2013.02.05
桑原武夫の第二芸術論(1946年) 「俳句は老人や病人の余技にふさわしい」
ウィキペディア - 第二芸術
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC..

<「第二芸術 ―現代俳句について―」(だいにげいじゅつ げんだいはいくについて)は、『世界』1946年11月号に掲載された桑原武夫の論文。同年に同論文を表題作とする評論集(岩波書店刊)に収録された。俳句という形式は現代の人生を表しえないなどとして、俳句を「第二芸術」として他の芸術と区別するべきと論じたものであり、当時の俳壇に大きな論争を引き起こした(第二芸術論争)>。

フランス文学者の桑原武夫(1904-1988)は、1946年、『世界』誌上で「第二芸術 ―現代俳句について―」という論文を発表。俳句は他の芸術より格が低く、「第二芸術」とすべき、と主張したそうだ。

<この論文の中で桑原はまず作者名を伏せたうえで、大家の作品のなかに無名の作者のものを混ぜた15の俳句作品を並べ、作品からは素人と大家の優劣をつけることができないとする。ここから俳句においては大家の価値はその党派性によって決められるものであるとして批判し、また近代化している現実の人生はもはや俳句という形式には盛り込みえず、「老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしい」ものとして、強いて芸術の名を使うのであれば「第二芸術」として区別し、学校教育からは締め出すべきだという結論を導き出している>。

これは強烈な批判である。俳句なぞ、老人や病人の余技にふさわしいものであり、学校教育から締め出せというのだ。

<桑原の挑発的な論調もあってこの論文は俳人たちの間で多くの反論を引き起こした。主な論者は山口誓子、中村草田男、日野草城、西東三鬼、中村草田男、加藤楸邨などで、山口と桑原は毎日新聞紙上で「往復書簡」のやりとりをしている。反論側の要旨は俳句の党派性などの弊害をある程度認めつつ、桑原の鑑賞力の低さや俳句に対するそもそもの非好意的な態度を批判するもので、中でも中村草田男が激しい反論を行った。戦後の当時は俳人たちも俳句のあり方を模索していた時期であり、この論争はその後社会性俳句運動などが生まれる遠因ともなった>。

俳句の人たちは、もちろん怒った。反論では、<桑原の鑑賞力の低さや俳句に対するそもそもの非好意的な態度を批判>したとのことだが、これは当然だろう。

しかし、桑原武夫が俳句を強烈に批判したことで、俳句の人たちがヒートアップし、なんとか反論してやろうと、議論が盛り上がった。世間からも、俳句に注目が集まっただろう。<その後社会性俳句運動などが生まれる遠因ともなった>というから、俳句が前進するきっかけにもなったわけだ。

この手の論争は1対1のものが多いが、これの場合、桑原武夫が1人で、俳句をまるごとぶった斬りである。それが雑魚(ざこ)であれば相手にされないだろうが、桑原武夫は力量を認められているから、俳句の人たちは反論せざるをえない。桑原武夫はこの論争を通じて、俳句を活性化させ、むしろ俳句に貢献したと言えるかもしれない。


関連:
ウィキペディア - 俳句
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%B3%E5%8F%A5

関連エントリ:
サラリーマン川柳
http://mojix.org/2008/12/07/salaryman-senryuu
タグ: