2009.03.29
VCASI公開フォーラム「コーポレーション」 企業という「仕組み」の認知的な意味
鈴木健さんのお誘いで、土曜に開かれたVCASIの公開フォーラム「コーポレーション」に参加してきた。

第4回VCASI公開フォーラム『コーポレーション』
http://www.vcasi.org/node/391

VCASIは「仮想制度研究所」の略で、東京財団の研究プロジェクトとして、青木昌彦スタンフォード大学名誉教授が主宰するもの(ミッションのページより)。

東京財団仮想制度研究所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1..

今回の公開フォーラムは、そのVCASIの「コーポレーション」プロジェクトの一環として開催されたもののようだ。

私は主に第1部を聞き、刺激されるトピックがたくさんあったのだが、やはり主宰の青木昌彦氏による冒頭の発表がきわめて印象的だった。

内容は、昨年オックスフォード大学の「Clarendon Lectures in Management Studies」で発表された、以下の講演をベースにしたものだった。

M. Aoki, "Corporations, Games, and Societies (Clarendon Lectures 2008)
http://www.vcasi.org/page/clarendon-lectures-management-studies-2008

私には難しくて理解できない部分も多かったのだが、以下のクアドラントを中心にした話は印象に残った。



これは、マネジメント側(M)と労働者側(W)がそれぞれ、その会社の事業に不可欠な認知資産(Cognitive Asset)(かんたんにいえば「知識上の強み」みたいなもの)を持っているかどうかで、企業を4つ(+1つ)に分類したもの。

右上の「A(アメリカ)」型は、マネジメント側の知識(MCA)のほうが不可欠で、労働者側の知識(WCA)は比較的代替可能であるような企業だ(例えばマクドナルドなどのフランチャイズが典型的だろう)。これに対して左下の「SV(シリコンバレー)」型は、現場労働者が優秀なIT技術者で、その知識のほうが不可欠で、これに対してマネジメント層の知識はそれほど不可欠ではない。中央の「J(日本)」はどちらもあいまい。(なお、これは私が理解したものを大雑把に説明したものなので、詳しくは資料を読んでください)

こういう企業の「強み」という話は、経営学やビジネス本などではしょっちゅう出てくるし、それだけではさほど新鮮なこともないが、今回の青木氏の発表からは、企業を「制度」「仕組み」と見なすという視点が強く伝わってきて、そこが私にはすごく新鮮だった。企業というシステムを、人間の認知をベースにしてモデル化し、そのあり方や意味を探ろうというアプローチだろう。

人間が単独で行動するのではなく、企業という「仕組み」のなかで行動するのはなぜか。その「認知」的な意味というのが、おそらく中心テーマだ。企業を「制度」と見なすことで、制度分析やゲーム理論の延長上に、経営学の競争戦略論みたいな話が出てくる、というのが面白いと思う。

第1部のまとめで、瀧澤弘和氏が「拡張された心(Extended Mind)」について紹介していた。心が環境を「拡張された心」として利用しているという話で、これが青木氏の話と、植田一博氏の発表(企業が想定していなかった「使われ方」によって企業が成長していく、といった話。これも面白かった)を結びつける補足になっていたのだが、これは私にはよくわかる感じがした。人間にとって、言語という道具・仕組みが「拡張された心」であるのと同じように、企業という道具・仕組みも「拡張された心」と見なす、という視点だ。ダメットの名前なども出てきて、かつて分析哲学にハマっていた私には、「ここでつながるのか!」みたいなうれしい驚きもあった。

経済は人間の行動で決まるので、経済のベースには人間の認知がある。その認知レベルから企業という「仕組み」を考えると、どう見えるのか。このフォーラムのおかげで、そんな視点を得られたような気がした。IT企業という立場からも、IT企業の特徴やビジネスモデルを広い視野で捉えなおすきっかけをもらえた気がして、とても刺激になった。

Update(4/2):
当日の動画がYouTubeにアップされている。丸1日分、全部載っているようだ。
http://www.youtube.com/view_play_list?p=6E0D6D993803475F


関連エントリ:
企業は「価値を生み出す装置」
http://mojix.org/2009/02/11/company_value_machine