2008.07.31
学歴もコミュニケーション能力も過大評価されすぎでは?
女。京大生の日記。 - 没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たち―
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080730/1217359666

<主要な企業における2009年新卒採用活動はほぼ終了し、2010年新卒採用の動きが活発化している今日、就職活動は一生懸命しているにもかかわらず、就職先が見つからない、あるいは、希望の就職先に内定をもらえず不本意な企業に内定し悶々とした日々を過ごしている高学歴大学生がここ京都大学に存在する。
 超売り手市場と言わる新卒就職市場においても、就職するのに四苦八苦する高学歴就職難民たち。これは、個人の問題ではない社会の問題である>。

楠さんの「京大からはそうみえているのか」、danさんの「学校ってバカを治療してくれんのか」もあって、盛り上がっているみたいだ。

私はこの「女。京大生の日記。」は何度か見たことがあって、たしかに学生っぽい青くささはあるにしても、けっこういいこと書いてるな~と何度か思ったことがあった。

今回のエントリは、たしかにちょっと甘ったれな感じがするけれども、まあ学生なんてこんなもんじゃないかなという気もする。こうやってカベにぶち当たって、ちょっとずつ成長していくのが人生だろう。

このエントリでは、学歴とコミュニケーション能力に関して、

A 学歴もコミュニケーション能力もある。
B 学歴は高いが、コミュニケーション能力が低い。
C 学歴は低いが、コミュニケーション能力が高い。
D 学歴もコミュニケーション能力も低い。

という4つの類型が挙げられており、<就職活動において個人の思い通りの結果を手にし、終身雇用が保証されない社会でありながらも自在に自らのキャリアを主体的に構築してける人々は以下のような順番にその可能性が高くなるのではないだろうか>として、その順番が

A > C > B > D

とされ、<そして高学歴就職難民は、Bの類型に分類される人々だ>とある。

これを読んで、私は「コミュニケーション能力って、そんなに重要だろうか?」と思ってしまった。

学歴はたしかに過大評価されていて、このiammgさんが身をもって体験しているように、何ら将来を保障するものではない。しかしこれについては、「学歴は過大評価されている」こと自体が、最近は比較的知られるようになってきていると思う。

これに比べて「コミュニケーション能力」は、この図式でも重視されているし、ネットを見ていても、コミュニケーション能力が社会的成功の条件であるような記述をわりと見かける。これはちょっと過大評価だと思うのだ。

「コミュニケーション能力」って、他人とスムーズに話ができる、みたいなことだと思うけど、そんなことよりも、やっぱり「何ができるのか」という中身のほうがはるかに重要だろう。

パーティの司会であれば、コミュニケーション能力がコアスキルになるだろうが、クリエイターや職人、何かの専門家などであれば、作るものの良さや専門性のレベルのほうがはるかに重要だ。

一見コミュニケーション能力が重要そうな仕事、例えば営業職であっても、必ずしもパリっとしてペラペラしゃべる営業がいいとも限らないのだ。見た目も地味で口数も少ないけれども、すごく知識があって誠実な人なら、むしろお客さんに信頼されたりする。これは、実際にビジネスの世界に入ればわかることだ。

ビジネスとは「価値を売る」ことだから、企業は「価値を生み出せる」人を求めている。その意味では、「コミュニケーション能力」よりもまだ「学歴」のほうが、「価値を生み出せる」ことに近いかもしれない。一定の知的訓練を経ているなら、経ていないよりも、価値を生み出すのに有利だとも言える。

私の印象では、「女。京大生の日記。」のような面白いブログを書けるiammgさんは、じゅうぶん見込みがあると思う。学歴よりも、こうして学生のうちから自分の考えをブログで発信していることのほうが、将来的には意味をもってくるかもしれない。

現時点で就職活動に失敗したとしても、長い人生で見れば、むしろそれがきっかけになって、いい方向に舵を切るための転換点になるかもしれない。学歴が大したものじゃないのと同じように、一流企業への就職も、大したものじゃないと思う。

関連エントリ:
私は属性を信じない 私が信じるのは固有名詞だ
http://mojix.org/2005/12/30/231105
ブログが履歴書
http://mojix.org/2005/12/15/185137
「就活」中の学生へ
http://mojix.org/2004/02/22/051646