2005.10.19
これはなにかの説明ではない。ただの逝っちゃっている文章だ
minfish.jp/blog : Web 2.0の不道徳
http://www.minfish.jp/blog/archives/2005/10/web_20_2.html

Web 2.0を批判した論考、「The amorality of Web 2.0」の和訳。
原文の著者は、かつて『IT Doesn't Matter』で物議をかもしたニコラス・カー(Nicholas Carr)だ。

中身はとても面白く、ぜひ読んでもらいたいのだが、個人的にはこの中にある一文、

<これはなにかの説明ではない。ただの逝っちゃっている文章だ>

というフレーズに、かなりグッときた(笑)

これは、著者がケビン・ケリー(Kevin Kelly)の文章(『Wired』誌2005年8月号に載った「We Are the Web」の最後の部分)を引用し、それに対して加えた評である。原文は、

<This isn't the language of exposition. It's the language of rapture.>

という、わりとフツーな感じの文だ。これを

<これはなにかの説明ではない。ただの逝っちゃっている文章だ>

と訳してあるんだから、この訳者のsakanaさん、うまいよなあ。

たしかにこの部分のケビン・ケリーは、彼のバックグラウンドであろうヒッピー文化、ニューエイジ思想が全開、という感じだ。

私はケビン・ケリーのイっちゃっている走り具合も好きだし、ニコラス・カーの醒めたツッコミもいい。
どちらも名手なので、主張の賛成・反対にかかわりなく「読ませる」。

ニコラス・カーは醒めたスタンスながらも、「The Cult of the Amateur」(素人のカルト)とか、うまいフレーズをたくさん出してくる。さすが 『IT Doesn't Matter』の人、「冷や水の達人」という感じだ。

Web 2.0も、オープンソースなどと同様、それを推進しているのが「信者による熱狂」だという意味では、まさにカルト(崇拝、狂信)だろう。

冷静さを失うほどの熱狂、やみくもに突撃するその力で、現実がほんとうに変わることがある。
冷静な人は、間違いもあまりしないかわりに、世の中を変えられないだろう。

前者のタイプの人が「火付け役」で、後者のタイプの人が「火消し役」だ。
世の中にはこの両方の種類の人がいて、バランスがとれている。

私は個人的には、ケビン・ケリーみたいにイっちゃっている人のほうが好きだ。
私自身、冷静さからはほど遠い、熱狂側・カルト側の人間だと思うし。

コンピュータやインターネット、オープンソースといったものを作り上げたのは、おそらくかなりの部分、ケビン・ケリーのように「イっちゃっている」人たち、「くるってる」人たちだったはずだ。