2009.08.18
郷原信郎『「法令遵守」が日本を滅ぼす』 法令と実態が乖離した「法治国家ではない日本」
セブンイレブンの値引き問題(見切り販売)について書いた先日のエントリ(「セブンイレブンを擁護する 「強者か弱者か」ではなく「公正(フェア)かどうか」で判断すべき」、「セブンイレブンの値引き問題 「消費者保護」は必ずしも消費者の利益にならない 」)は、いずれもかなりの反発を受けた(「はてなブックマーク - セブンイレブンを擁護する 「強者か弱者か」ではなく「公正(フェア)かどうか」で判断すべき」、「はてなブックマーク - セブンイレブンの値引き問題 「消費者保護」は必ずしも消費者の利益にならない」)。

このうち最初のエントリについては、2つめのエントリで書いたように、単純に私の無知に起因した論旨を含んでいるので、それに対する指摘はもっともである。しかしそれにしても、2つのエントリに対する反発の多くが感情的なもので、かつ「総叩き」に近いくらいほぼ否定一色だというのは、単に「残念」という以上に、何か理由があると感じた。

私はこれまでも、解雇規制の議論などでしばしば反発を受けており、反発にはわりと慣れている。しかし今回のセブンイレブンの話題に対する反発には、何かこれまで以上の「熱量」があり、いわゆる「炎上」と言っていいレベルだと思う。

この「炎上」には、おそらく理由がある。私は「虎の尾を踏んだ」のだ。つまり今回のセブンイレブンの問題には、「虎」がいるのである。

郷原信郎(ごうはら のぶお)氏の『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書、2007年)という本には、その「虎」のヒントがある。

新潮新書 - 「法令遵守」が日本を滅ぼす 郷原信郎/著
http://www.shinchosha.co.jp/book/610197/



<閉塞感、事なかれ主義、蔓延する弊害の数々……。あなたの会社もコンプライアンス病?
「申し訳ございません。違法行為を二度と起こさないよう、コンプライアンスを徹底いたします」とは、不祥事を起こした際の謝罪会見での常套句。だが、こうした「コンプライアンスとは単に法を守ること」と考える法令遵守原理主義そのものが、会社はおろか、この国の根幹をも深く着実に蝕んでいるのだ。世の中に蔓延する「コンプライアンス病」の弊害を取り上げ、法治国家とは名ばかりの日本の実情を明らかにする>。

<郷原信郎(ゴウハラ・ノブオ) 1955(昭和30)年島根県生まれ。東京大学理学部卒。東京地検特捜部、長崎地検次席検事などを経て、2005年から桐蔭横浜大学法科大学院教授、同大学コンプライアンス研究センター長。警察大学校専門講師、防衛施設庁や国土交通省の公正入札調査会議委員なども務める>。

この本は、『「法令遵守」が日本を滅ぼす』というそのタイトルの通り、「法令遵守は正義だ」という通念をぶち壊してくれる、実に面白い本だ。

まえがきより一部抜粋してみよう。

<確かに、日本には憲法があり、数多くの法律が制定され、国や地方の行政も法律に基づいて行われています。市民生活もさまざまな場面で法律とのかかわりを持たざるを得ませんし、企業活動のルールも法律で定められています。しかし、社会の現実を見ると、わが国が実質的な意味で法律によって治められている国だと言えるかどうかは疑問です>。

<法律が定める制度は、内容が社会の実情に適合し、個人や企業の側に法律を順守する意識が定着していれば、その機能が十分に発揮されます。この場合、法律違反行為に対して、その程度と悪質性に応じた制裁を科すことが違反行為を抑止し制度を健全に維持する上で大きな役割を果たします。
 しかし、従来のわが国のように、法律に基づかない行政指導によって個人や企業の活動がコントロールされ、非公式な話し合いによる解決が常態化している場合には、法律で定める制度は、しばしば社会の実体と乖離し、違法行為が常態化することになります。そこでは、法律に基づく制裁を科することで法律順守を確保するという手法は用いられず、法律に定められた罰則が実際に適用されることもほとんどありません。ところが、たまたま内部告発などで違法行為が表面化すると、行為者や企業に対して厳しい社会的非難が浴びせられ、ここぞとばかりに刑事罰などの制裁が科されることになります。
 しかし、それだけでは本当の問題の解決にはなりません。それ以上に重要なことは、法律が十分に機能していないという現実とその背景となっている構造的要因をどのように是正するかです>。

この部分に続けて、以下のような指摘がある。

・「コンプライアンス」に対する意識は高まっているが、日本でのそれは「法令遵守」という意味に過ぎない
・公共調達をめぐる談合問題、ライブドア・村上ファンド事件、耐震強度偽装事件など、最近社会問題となった経済事件の多くは、何らかの形で法令やその運用が経済実態と乖離していることが背景になっている
・法令と実態の乖離という問題が解消されていないのに、「法令遵守」のひと言で問題を片付けてしまおうとすることが、一層深刻な事態を招いている
・官庁の認識と経済社会の実情がズレており、官庁発表報道、「法令遵守的報道」をたれ流す御用マスコミが、そのズレを一層ひどくする
・「法令遵守」に埋め尽くされる状況の中で、企業は違法リスクを恐れて、「事なかれ主義」やモチベーション低下、閉塞感が生まれている
・賢明な人はこの構造に気づいているが、表立って口にはしない。法治国家の国民にあるまじき言動と軽蔑されるのが怖いからだ

この部分の指摘は、この本のエッセンスとも言えるものだ。日本では「法令と実態が乖離」しているにもかかわらず、「法令遵守」が幅を利かせている。これでは日本が滅びる、というのがこの本の中心的な主張である。

<日本は、戦争による経済の崩壊の危機から僅か四半世紀余りで、世界第2位の経済大国へと奇跡の経済復興を遂げました。しかし、それを支えてきた官僚統制的経済は、一方で「市民社会・経済社会との法令の乖離」「法令と実態の乖離」という副産物を生じさせました。それが「非法治国家たる法令国家」という、他にはほとんど例がないであろう奇妙な組合せを生じさせたのです。
 このような状況の下で、「法令を守れば良い」「法令にしたがって物事の是非を判断すれば良い」という、通常の法治国家においては当然の法令遵守を単純に推し進めていけば、社会の混乱と矛盾が極限に達することは確実です。その結果もたらされる国家の衰退は、第二次世界大戦後の奇跡の経済復興と同程度に、歴史上稀な出来事として後世に語り継がれることになるかもしれません>。

このあとの各章では、「法令と実態が乖離」している日本の状況が詳しく説明されていく。以下の目次を見れば、どういう本なのかの雰囲気は伝わると思う。

第1章 日本は法治国家か

非公式システムとしての談合/官民一体の違法制度づくり/合理的な「富の配分システム」/公然と行なわれた違法行為/生じ始めた弊害/「隠蔽」を生んだ制裁強化/独占禁止法の不幸な生い立ち/企業は放っておけば悪事を働く?/全面開花した独禁法/企業に脅威の課徴金/公取委と独禁法の敗北/形だけの談合排除宣言/証拠隠しと徹底抗戦/白旗を上げたゼネコン/そして危機に陥る公共工事

第2章 「法令遵守」が企業をダメにする

ライブドア事件は事件か?/かねてから批判されていた経営手法/唐突な検察の違法判定/危うい「村上ファンド事件」捜査/大きく歪んだ法律の意義/インサイダー取引容疑は成立するのか/形式的には法を守ったライブドア/法令遵守が市場をダメにする/法の失敗が招いた耐震強度偽装事件/安全を支えたのは「信用」と「倫理」/建築基準法の幻想/法の強化は安全確保につながらない/不正車検事件の本末転倒/パロマ事故はなぜ事件になったのか/法令遵守が引き起こした社会的非難

第3章 官とマスコミが弊害を助長する

「法令遵守」の弊害/組織の隙間が危ない/法の背後には何があるのか/国家予算という法令/法に基づかない行政指導/経済社会から切り離された官僚たち/違法か否かにこだわるマスコミ報道/当局の判断に追従する記者クラブ/コスト・パフォーマンスのよい「善玉」「悪玉」報道

第4章 日本の法律は象徴に過ぎない

特殊な日本の司法/法律家は巫女のような存在/象徴に過ぎなかった経済法令/密接に関連しあう法律たち/経済活動に介入し始めた検察/特捜検察の武器は「贈収賄」/世論に敏感な捜査方針/求められる経済検察としての役割

第5章 「フルセット・コンプライアンス」という考え方

フルセット・コンプライアンスの五つの要素/潜在的な社会要請を把握せよ/組織づくりに完成はない/いかに組織を機能させるか/頭を下げただけでは不祥事再発は防げない/世間に問題を認識させる/パロマが陥った罠/東横インに足りなかったもの

終章 眼を持つ組織になる

法令は環境変化を知る手がかり/環境変化と企業活動/組織は「環境への適応」で進化する/眼を持つ組織になる

(この目次は同書のページにある)

例えば、今回のセブンイレブンの問題に比較的関連するところでは、第1章に次のような部分がある。

<独禁法をどのような法律ととらえるのかについては様々な考え方がありますが、企業と企業との間の競争のあり方を定める「競争法」ととらえるのが基本的な考え方だと思います。つまり、企業社会で競争が適切に機能することが国の経済の発展に繋がり、それによって消費者、国民も利益を得るということです。
 ところが偽牛缶事件を契機に、独禁法とその運用を行なう公取委の役割は、企業から不当な利益を取り上げて消費者を守ることだという方向に大きく偏ることになりました。企業は放っておくと悪いことをする、悪いことをする企業から消費者を守るのが独禁法だという、「消費者保護法」としての性格が強くなったのです。
 もちろん、競争を意図的に制限することで企業の側が儲ければ、最終的には消費者が損をするということになるのは間違いありません。しかしそのことを強調し過ぎると、独禁法は、消費者側と企業側との階級対立を前提にしたイデオロギー的な法律ということになります。
 独禁法学者による同法の解釈には、多分にそういう傾向があります。独禁法の運用強化を求め、公取委の応援団になってきたのは常に消費者団体だったのです。アメリカの法律家協会には独禁法部会という独立した組織があるのに、日弁連で独禁法の問題を扱っている部署が消費者問題の部会に含まれているのはそういう経緯によるのです>。

この部分のあと、昭和40年代後半の石油ショック時についての記述があり、独禁法が消費者保護法としての性格をさらに強めていった経緯の解説がある。

<狂乱インフレの被害者の消費者が、便乗値上げカルテル、買占め・売り惜しみをする悪徳企業に痛めつけられている、という対立構図でとらえるマスコミは、反企業キャンペーンを展開し、その期待を一身に集めた公取委が、様々な業界のカルテルを次々と摘発していきました。
 それでもカルテルが一向に後を絶たないと言って行なわれたのが、石油元売各社が全油種について価格引き上げの合意をしたという石油カルテル事件の刑事告発でした。この事件の告発によって、消費者の味方の公取委が「伝家の宝刀」を抜き、狂乱インフレで痛めつけられていた消費者を守ったというイメージが、国民全体に定着することになりました>。

この部分の解説を読むと、今回のセブンイレブンの問題について、公取委が「弱者保護のための介入」をおこなっていると私が感じたのは、まったくのピントはずれでもないように思える。

今回のセブンイレブンの問題は、私から見れば、定価販売でコンビニのビジネスがすでにうまく回っている現状に対して、いまさら「定価販売の強制は独禁法違反だ」という理屈でそれを壊しにかかっている、というふうに見える。これはまさに、郷原氏のいう「法令遵守」そのものであって、法律が現実社会に追いついていないことを考慮せずに、法律を強行的に適用するような態度ではないだろうか。現状では、コンビニ本部が加盟店に対して定価販売を強制すると<違法行為>になるので、あの手この手で圧力をかけざるをえない、という状況だろう。これはコンビニが悪いというよりも、法律が現状に合っていないという側面が強いように思う。

この問題に対する私の見方が強い感情的反発を生んだ理由、冒頭に書いた「虎」の正体も、これで見えてくる。日本の独禁法は、「消費者保護法」としての性格が強く、「消費者側と企業側との階級対立」というイデオロギーと親和性がある。まずこの点において、私がセブン側を擁護することは、反発を食らいやすい側に立つことである。さらに、セブンはすでに公取委から排除措置命令を受けており、いわば「悪者として公認」されている。私はその処置に対して、ほんとうに「公正(フェア)」だろうか?と疑問を出したわけだが、「法令遵守」的な態度からすれば、独禁法や公取委は「公正」そのもの、いわば「公正の権化(ごんげ)」であり、その公正さに疑問を持つなど、神を冒涜するようなものだろう。

つまり「虎」の正体とは、「法令遵守」の正義を疑わない「消費者」だったのだ。私は「消費者」でなく「企業」の側を擁護し、かつ「法令遵守」を疑ったことで、この「虎」をカンカンに怒らせてしまったのだろう(もちろん、私の無知もあったことは認める)。

郷原氏はこの本の結論部分において、単なる「法令遵守」ではない真のコンプライアンスを「フルセット・コンプライアンス」と呼び、これは<社会的要請への適応>であると書いている。これはダーウィンの進化論における「環境への適応」のようなものであり、生物は「眼」を持つことで大進化した、といった説明もある。この本のタイトルである『「法令遵守」が日本を滅ぼす』の意味が、ここで理解できる。日本の法令は実態と乖離しているので、「法令遵守」は実態を見失う恐れがある。実態を見失えば「環境への適応」に失敗するので、「滅びる」のだ。

ここでは紹介できなかったが、この本は2章・3章・4章での具体的な話などもすべて面白い(上の目次参照)。読みやすく、かつ独自の視点で、とても中身が濃いという意味では、先日紹介した竹中正治『ラーメン屋vs.マクドナルド』にも通じるものがある(偶然、どちらも新潮新書だ)。自信をもってオススメできる1冊。

関連:
ウィキペディア - 郷原信郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7..

関連エントリ:
八田達夫『ミクロ経済学』 終章「効率化政策と格差是正政策の両立」
http://mojix.org/2009/08/16/hatta_micro_kouritsu
セブンイレブンの値引き問題 「消費者保護」は必ずしも消費者の利益にならない
http://mojix.org/2009/08/15/seven_nebiki
セブンイレブンを擁護する 「強者か弱者か」ではなく「公正(フェア)かどうか」で判断すべき
http://mojix.org/2009/08/14/seven_fairness