2012.12.05
「信頼できる人」とはどういう人か
先日の「菅直人前首相は、考え方は賛同できないが、人間としては信頼できる」には、大きな反響があった(例:ツイッターはてなブックマーク)。民主党の支持者とアンチが入り乱れ、さらに菅氏への評価も割れていて、賛否両論のようだ。また、ビール箱の写真(笑)に対する賛否も割れていて、クサい演出だという声もけっこうある。


「原発ゼロ」と書いたビール箱の上で演説する菅直人前首相

私が「菅直人前首相は、考え方は賛同できないが、人間としては信頼できる」を書いたのは、私は以前から、菅氏はあまりにも低評価で、叩かれすぎだと感じていたところに、ビール箱で演説する菅氏を嘲笑するようなコメントを見かけて、菅氏を擁護せずにはいられなくなったからだ。ビール箱の写真が面白いので、ぜひ採り上げたかったというのもある(笑)。

私が菅氏について、「考え方は賛同できないが、人間としては信頼できる」と書いたのに対し、むしろ人間として信頼できない、という声もけっこうあった。人によって感じ方が違う部分はもちろんあると思うが、私が「人間として信頼できる」と書いた意味が、あまり伝わらなかったように思えるので、それについて補足したい。

私にとって「信頼できる人」とは、聖人君子であるとか、すばらしいリーダーである、といった意味ではない。「正直な人」「誠実な人」くらいの意味に近い。菅氏は「イラ菅」というあだ名でも知られている通り、イライラしがちな人のようだし、それほど人望があるとは私も思っていない。当時は「菅直人首相の「孤食」」なんていう記事もあった。今回もビール箱の上で、いわば孤独に演説しているわけだ。

菅氏も人間だから、そういう完璧でないところ、苦手なところはもちろんたくさんあるだろう。反響の中には、「カッコつけ」「見栄っぱり」「パフォーマンス好き」といった評価もあり、私もそれはわかる感じがする。菅氏はぜんぜん聖人君子ではなく、すごく人間っぽいと思う。それも全部承知の上で、それでも菅氏の「正直さ」「誠実さ」「信念の強さ」みたいなものは、揺るぎないものがある、と私は感じるのだ。

それが特によくあらわれたのが、まさに原発事故への対応だった。たしかに、菅氏は出しゃばりすぎたり、怒鳴ったり、いろいろヘマもあったと思う。しかし、とにかく事故を収束させるという菅氏の決意と責任感を、当時の私は強く感じた。このときの首相が菅氏だったことは、日本にとってまさに不幸中の幸いだった、と私は思う。

菅氏はイライラしたり、怒鳴ったり、カッコつけかもしれないが、逃げたり、ごまかしたり、ウソをついたりしない人だろう、と私は感じている。それが私にとっての、「人間として信頼できる」という意味だ。

友人としてつきあったり、いっしょに仕事する相手としては、私は「信頼できる人」がいい。考え方が近かったり、賛同できる点が多い人だとしても、ウソをついたり、意地悪だったり、誠実でない人とは、私はあまりつきあいたくない。「菅直人前首相は、考え方は賛同できないが、人間としては信頼できる」というタイトルや、その中で書いた「賛同と信頼は異なる」というのは、このような意味が込められている。


関連エントリ:
菅直人前首相は、考え方は賛同できないが、人間としては信頼できる
http://mojix.org/2012/12/02/kan-trust