2013.05.19
丸暗記はやっぱり必要である
私は、暗記が苦手である。

高校までは、数学や物理がわりと得意だった(その後、大学で挫折)。数学や物理は、少ない原理をちゃんとマスターしていれば、それだけで問題が解ける。たくさん暗記する必要がないので、私に向いていた。

私は文章の読み書きが好きなので、国語と英語も、まあまあできた。英語でも、単語や熟語はたくさん暗記する必要があったが、それほど苦しみを感じなかった。私は「ことば」が好きなんだと思う。

いっぽう、まるでダメだったのが、歴史である。歴史というのは、当時の私にとっては、とてつもない量の用語を、ただまるごと暗記する科目、というふうにしか見えなかった。まるごと暗記のうえに、私は歴史というものにまるで興味がなかったために、さっぱりアタマに入らなかった。

大人になってからは、だんだん歴史に興味が出てきて、たまに歴史の本を読んだりしている。もう受験勉強をする必要もないので、じつに気がラクだ。暗記するのではなく、単純に歴史を楽しむことができる。

しかし、こうして歴史の本を読んでいると、受験の頃に無理やり覚えた日本史の知識が、それなりに役に立っていることに気づくのだ。

私はいまでも、ただの丸暗記が多い受験勉強というものに、わりと懐疑的ではある。しかし、ちゃんと理解するためにも、まずはあるていどの枠組みが必要だろう。その枠組みを作るには、最初は丸暗記しかないような気もするのだ。

最初から丸暗記でなく、「ちゃんと理解する」学習ができれば、理想的だろう。しかし、数学や物理ならともかく、日本史のようなものを「ちゃんと理解する」方式で進めていったら、いくら時間があっても足りない。

数学や物理なら、少数の原理をちゃんと理解できるかどうか、それがすべてである。パターンを丸暗記するのではなく、原理とロジックを理解する必要がある。しかし日本史のような学問は、たくさんの知識によってできあがっていて、少数の原理に還元できるようなものではない。知識自体が素材であり、たくさんの知識があつまって学問になっている。

少なくとも日本史のような学問では、あるていどまとまった量の丸暗記が、やっぱり必要だろう。いまの私は、そう思う。


関連エントリ:
教科書が無味乾燥である理由
http://mojix.org/2010/11/20/kyoukasho-mumikansou
世界史が得意な人を尊敬する
http://mojix.org/2008/08/03/sekaishi_nigate