有料コンテンツのビジネスモデルは、「有料だから無料より質が高い」というところにはない
ねとらぼ - 「無料のサイトに本気のコンテンツは載らない」――インターネット雑誌「cakes」はWebを変えるか(2012年11月06日 08時55分)
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1211/06/news023.html
<「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の編集者・加藤貞顕氏が立ち上げた、インターネット雑誌「cakes(ケイクス)」が注目を集めている。オープンから約1カ月半。現時点で有料会員数は「数千人」という>。
<加藤氏はcakesについて「いまネットにあるコンテンツは、プロが宣伝のために作ったものと、アマチュアが趣味で作ったものしかない。プロが作った“ド本気”のコンテンツが載る場所を作りたかった」と語る>。
<無料のサイトに本気のコンテンツは載らない、という考えから、現時点ではバナー広告を入れるつもりはなく、あくまで購読料モデルにこだわる。これまでは本を買わなければ読めなかった、「プロが作った本気のコンテンツ」が読めるサイトを目指したいという。そのほか、人気のあるコンテンツについてはまとめて書籍化・電子書籍化も見込む>。
「もしドラ」の編集者としても知られ、インターネット雑誌「cakes(ケイクス)」を立ち上げた加藤貞顕氏へのインタビュー記事。
すぐれたコンテンツが載る、有料の媒体をネット上につくりたい、という方向自体は賛同するのだが、「いまネットにあるコンテンツは、プロが宣伝のために作ったものと、アマチュアが趣味で作ったものしかない」とか、「無料のサイトに本気のコンテンツは載らない」というのは、ちょっと言いすぎではないだろうか。これでは、いまネットでプロが無料で書いているものは「宣伝のために作っている」「本気で書いていない」と言っているようなものだろう。
プロが原稿料をもらって書いたものは、ネットにある平均的なコンテンツに比べれば、比較的質の高いコンテンツになるだろう。これは疑いない。しかし、原稿料をもらっていないからといって、「本気で書いていない」とか、質が低くなる、とは言えないだろう。
むしろ逆に、プロが原稿料をもらわずに書いているもののほうが、原稿料をもらって書いているものより質が高くなる、ということすらありえる。原稿料をもらって書いているものは、もちろんそれなりに質が高いのだが、プロが原稿料をもらわなくても自主的に書くということは、それだけ本気で書きたいということであり、だからさらに質が高い、ということもありえるのだ。
「無料では書かない」というポリシーを持つプロは、たくさんいる。だから、無料で書く場合は、本気を出さないとか、宣伝しか書かない、という人もたくさんいるのだろう。しかし、無料であってもつねに本気を出し、宣伝ではないものを書くプロも、たくさんいるだろう。原稿料をもらう原稿よりも、無料で自主的に書いている原稿のほうが、むしろ本気を出す、というプロすら存在する(私はそういう人を実際に知っている)。プロといっても、ポリシーは人それぞれだろう。
私がネットで見かける範囲でも、その分野のプロと思われる人が書いている、中身のあるブログはたくさん存在する。こういうブログが、無料だから本気でないとか、宣伝目的で書いている、というふうには、私には思えない。
また、プロではないのに、面白いものを書いている人もたくさんいる。むしろ、これが大部分だろう。だからこそ、原稿料をもらえる「プロ」を増やしたい、というのが加藤氏の真意なのだろうと思う。私もそれは賛同する。書く人のキャリアという観点では、「好きなことは仕事にすべし」というのが私の考えなので、書き手が収入を稼げる仕組みは、もっと増える必要がある。
有料コンテンツのビジネスモデルというのは、「有料だから無料より質が高い」というところにはない、と私は考えている。無料の世界にも、面白い人、力のある人は山ほどいて、その人の書くものはいつも面白い。いつも面白い人にはファンがつき、そのうち一定数は、「有料であっても、この人のものなら読みたい」というくらいのファンになる。これこそ、有料コンテンツを成り立たせるビジネスモデルだろう。これは音楽とか、お笑いなどでもおそらく同じだ。コンテンツはかなりの程度まで無料で広めておいて、コアなファンに対して、ライヴやDVD、グッズなどで稼ぐ。いわゆるフリーミアム・モデルの一種であり、「信者ビジネス」「信者モデル」などとも呼ばれるものだ。これを成り立たせるには、無料部分の質が低いとか、本気でない、宣伝である、というのではダメだろう。無料部分もつねに質が高くて、つねに本気である、というのでなければ、ファンはついてこない。
「有料だから質が高い」「無料だから質が低い」という考え方は、要するに古いのだ。この古い考え方こそが、皮肉なことに、ネット上の有料コンテンツや課金モデル、フリーミアム・モデルへの移行を、むしろジャマしているのではないか。音楽のダウンロードを規制し、無料コンテンツを締め出そうとする音楽業界の姿勢が、むしろ音楽ファンを減らし、音楽の売上げを落とす、というのと似ている。
「無料」を軽んじたり、「無料」をシャットアウトしようとするのは、ファンが入ってくる入口をふさぐようなものだ。むしろ、本気で「無料」をやって、ファンを増やすべきなのだ。それがほんとうに面白いものであれば、お金を払ってもいい、というコアなファンはかならず出てくる。
関連:
ウィキペディア - フリーミアム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95..
関連エントリ:
好きなことは仕事にすべし
http://mojix.org/2005/01/06/234745
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1211/06/news023.html
<「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の編集者・加藤貞顕氏が立ち上げた、インターネット雑誌「cakes(ケイクス)」が注目を集めている。オープンから約1カ月半。現時点で有料会員数は「数千人」という>。
<加藤氏はcakesについて「いまネットにあるコンテンツは、プロが宣伝のために作ったものと、アマチュアが趣味で作ったものしかない。プロが作った“ド本気”のコンテンツが載る場所を作りたかった」と語る>。
<無料のサイトに本気のコンテンツは載らない、という考えから、現時点ではバナー広告を入れるつもりはなく、あくまで購読料モデルにこだわる。これまでは本を買わなければ読めなかった、「プロが作った本気のコンテンツ」が読めるサイトを目指したいという。そのほか、人気のあるコンテンツについてはまとめて書籍化・電子書籍化も見込む>。
「もしドラ」の編集者としても知られ、インターネット雑誌「cakes(ケイクス)」を立ち上げた加藤貞顕氏へのインタビュー記事。
すぐれたコンテンツが載る、有料の媒体をネット上につくりたい、という方向自体は賛同するのだが、「いまネットにあるコンテンツは、プロが宣伝のために作ったものと、アマチュアが趣味で作ったものしかない」とか、「無料のサイトに本気のコンテンツは載らない」というのは、ちょっと言いすぎではないだろうか。これでは、いまネットでプロが無料で書いているものは「宣伝のために作っている」「本気で書いていない」と言っているようなものだろう。
プロが原稿料をもらって書いたものは、ネットにある平均的なコンテンツに比べれば、比較的質の高いコンテンツになるだろう。これは疑いない。しかし、原稿料をもらっていないからといって、「本気で書いていない」とか、質が低くなる、とは言えないだろう。
むしろ逆に、プロが原稿料をもらわずに書いているもののほうが、原稿料をもらって書いているものより質が高くなる、ということすらありえる。原稿料をもらって書いているものは、もちろんそれなりに質が高いのだが、プロが原稿料をもらわなくても自主的に書くということは、それだけ本気で書きたいということであり、だからさらに質が高い、ということもありえるのだ。
「無料では書かない」というポリシーを持つプロは、たくさんいる。だから、無料で書く場合は、本気を出さないとか、宣伝しか書かない、という人もたくさんいるのだろう。しかし、無料であってもつねに本気を出し、宣伝ではないものを書くプロも、たくさんいるだろう。原稿料をもらう原稿よりも、無料で自主的に書いている原稿のほうが、むしろ本気を出す、というプロすら存在する(私はそういう人を実際に知っている)。プロといっても、ポリシーは人それぞれだろう。
私がネットで見かける範囲でも、その分野のプロと思われる人が書いている、中身のあるブログはたくさん存在する。こういうブログが、無料だから本気でないとか、宣伝目的で書いている、というふうには、私には思えない。
また、プロではないのに、面白いものを書いている人もたくさんいる。むしろ、これが大部分だろう。だからこそ、原稿料をもらえる「プロ」を増やしたい、というのが加藤氏の真意なのだろうと思う。私もそれは賛同する。書く人のキャリアという観点では、「好きなことは仕事にすべし」というのが私の考えなので、書き手が収入を稼げる仕組みは、もっと増える必要がある。
有料コンテンツのビジネスモデルというのは、「有料だから無料より質が高い」というところにはない、と私は考えている。無料の世界にも、面白い人、力のある人は山ほどいて、その人の書くものはいつも面白い。いつも面白い人にはファンがつき、そのうち一定数は、「有料であっても、この人のものなら読みたい」というくらいのファンになる。これこそ、有料コンテンツを成り立たせるビジネスモデルだろう。これは音楽とか、お笑いなどでもおそらく同じだ。コンテンツはかなりの程度まで無料で広めておいて、コアなファンに対して、ライヴやDVD、グッズなどで稼ぐ。いわゆるフリーミアム・モデルの一種であり、「信者ビジネス」「信者モデル」などとも呼ばれるものだ。これを成り立たせるには、無料部分の質が低いとか、本気でない、宣伝である、というのではダメだろう。無料部分もつねに質が高くて、つねに本気である、というのでなければ、ファンはついてこない。
「有料だから質が高い」「無料だから質が低い」という考え方は、要するに古いのだ。この古い考え方こそが、皮肉なことに、ネット上の有料コンテンツや課金モデル、フリーミアム・モデルへの移行を、むしろジャマしているのではないか。音楽のダウンロードを規制し、無料コンテンツを締め出そうとする音楽業界の姿勢が、むしろ音楽ファンを減らし、音楽の売上げを落とす、というのと似ている。
「無料」を軽んじたり、「無料」をシャットアウトしようとするのは、ファンが入ってくる入口をふさぐようなものだ。むしろ、本気で「無料」をやって、ファンを増やすべきなのだ。それがほんとうに面白いものであれば、お金を払ってもいい、というコアなファンはかならず出てくる。
関連:
ウィキペディア - フリーミアム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95..
関連エントリ:
好きなことは仕事にすべし
http://mojix.org/2005/01/06/234745