2013.05.10
あの源頼朝の絵は、実は足利直義だった!?
歴史ニュースウォーカー - それでも「イイクニつくろう鎌倉幕府」が正しい、たった一つの理由【続編追加】(2013-03-27)
http://d.hatena.ne.jp/emiyosiki/20130327/p1

<後段のことは、なんのことかというと、美術史家の米倉迪夫さんが1995年に、下の本で、頼朝像として有名な例の絵は、足利尊氏の弟・直義(ただよし)だよ~と衝撃の説を発表したのです>。

<研究者は今ではみなこの絵は、頼朝ではないと考えています>。

なんと、教科書にのっていた源頼朝のあの絵は、じつは源頼朝ではなかった、という説がいまは有力らしい。

ウィキペディアの「神護寺三像」に、詳しい解説があった。あの源頼朝の絵は、この「神護寺三像」の1枚らしい。

ウィキペディア - 神護寺三像
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E..

<神護寺三像(じんごじさんぞう)は、京都神護寺が所蔵する三幅の肖像画。「絹本着色伝源頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能像」として1951年(昭和26)に国宝の指定を受けた>。


伝源頼朝像


伝平重盛像

上の絵が源頼朝(みなもとのよりとも)で、下の絵が平重盛(たいらのしげもり)だ、というのがこれまでの通説だったが、近年の研究で、上の絵は足利直義(あしかがただよし)、下の絵は足利尊氏(あしかがたかうじ)である、という説が有力になってきているらしい。詳しくは、ウィキペディアの解説を読んでみてほしい(かなり踏み込んでいて、おもしろい)。

この解説を読んだ範囲では、足利直義と足利尊氏だという説のほうが、たしかに有力な感じがする。特に、<「伝重盛像」と「伝頼朝像」は眼の表現と顔の上げ方以外瓜二つであり、これは両者が対として制作された可能性が高いことを示す。通説では、氏素性が異なる頼朝と重盛をここまで近い容貌で描く理由が説明できない>といったあたりは、とても説得力がある。「伝重盛像」と「伝頼朝像」は、左右対称に近いくらいそっくりなのだ。

ウィキペディア - 足利直義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3..

<足利 直義(あしかが ただよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将。河内源氏義国流、足利氏の嫡流・足利貞氏の三男。室町幕府初代将軍、足利尊氏の同母弟。足利将軍家の一門。世に副将軍と称される>。


『英雄百人一首』より

このページにある足利直義の絵を見ても、たしかに「伝源頼朝像」の顔と似ている。

それにしても、ずっと源頼朝と平重盛だと思われていた絵が、じつは足利直義と足利尊氏だったとすれば、とんでもない人違いである。これほど大胆な間違いが、これまでずっと通用してきたのも驚きだし、それが研究によってひっくり返された、というのも驚きだ。歴史っておもしろい。


関連エントリ:
「メナム川」は間違いだった
http://mojix.org/2009/04/23/menamugawa