2009.08.16
八田達夫『ミクロ経済学』 終章「効率化政策と格差是正政策の両立」
セブンイレブンの値引き問題(見切り販売)について2回書いたが(「セブンイレブンを擁護する 「強者か弱者か」ではなく「公正(フェア)かどうか」で判断すべき」、「セブンイレブンの値引き問題 「消費者保護」は必ずしも消費者の利益にならない」)、そこで解雇規制と借地借家法を引き合いに出した。

私は政治思想としてはリバタリアニズムに共感している。リバタリアニズム的なスタンスから見ると、解雇規制と借地借家法はいずれも「政府の失敗」であり、政府の誤った介入が市場を歪めてしまい、社会の「富」を減らし、「弱者」を余計に生み出しているように見える。同様に独占禁止法についても、そのすべてに反対というわけではないにしても、政府による介入である以上、それが「公正(フェア)」のラインを超えた介入になっていないかどうか、批判的に見ることになる(前回のエントリの末尾に書いた視点)。つまり、独占というものが「市場の失敗」だとすれば、その失敗を修正するための政府介入が、当初の「市場の失敗」よりもひどい「政府の失敗」を生んでいないどうかに注意することになる。その観点に立って今回のセブンの問題を見ると、「セブンが100%悪い」(=「政府が100%正しい」)という意見が圧倒的多数であるように感じられ、この「多数による圧政」は言論状況として健全でないと思ったので、あえて異論を出した。

しかし、そこで解雇規制や借地借家法との類似を出したのは、逆に説得力を下げてしまった面もあるかもしれない。独占禁止法を批判的な目で見るのは、基本的に政府介入を嫌うリバタリアニズム的なスタンスなので、おそらくやや特異な見方だろう。しかし解雇規制や借地借家法の弊害は、経済学者をはじめとして比較的多くの論者に共有されており、それほど特異な見方ではない(例:「正規社員の解雇条件緩和論」)。そのような論者は必ずしもリバタリアニズムを支持していない。

また私自身の気持ちにおいても、今回のセブンの問題は、リバタリアニズム的なスタンスから意見を述べたという程度に過ぎないが、解雇規制や借地借家法、特に解雇規制は、いまの日本経済に対して大きな弊害をもたらしており、その深刻さは他の問題の比ではないと考えている。よって、セブンの問題についての私の意見が愚論として笑われたり、無視されてもそれほどこだわりはないが、解雇規制や借地借家法が弊害をもたらすメカニズム(市場取引に社会保障機能を「埋め込む」ことの弊害)については、いまの日本の「構造」問題の核心ともいえる部分であり、私は強いこだわりを持っているので、ぜひもっと多くの人に目を向けてほしいと願っている。

リバタリアニズムを支持していないけれども、解雇規制や借地借家法の弊害を説いている例として、先日下巻が出た八田達夫氏の『ミクロ経済学』から、終章「効率化政策と格差是正政策の両立」での議論を紹介したい。

東洋経済新報社 - 八田達夫『ミクロ経済学I<プログレッシブ経済学シリーズ>市場の失敗と政府の失敗への対策』
http://www.toyokeizai.net/shop/books/detail/BI/c7bf832b8630ce803e81ffe06116294c/
http://www.amazon.co.jp/dp/4492812989

東洋経済新報社 - 八田達夫『ミクロ経済学II<プログレッシブ経済学シリーズ>効率化と格差是正』
http://www.toyokeizai.net/shop/books/detail/BI/cc90f5c9667505b87a16db053dd19a40/
http://www.amazon.co.jp/dp/4492813004

上巻は昨年出ており、2冊で上下巻になっている。上巻のはしがきには、<本書は、現実の経済政策問題を数多く分析することを通じて、経済学を初めて学ぶ人が、日本が直面している広範な経済政策問題に関する対応策を自分自身で考えられるようになることを目的としています>とあり、本当にその通りの素晴らしい本である。<現実の経済政策問題を数多く分析>、<加減乗除以外の数学を用いていません>とあるように、経済に興味のある人ならおそらく誰でも読めるレベルで、ごく最近の身近な話題にひきつけながら、ミクロ経済学の教科書にもなっているという画期的な本だ。

以下に抜粋した部分では、「効率化」と「格差」をきちんと区別することを前提として、およそ次のようなことが述べられている。

・日本のジャーナリズムは「効率化政策」を「格差拡大政策」と混同しているが、それは別のものだ
・「効率化政策」は「格差是正政策」と両立可能である
・「自由放任主義」と「新古典派経済学」は異なる
・「カーター型構造改革」は、「効率化政策」+「格差是正政策」
・「レーガン型構造改革」は、「効率化政策」+「格差容認政策」
・金融危機の原因は「市場原理主義」であり、「効率化政策」ではない
・日本では「小泉構造改革の結果、格差が生まれた」と言われるが、効率化政策は経済を活性化することを通じて、失業を減らした
・解雇規制や借地借家法などの「強行規定」は、非効率な資源配分を招く
・経済学では、政策がもたらす便益と「社会的機会費用」を比較して政策を判断する
・判例を作っていった裁判官たちは、個別の係争の事情に目を奪われ、自分たちが作った判例の「社会的機会費用」を評価する余裕がなかった
・強行規定は、目の前にいるかわいそうな人の既得権を守る代わりに、個別の係争とはまったく関係ない真の社会的弱者に対して大きな犠牲を払わせる結果をもたらす

八田氏のスタンスは、ここで「カーター型構造改革」と呼んでいる「効率化政策」+「格差是正政策」の組み合わせであり、それと「格差容認政策」(「自由放任主義」や「市場原理主義」)をきちんと区別してほしい、という論旨だ。その「効率化政策」の部分から、解雇規制や借地借家法などの「強行規定」が批判されている。

ここでは部分的に抜粋することしかできず、論旨の流れを十分に表現できないので、興味をもった人はぜひ同書を読んでみてほしい。

(以下、八田達夫『ミクロ経済学』の終章「効率化政策と格差是正政策の両立」から抜粋)

イントロより

<本書を通じて効率化達成のために、政府と市場がいかなる役割分担を行わなければならないかを論じてきました。これまでの分析からも明らかなように、効率化政策の遂行には、市場に対する政府による介入が不可欠です。しかも、効率化政策は格差是正政策と両立できるものです。
 しかし、日本のジャーナリズムには、次のような効率化に対する誤解が蔓延しています。
 ・効率化政策は格差拡大の元凶である。
 ・所得再分配は効率化と矛盾する。
 ・効率化はアメリカ社会の理念である。
 ・新古典派経済学を信奉してきたブッシュ政権はアメリカ経済を破壊したから、新古典派経済学が経済を運用するツールとして失敗したことは明らかだ。
 本章では、日本のジャーナリズムによるこれらの主張はいずれも間違いであることを示します。さらに、実際には効率化政策の多くが、自動的に格差是正政策でもあることを示します>。

「コラム:自由放任主義vs新古典派経済学」より

<自由放任主義はアナーキズムと同義です。自由放任主義(すなわちアナーキズム)には、実際には多様なタイプがあります。リバータリアンは、財産権の保護に国の役割を求めるアナーキストだと言えるでしょう。市場原理主義は、リバータリアンに対する蔑称です。市場だけですべてが解決すると考えている人はほとんどおらず、市場原理主義と自称する人もいないでしょう。
 現代の主流派経済学の考え方は、厚生経済学の基本定理に基づいて市場と政府の役割分担を明確にする考え方です。主流派経済学は、その源流に敬意を表して新古典派経済学と呼ばれることもあります>。

<再分配政策、特に貧困対策は当初から新古典派経済学の大きな関心でした。たとえば、マーシャルが、貧困の解決策として、国家による教育の投資を考えていたのは有名です。また、新古典派をマーシャルから継いだピグー(Arthur C.Pigou)にとっても、所得再分配は大きな関心でした。
 現在日本のジャーナリズムでは、無知のために、「新古典派経済学」を「自由放任主義」と同義で使うことがよくあります。新古典派経済学は、市場の失敗の矯正と再分配のためには、国による積極的な市場介入が必要であると考える点で、自由放任主義とはまったく異なります>。

「4 効率化はアメリカ型の理念か?」より

<1980年代の中曽根康弘首相による行財政改革、2000年代の小泉純一郎首相による構造改革は、基本的には効率化を進めようという政治理念です。そしてこの効率化はグローバル・スタンダードであると考えられてきました。
 このような構造改革を受け入れる側は「国際化の波に逆行するわけにはいかない」という主張をしてきました。それに対して反対論者は、「構造改革のパッケージそのものはアメリカ型社会の理念の日本に対する押しつけにすぎない」と批判します。
 過去20年における日本の構造改革は、果たして日本をアメリカ型社会に変える改革なのでしょうか?この問いに答えるには、アメリカ自身が規制改革や構造改革をどのように行ってきたかを知る必要があります>。

<規制緩和のアメリカにおける最初のリーダーであったカーター大統領は、1976年の大統領選挙運動中に、所得税の累進度をより高めることを大きな公約の1つとしてあげました。これは議会の抵抗にあい実現できませんでしたが、効率化を重んじたカーター大統領が、同時に所得再分配の強化の重要性を強調したことは、注目に値します。(中略)所得格差縮小と効率化とを同時に目指す改革をカーター型構造改革と呼びましょう>。

<カーター大統領のあとを継いだレーガン大統領は、参入促進のための規制緩和と並んで、所得税率の最高税率を大幅に引き下げることを中心とする税制改革を行いました。この税制改革は、金持ちを大幅に優遇しました。レーガン政権の政策は、高所得者の支持のうえに成り立ったアメリカの当時の保守主義者の理念に基づいていました。所得格差の拡大を容認する効率化政策をレーガン型構造改革と呼びましょう。
 「参入の促進と所得格差拡大の許容は、一体としてアメリカ型構造改革の理念である」と日本ではとらえられているのは、中曽根首相が「レーガン型構造改革」を輸入したからだと言えるでしょう。
 規制緩和政策の創始者であるカーター大統領自身が格差縮小を目指していたことを考えると、「所得格差拡大を容認する市場原理主義が、アメリカ型社会固有の政策目標だ」とは言えません>。

<効率化政策と税制改革による所得格差拡大の組み合わせは、レーガン大統領がたまたま同時に行った理念です。これらを同時に遂行すべき根拠はまったくありません。効率化と所得格差縮小は、両立可能な政策目標です。カーター型構造改革は日本でも可能です>。

「コラム:金融危機と市場原理主義」より

<ブッシュ(子)政権下の2008年に金融危機が起きたため、「ブッシュ政権が採用した市場重視のアメリカの政策は失敗した。したがって、効率化政策と市場原理主義の破綻が証明された」と言われることがあります。しかし、金融危機は、効率化政策を行ったために発生したわけではありません。
 ただし、金融危機の発生は、市場原理主義を破綻させたとは言えます。市場原理主義は、効率を犠牲にしても市場への介入を避けようとするイデオロギーだからです>。

<リーマン・ブラザーズが破綻に瀕した時点で、多くの経済学者は、政府による救済を提言しました。すでに、金融危機は始まっていたからです。それに対して、ブッシュ政権のポールソン財務長官が、リーマン・ブラザーズを救済しないと決めたことにより、後戻りできないほど金融危機は深刻化しました。この決定に際しては、「事情がどうであろうと政府の市場介入を最小化すべきだ」という市場原理主義の影響がポールソン長官の判断を誤らせた可能性があります。すなわち、ブッシュ政権は効率化政策をとっていたわけではなく、「金融危機により効率化政策の破綻が示された」というのは誤りであることがわかります>。

<実は、今回の危機の発生では、市場無視のイデオロギーが、危機を発生させた側面もあります。低所得者に対して持ち家を奨励しようとしたクリントン政権は、1998年以前から政府系住宅金融機関に対して低所得者への貸し出しを増やすように政治的圧力をかけました。実は、ブッシュ大統領も、低所得者も持ち家を持つことが国家の安定の基礎になると固く信じており、それをブッシュ政権の重要な政策として位置づけ、低所得者が住宅を持つ制度を奨励し続けました。低所得者は住宅ローンの返済が難しくなる可能性が高いのだから、持ち家を奨励する根拠はありません。それにもかかわらず、これを政治的に推し進めたというところに、この金融危機が起きた原因があります>。

「6 小泉構造改革の時代」より

<効率化政策(新自由主義と言われることもあります)は、格差拡大の元凶であると言われています。「効率化政策は、失業を生み、格差を拡大する」と言うわけです。しかし、歴史的にはこれはまったく正しくありません>。

<効率化政策は、経済を活性化することを通じて、失業を減らしたにもかかわらず、日本では「小泉構造改革の結果、格差が生まれた」と言われます。
 これは、端的に言うと、既に失業が蔓延していた状況で、構造改革が行われたため、失業の原因が構造改革にあるように見えたための批判です。実際は、規制緩和は失業をむしろ強く減らす効果を持ちました。規制緩和が行われていなければ、失業はもっとひどい状況になっていたでしょう>。

「補論1:強行規定の根拠 ―― 解雇規制を例として」より

<契約の自由が法律によって奪われる場合があります。これを「強行規定」と言います。市場の失敗がある場合に、契約の自由が制限されるのは当然ですから、強行規定が正当化される場合があるでしょう。
 現実には、市場の失敗がないにもかかわらず設けられている強行規定もあります。本補論では、そのような、強行規定の例として「解雇規制」――解雇契約に関する規定――について考えましょう>。

<市場の失敗がない場合、解雇規制は非効率な資源配分を招きます。それは、次の理由によります。
 第1に、怠けていても解雇されないのなら、労働者の労働意欲がわかなくなります。
 第2に、「雇った後で当該の仕事に適さないことがわかっても、解雇できない」という規制の下では、雇用主は、リスク負担を最小化しようとして、学歴やコネなど、優秀さとは直接に関係ない指標を基準にして雇用を決めることになります。これは非効率をもたらします(もちろんこれは実力に基づかない格差を拡大します)。さらに、リスクを避けるために雇用主は、雇用を縮小するでしょう。これも非効率性を生みます(それだけでなく、失業者と雇われているものとの間の格差を拡大します)>。

<長期継続契約法理と呼ばれる法理が、借地借家法においても商法においても雇用法においても、戦後日本の判例の積み重ねのなかで形成されてきました。この法理は、たとえ契約において明文による定めがなくても、契約継続に対する当事者の合理的期待が存在するため、一方の当事者の都合による打ち切りは社会的信頼の破壊を招くものであり、法の介入による契約関係の保護が必要であるとするものです>。

<借地借家法正当事由にしろ、解雇規制にしろ、長期契約継続法理による強行規定は、基本的に、まだ契約していない人たちを犠牲にする既得権保護政策の一種です。長期契約継続法理は、日本社会の再分配政策を律してきた「既得権保護原則」に基づいた政策の一種だと言えるでしょう。
 長期継続契約の保護を行うことの問題は、個別の悲惨さに目を奪われて、保護を行うことが、結果的に、契約の当事者以外の人たちに、より大きな悲惨を生むことを無視していることです。
 経済学の特徴は、ある政策の評価をするときに、その政策がもたらす便益をその政策がもたらす社会的機会費用と比較して判断することです。それに対して、判例を作っていった裁判官たちは、個別の係争の事情に目を奪われて、自分たちが作った判例の社会的機会費用を評価する余裕がなかったのでしょう。
(1)借地借家法における強行規定は、家主の借家供給を抑制し、(2)貸金契約における強行規定は、貸し主に金を貸さなくさせ、(3)解雇契約における強行規定は、雇用を削減させることなどには思いいたらないのでしょう。さらにこれら強行規定のいずれもが、目の前にいるかわいそうな人の既得権を守る代わりに、個別の係争とはまったく関係ない真の社会的弱者に対して大きな犠牲を払わせる結果をもたらします。これまでの法曹教育で経済学が意味ある形で取り入れられていなかったために、裁判官たちは、そのことについては、考えも及ばないのでしょう>。


関連:
はてなブックマーク - セブンイレブンを擁護する 「強者か弱者か」ではなく「公正(フェア)かどうか」で判断すべき
http://b.hatena.ne.jp/entry/mojix.org/2009/08/14/seven_fairness
はてなブックマーク - セブンイレブンの値引き問題 「消費者保護」は必ずしも消費者の利益にならない
http://b.hatena.ne.jp/entry/mojix.org/2009/08/15/seven_nebiki
あいかわらず罵倒がひどいのは「残念」だが、有益な指摘もある。

Browser.js - モジックスのいう通り、規制のない市場原理はいつも効率的か
http://browserjs.blog102.fc2.com/blog-entry-997.html
私は規制が一切不要とは書いていないと思うし、他にも納得できない点はあるが、弱者保護でなく自由競争維持だという指摘などは正しい。前回同様に礼節を保った議論で、こういう反応はありがたい。

大竹文雄のブログ - ミクロ経済学 II
http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2009/08/ii-5403.html
大竹文雄氏による同書の紹介。「最低賃金制度の余剰分析」でも同書に触れている。

関連エントリ:
鶴 光太郎「日本の労働市場制度改革」
http://mojix.org/2009/07/12/tsuru_roudou_sijou
常木淳 「不完備契約理論と解雇規制法理」
http://mojix.org/2009/05/03/tsuneki_kaikokisei
日本の賃貸住宅ではなぜ保証人を要求されるのか 「保護」がむしろ「弱者」を生む日本の構造
http://mojix.org/2009/04/02/chintai_hoshounin
終身雇用は採用時の属性差別を強める
http://mojix.org/2009/01/30/shuushinkoyou_sabetsu