2005.06.28
ブログはフロー、Wikiはストック
Goodpic.com : BlogとWikiの違いと、無意識に気づくこと
http://www.goodpic.com/mt/archives2/2005/06/blogwiki.html

で、Wikiとブログの違いについて、<Wikiは情報の整理。Blogは考えの整理>と書かれている。

ふだんWikiとブログを両方使っている人ならば、その「感じ」の違いを、身体で知っているはずだ。

ブログとWikiの違いを私なりに、キャッチフレーズふうに表現してみると、こんな感じになる。

「ブログはフロー、Wikiはストック」

「ブログは自分、Wikiは世界」

「ブログは時間、Wikiは空間」

「ブログは流れ、Wikiは構造」

「ブログは微分、Wikiは積分」

「ブログは変化、Wikiは全体」

「ブログは印象、Wikiは知識」

「ブログはPL(損益計算書)、WikiはBS(バランスシート、貸借対照表)」

「ブログは新聞、Wikiは辞書」

「ブログはテレビ、Wikiは図書館」

「ブログはログ、Wikiはデータベース」

結局のところ、ブログは時間に沿って流れていってしまう、そういうものだ。

書くほうも、読むほうも、日々あたらしいエントリを書いたり、読んだりするが、それは新聞や雑誌、あるいは日常のおしゃべりのようなもので、儚い(はかない)。

ブログは「Weblog」というその語の由来通り、まさに「ログ」(コンピュータで、時々刻々と記録されていく種類のデータのこと)、人間のログだ。

いっぽうWikiは、その人の主観に基づくものではあっても、トピックや概念、事象を中心に組み立てる「構造」だ。時間の経過によって、その構造は成長し、変化していくが、それは木が育っていくような感じだ。ここでは、何が変化したか(差分)は大して重要ではなく、重要なのはつねに、そのときの全体だ。全体を「メンテナンス」するのだ。植物のように。

人の一生も、人類の歴史も、はかない一瞬の積み重ね、永遠に続くおしゃべりの連続でできている。しかし、いつも目先の変化にばかり反応していると、まさに文字通り、儚い(はかない)人生になってしまうのではないか。

ふと浮かんだ思いつきや印象が、かたちになってだんだん沈んでいき、思考や知識にまで深化し、固まるまでには、ある程度の時間がかかる。

ブログだけを書いていると、似たようなテーマの横を何回も、なんとなく通り過ぎるだけで、いつまで経っても先に進めない、堂々巡りのような感じがする。

Wikiを作るようにすると、自分の興味や思考がキーワード、トピックの構造としてかたちになってくる。それは建設現場の足場のようなもので、いちど作ってしまえば、とても効率よく歩けるようになる。