2013.05.30
ネットは「活字の敵」というよりも、むしろ「活字の友」ではないか
以前、「ネットの文字は「活字」に入らないのか」というのを書いた。ネットの文字も活字に含めれば、若者は「活字離れ」しているどころか、活字はむしろ、若者のあいだで復活していると言えるだろう。

ネットが出てくる前も、この種の「最近の若者は本を読まない」みたいな話は、よく言われていた。

ネット以前の「活字の敵」は、主にテレビ、マンガ、ゲームの3つだったと思う。親が子供に「勉強しなさい」と説教するとき、

「テレビばかり見ていないで、勉強しなさい」
「マンガばかり読んでいないで、勉強しなさい」
「ゲームばかりしていないで、勉強しなさい」

というのが、いずれも定番だった。

テレビ、マンガ、ゲームに比べると、ネットというのは、活字の割合がかなり多い。また、一方的に受け身ではなく、主体的に選ぶ幅も大きいし、かんたんに発信もできる。というよりも、ネットはかんたんに発信できるから、コンテンツが多くなり、選ぶ幅も大きくなっているのだろう。

ネットは「活字の敵」というよりも、むしろ「活字の友」ではないだろうか。多様な情報があるのに加えて、自分でもかんたんに発信できる。こんなメディアは、これまで存在しなかった。

その意味では、むしろ年長者や親のほうが、多様な情報に触れたり、自分から情報発信するといった経験を、これまであまりしてこなかったのだ。年長者や親のほうが、むしろネットに適応すべき立場にある、と言えるかもしれない。テレビばかり見ているのは、いまや老人のほうである。

マスコミがネットの危険性をあおる、みたいな構図も、以前はよく見かけたが、最近はわりと減ったように感じる。いまやマスコミも、ネットと共存し、ネットをむしろ活かしていく、というふうに、だんだん変わってきたのだろう。

ネットは活字と対立するものではないし、マスコミと対立するものでもない。活字やマスコミに限らず、すべてのものについて、そう言えるのではないか。いまや、ネットはすべてを飲み込みつつあり、すべてがネットに飲み込まれつつある。


関連エントリ:
年寄りには、若者を嘆いているヒマはない
http://mojix.org/2013/04/08/toshiyori-wakamono
ネットの文字は「活字」に入らないのか
http://mojix.org/2013/04/06/net-moji-katsuji