2013.06.05
ルールが守られていないとき、おかしいのはルールのほうかもしれない
YOMIURI ONLINE - 国家公安委員長、交通違反の取り締まりに苦言(2013年6月4日12時13分)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130604-OYT1T00571.htm

<古屋国家公安委員長は4日の閣議後の定例記者会見で、警察による交通違反の取り締まりについて、「取り締まりのための取り締まりになっている傾向がある」と苦言を呈し、あり方を見直す必要があるとの考えを示した>。

<古屋委員長は「取り締まりは事故防止に役立つことが大切だ」と指摘。歩行者のいない50キロ制限の片側2車線の直線道路を例に挙げ、「交通の流れで70キロくらい出る。そういう所(での取り締まり)は疑問」と述べた。欧州では歩行者が多く道路の幅が狭い街中などで厳しい取り締まりをしているという>。

これは、「50キロ制限の道路でも、70キロくらい出してもかまわない」と、国家公安委員長がみずから認めてしまっているのと同じだろう。

じっさい、多くの人がそう思っているわけで、要するに、ルールが有名無実化しているわけだ。

ルールが有名無実化していて、多くの人がルールを守っていないとき、おかしいのはルールのほうかもしれない。そのルールが現実にフィットしていないために、多くの人がルールを守ることができないのだ。ルールはつねに正しいわけではない。


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