2005.07.15
お金は社会の回りもの
PICSY blog : お金持ちになります!宣言
http://blog.picsy.org/archives/000279.html

<成功すれば、ぼくもお金持ちになるはずですし、そのために着々と準備をしています。お金の使い方を知っていれば、お金を持つことは悪いことじゃありません。ぼくはお金の使い方を知っていると思っているので、お金持ちになろうと考えています。
たとえば、ビル・ゲイツくらいお金があれば、まず、荒川修作と宮崎駿と養老孟司に1000億円くらい使って町をつくってもらいたいです。こいつは完全に社会実験ですが、やるだけの価値はあります>。

「技術のわかる思想家」、鈴木健による最新エントリ。じつに面白い。

1000億円あったら<荒川修作と宮崎駿と養老孟司に町をつくってもらう>というブッ飛び具合、荒唐無稽さが彼らしい
「なんでその3人なのか?」とか、実際やる場合の予算配分はどうなるかなど、ぜひもっと聞きたい。

<宇宙旅行は二千万円~二十億円くらいかかりますが、市場が立ち上がる初期に、そういう消費活動をするということは、投資活動をする以上の価値があります。かれらの消費によってベンチャー企業の採算がよくなり、コストダウンにつながることによって庶民が宇宙旅行にいける時期が早まるからです>。

というのも、みごとな見識だ。
「消費は投資だ」という視点は、普通なかなか持てないが、これこそお金の本質につながっている見方だと思う。

私はこのエントリを読んで、ライブドア騒動の頃に板倉雄一郎さんが書いていたエントリを思い出した。

板倉雄一郎事務所 : KISS第31号「お金とは・・・One for All , All for One」
http://www.yuichiro-itakura.com/archives/2005/03/16-1921.html

ここには、お金は<社会に対する議決権>だ、と書いてある。

これを読んだときもその通りだと思ったのだが、これはほんとうに、すごく大事なことなんだ、というのを最近思うようになった。

資本主義社会では、好きなだけ働いて、好きなだけ稼げばいい。稼いだお金は、名目上はたしかに自分のものだ。しかしそれでも、「お金は社会の回りもの」なんだ、ということを最近感じるのだ。

お金ですべてが手に入るかどうかはともかく、お金が「パワー」であることは間違いない。少しのお金では、自分のものくらいしか買えないが、ある程度の量のお金があれば、社会の一部を動かすことができる(<お金は世界のエクイティ(持分)>)。

その「パワー」を誰に、どのくらい配分するかという「ポートフォリオ」は、社会が次にどんな方向に進むかを決める大きな要因になるだろう。

鈴木健の「お金持ちになります」宣言が、よくある金儲けや利殖の話ではなく、もしお金がたくさんあったら自分はこう使う、という「事業計画書」のような話になっているところが面白いし、そこに肝心なものが含まれている。

まさにPICSY(伝播投資貨幣)の提唱者ならではの、「消費は投資」という発想だ。バリューを提供する者に、その貢献度に応じてお金というパワーを配分すべき、という見方だ。

お金は本来、社会の回りものであり、価値を流通させる「通貨」であるべきところが、価値や貢献と無関係に、金利によって自己増殖してしまう性質がある。

日本は不況を脱したことで、右肩上がりしか知らなかったバブル以前の日本より強くなっている側面もあるかもしれない。しかし、いろいろな格差がバブル以前よりも広がっている気がする。

テレビにも、街中にも、電車にも、サラ金の広告があふれている。いまや銀行までサラ金とくっついてしまう時代だ。価値と無関係に、お金が自己増殖するメカニズムを利用するだけのビジネスがあまりにも多いことに、暗い気持ちになる(米長邦雄の<あたり一面が悪手の山>というフレーズを思い出す)。お金が自己増殖すれば、社会格差は自動的に広がるだろう。

お金はパワーであり、ビジネスの血液だから、たしかに資金は必要であり、マネービジネスが一切不要だとか、意味がないとは思わない。しかし、ビジョンのない者にお金というパワーをたくさん預けるのは、無能な政治家に社会を任せるのと同じことになる。

「金持ち父さん」的なマネーリテラシー、「お金の力学」を学ぶことも大事だが、そもそもお金がなんのためにあるかを忘れ、増やすことが自己目的化してしまっては、そのパワーは社会を害する凶器にも転ずるだろう(その点では、お金はテクノロジーと似ている)。

最近はマネーリテラシーやビジネスリテラシーへの注目が増し、レベルも上がってきていると思うが、「金の使い方」という話はあまり聞かない気がする。村上ファンドやタワー投資顧問、ライブドアなどの「ヒルズ族」など、注目されるのは「金を稼ぐ」スターばかりだ。「金を使う」リテラシーも必要ではないだろうか?「今年もっともいい金の使い方をした人ベスト50」とか選出したら、かなり面白いと思う。

鈴木健のエントリでは未踏ソフトウエア事業についても書かれているが、未踏性の判定はともかく、未踏ソフトウエア事業自体は有意義だと思うし、こういうものはもっと増えてほしい。

「民間の未踏」みたいなものが、もっともっとあってもいいと思う。日本では、どちらかというとお金はありあまっていて、不足しているのはミッチ・ケイパーMozillaOSAF)やマーク・シャトルワースSchoolToolUbuntu)のような、見識とスキルを備えたエンジェルじゃないだろうか(それは日本にシリコンバレーがなく、IT長者が少ないのもあるかもしれないが)。つまり、金よりも「金を使うリテラシー」のほうが不足している気がする。

いっぽう、たくさんのお金をどう使うかという話だけでなく、特にIT長者でも富豪でもない普通の人間、私たちひとりひとりが、お金をどう使うかというのも実は重要だと思う。

たくさんのお金がなくても、日々のお金の使い方で、少しずつ流れを変えることはできる。同じような商品やサービスから選ぶとき、それを誰が提供しているのか、その人はお金をどう使うのかに、少しでも注目したい。

金が自己目的化し、金だけを追求する人間、儲けるために安全性を犠牲にしても何とも思わない人間、低賃金・悪条件で人をコキ使って社会格差が広がっても何とも思わない人間、そんな人間に金を持たせるのは、危険だ。いい価値の提供や、社会をいいものにするために金を使ってくれる人間に、お金という「票」を渡したい。