利回りよりも大切なもの
きのう日経平均の終値がついに15000円を突破し、今日もグングン上がっているようだ。
こういうときだからこそ、書いておきたい。
日本経済が活況を取り戻すのはもちろん望ましいが、株価が実体を反映しているとは限らないのは、バブルの教訓だ。大事なのは株価を上げることではなく、実体経済を伸ばすことだ。
バブルがはじけて、お金を失うくらいなら別に構わない。利回りばかり追求して、ロクに考えもせず投資していると、お金よりももっと大事なものを失うかもしれない。
株を買うということは、その企業への「投票」であるだけでなく、正真正銘、その企業の「所有権」だ。その株の持分だけ、その企業に対して権利を持つだけでなく、責任を負う。その企業が反社会的な行動をしたとき、株を持っている人は、その分だけ責任があると思う。
もちろん、株を少しくらい買ったからって、その企業を実際に動かせるわけではない。実際に会社を動かすのは経営者であり、またその経営者を動かす大株主だろう。その意味では、実際上は「所有権」というよりも、「投票」くらいの意味合いに近い。しかし小さな株主でも、株を買うかどうかの「選択」はできるのだ。
いくら株を買う前にその企業を吟味し、調べていても、IRの開示情報自体が間違っていたり、粉飾会計だったりする可能性はもちろんある。それでも、マトモな企業かどうか、世の役に立つビジネスをしているかどうかは、出回っている情報で、大体わかるものだ。人間の性格が突然変わらないのと同じように、企業の「性格」も、突然変わることは少ないだろう。
連日報道されているマンション耐震強度偽装問題で、もっとも大事な教訓とすべきなのは、「手を抜いたほうが儲かる」ということ、「儲けようとして手を抜いた」ということではないかと思う。人命や社会的責任よりも、儲けを優先したわけだ。
今回問題になっている企業は、問題が発覚したから叩かれているが、もしこのまま発覚していなかったら、「成長企業」だったかもしれないのだ。なにせ、手を抜きまくって、すごい「利回り」を上げているのである。そこに投資すれば儲かるとなれば、投資してしまう人もいるはずだ。
「投資の社会的責任」で書いたとおり、発覚さえしなければ、デタラメなことをやったほうが「儲かる」のが世の中だ。もちろん、デタラメを許さないように法や行政など社会インフラを作ることも重要だが、もっと基本的なこととして、デタラメな企業を「応援しない」ことだ。
デタラメな企業の株を買わない、デタラメな企業の商品を買わないようにすれば、デタラメな企業は自然に消えてくれる。もちろん、デタラメかどうか見極めるのがむずかしいこともあり、今回の強度偽装問題も、その側面が大きい。「できるだけ心がける」しかない。
特に重要なのは、デタラメな企業の株を買わないことだ。デタラメな企業の株を買うことは、デタラメな企業の「所有権」を買うことであり、株の持分だけ責任がある。デタラメな企業の商品を買っても「被害者」だが、デタラメな企業の株を買ってしまっては、「加害者」に近くなるのだ。
しかし現実には、株は企業の「所有権」というよりも、資産運用の「手段」になってしまっている面が大きい。その企業がおこなうビジネスの中身よりも、「利回り」重視で見られてしまう。これはとても危険だ。特に、株がファンドや金融商品に組み込まれてしまうと、もはやお金がどの企業に流れているのかは、ほとんどわからなくなる。
お金は技術と同様、いいようにも悪いようにも使える「手段」であり、「パワー」だ。それは人間や社会、地球を、良くすることもできるし、悪くすることもできる。
「お金は社会の回りもの」だ。自分が投資したお金は、デタラメな企業に回るかもしれない。今回、耐震強度偽装問題で挙げられている企業にも、誰かが投資しているのだ。自分で投資したつもりはなくても、自分が銀行などに預けたお金が、ファンドや金融商品を経て、問題の企業に回っている可能性はいくらでもある。
利回りだけを追求するのは、ほとんど自殺行為だ。
お金は手段であり、目的ではない。
関連エントリ :
投資の社会的責任
http://mojix.org/2005/10/20/201058
お金は社会の回りもの
http://mojix.org/2005/07/15/143150
「お金があまっている」 とはどういうことなのか、それはなぜなのかを考えてみる
http://mojix.org/2005/09/02/140722
目的さんと手段さん
http://mojix.org/2005/11/29/211724
こういうときだからこそ、書いておきたい。
日本経済が活況を取り戻すのはもちろん望ましいが、株価が実体を反映しているとは限らないのは、バブルの教訓だ。大事なのは株価を上げることではなく、実体経済を伸ばすことだ。
バブルがはじけて、お金を失うくらいなら別に構わない。利回りばかり追求して、ロクに考えもせず投資していると、お金よりももっと大事なものを失うかもしれない。
株を買うということは、その企業への「投票」であるだけでなく、正真正銘、その企業の「所有権」だ。その株の持分だけ、その企業に対して権利を持つだけでなく、責任を負う。その企業が反社会的な行動をしたとき、株を持っている人は、その分だけ責任があると思う。
もちろん、株を少しくらい買ったからって、その企業を実際に動かせるわけではない。実際に会社を動かすのは経営者であり、またその経営者を動かす大株主だろう。その意味では、実際上は「所有権」というよりも、「投票」くらいの意味合いに近い。しかし小さな株主でも、株を買うかどうかの「選択」はできるのだ。
いくら株を買う前にその企業を吟味し、調べていても、IRの開示情報自体が間違っていたり、粉飾会計だったりする可能性はもちろんある。それでも、マトモな企業かどうか、世の役に立つビジネスをしているかどうかは、出回っている情報で、大体わかるものだ。人間の性格が突然変わらないのと同じように、企業の「性格」も、突然変わることは少ないだろう。
連日報道されているマンション耐震強度偽装問題で、もっとも大事な教訓とすべきなのは、「手を抜いたほうが儲かる」ということ、「儲けようとして手を抜いた」ということではないかと思う。人命や社会的責任よりも、儲けを優先したわけだ。
今回問題になっている企業は、問題が発覚したから叩かれているが、もしこのまま発覚していなかったら、「成長企業」だったかもしれないのだ。なにせ、手を抜きまくって、すごい「利回り」を上げているのである。そこに投資すれば儲かるとなれば、投資してしまう人もいるはずだ。
「投資の社会的責任」で書いたとおり、発覚さえしなければ、デタラメなことをやったほうが「儲かる」のが世の中だ。もちろん、デタラメを許さないように法や行政など社会インフラを作ることも重要だが、もっと基本的なこととして、デタラメな企業を「応援しない」ことだ。
デタラメな企業の株を買わない、デタラメな企業の商品を買わないようにすれば、デタラメな企業は自然に消えてくれる。もちろん、デタラメかどうか見極めるのがむずかしいこともあり、今回の強度偽装問題も、その側面が大きい。「できるだけ心がける」しかない。
特に重要なのは、デタラメな企業の株を買わないことだ。デタラメな企業の株を買うことは、デタラメな企業の「所有権」を買うことであり、株の持分だけ責任がある。デタラメな企業の商品を買っても「被害者」だが、デタラメな企業の株を買ってしまっては、「加害者」に近くなるのだ。
しかし現実には、株は企業の「所有権」というよりも、資産運用の「手段」になってしまっている面が大きい。その企業がおこなうビジネスの中身よりも、「利回り」重視で見られてしまう。これはとても危険だ。特に、株がファンドや金融商品に組み込まれてしまうと、もはやお金がどの企業に流れているのかは、ほとんどわからなくなる。
お金は技術と同様、いいようにも悪いようにも使える「手段」であり、「パワー」だ。それは人間や社会、地球を、良くすることもできるし、悪くすることもできる。
「お金は社会の回りもの」だ。自分が投資したお金は、デタラメな企業に回るかもしれない。今回、耐震強度偽装問題で挙げられている企業にも、誰かが投資しているのだ。自分で投資したつもりはなくても、自分が銀行などに預けたお金が、ファンドや金融商品を経て、問題の企業に回っている可能性はいくらでもある。
利回りだけを追求するのは、ほとんど自殺行為だ。
お金は手段であり、目的ではない。
関連エントリ :
投資の社会的責任
http://mojix.org/2005/10/20/201058
お金は社会の回りもの
http://mojix.org/2005/07/15/143150
「お金があまっている」 とはどういうことなのか、それはなぜなのかを考えてみる
http://mojix.org/2005/09/02/140722
目的さんと手段さん
http://mojix.org/2005/11/29/211724