のうえでおこなわれるので、純粋な「共感」の能力とはやや異なると思う。

記事では、「共感」と「分析的思考」が両立しない例として、<非常に理知的な人でも詐欺に引っかかってしまう>というのが例にあげられている。しかし私の印象では、非常に理知的な人(=「分析的思考」に強い人)よりも、むしろ「共感」する力の高い人、いわゆる「いい人」のほうが、詐欺にひっかかりやすい気がする。詐欺にもいろいろあるが、振り込め詐欺・オレオレ詐欺などは特に、まさに「合理的な計算」によって、ターゲットの「共感」力を悪用するものだろう。

「共感」と「分析的思考」は異なるものだが、それらはいずれも、「社会的生存」の能力ともまた異なるものだと思う。つまり、「共感」の能力があっても、あるいは「分析的思考」の能力があっても、「社会的生存」の能力がないと、詐欺にだまされやすい。逆にいえば、詐欺をやる人間というのは、ある意味では「社会的生存」の能力が高いがゆえに、「社会的生存」の能力が低い者を見抜くことができるのだろう。その意味では、自分の社会的生存に有利だという計算にもとづく打算的な「共感」は、「小さな詐欺」みたいなものかもしれない。


関連エントリ:
「やる気」を生み出す脳部位「淡蒼球(たんそうきゅう)」を起動する4つのスイッチ
http://mojix.org/2009/11/01/tansoukyuu_switch
「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない」(ラ・ロシュフコー)
http://mojix.org/2009/04/05/la_rochefoucauld
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