「自分のことを棚にあげる」ことはなぜ可能なのか
「自分のことを棚にあげる」ことは、なぜ可能なのか。
考えたり、判断をくだす自分(以下「自分A」)と、実際に行動する自分(「自分B」)が、異なるからだろう。
自分のことを棚にあげながら、他人に対して意見を言う自分は、自分Aである。このとき「棚にあげられている自分」は、自分Bである。「自分のことを棚にあげる」とは、自分Bは実現できていないけれども、自分Aとしての考えを言うよ、ということだ。
自分Bが実現できていないのであれば、自分Aとしての意見には、あまり説得力がない。しかし、間違っていることにはならない。自分のことを棚にあげた意見は、あまり説得力はないかもしれないが、間違っていることにはならず、正しいかもしれない。
自分Aが正しいと思うことを、自分Bが実現できていない、ということはよくある。自分Aはいわば監督であり、自分Bはいわば俳優、プレイヤーである。自分Aは「理想」であり、自分Bは「現実」である。
関連エントリ:
自分は2人いる
http://mojix.org/2005/07/18/222321
考えたり、判断をくだす自分(以下「自分A」)と、実際に行動する自分(「自分B」)が、異なるからだろう。
自分のことを棚にあげながら、他人に対して意見を言う自分は、自分Aである。このとき「棚にあげられている自分」は、自分Bである。「自分のことを棚にあげる」とは、自分Bは実現できていないけれども、自分Aとしての考えを言うよ、ということだ。
自分Bが実現できていないのであれば、自分Aとしての意見には、あまり説得力がない。しかし、間違っていることにはならない。自分のことを棚にあげた意見は、あまり説得力はないかもしれないが、間違っていることにはならず、正しいかもしれない。
自分Aが正しいと思うことを、自分Bが実現できていない、ということはよくある。自分Aはいわば監督であり、自分Bはいわば俳優、プレイヤーである。自分Aは「理想」であり、自分Bは「現実」である。
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http://mojix.org/2005/07/18/222321