ネットで叩かれることの効用 「残念」なネットに対する免疫力
Reuters Blogs : Felix Salmon - The upside of being flamed
http://blogs.reuters.com/felix-salmon/2009/06/30/the-upside-of-being-flamed/
「ネットで叩かれることの効用(The upside of being flamed)」について書いた面白いエントリ。
ブログを書いている人は、ネットで叩かれることに慣れているが、ブログを書いていない人はそれに慣れていない。ブログを書き始めたジャーナリストが、早速ついたひどいコメントにショックを受けたり、激昂するのを何度も見てきた、などと書かれている。
このエントリは、The Cajun Boyという人がGawkerに書いた次の記事を受けて書かれている。
Gawker - Look Who's Snarking Now: Novelist Uses Twitter to Trash Critic
http://gawker.com/5303534/alice-hoffman-trashes-literary-critic-on-twitter
Alice Hoffmanという小説家が、Boston Globeに載った自作に対する評に腹を立て、その評を書いたRoberta Silmanという人をTwitterで罵(ののし)り始めた。その評を載せたBoston Globeという媒体、そしてBostonという街までも罵倒し、Roberta Silmanの電話番号まで書いてしまった、という怒りのエスカレート過程が、Twitterのスクリーンショットとともに解説されている(Alice HoffmanのTwitterアカウントはすでに閉鎖されている)。
Roberta Silmanという人の評は、Alice Hoffmanの作品を批判している部分もあるが、褒めている部分もあり、比較的冷静なもののようだ。それに対して、Alice Hoffmanが激昂してしまったのは、「ネットで叩かれる」ことに慣れていなかったからで、もしAlice Hoffmanがブログを書いていたら、こうはならなかっただろう、という意味のことが書かれている。
<For all the criticisms that exist about writing on the internet, this situation is a bright, shining example of one of the best things about writing on the internet—After a while it thickens your skin to the point where you're easily able to easily differentiate between valid criticism and hateful venom-spewing. At some point, the hateful venom-spewing fails to even faze you any longer, while the valid criticisms are accepted and processed rationally and learned from. Too bad Alice Hoffman never had a blog to help her overcome her hypersensitive ego. She'd be a better writer because of it.>
(大意:ネットで書くことには批判もたくさんあるが、この話は、ネットで書くことの最良の側面のひとつに関する、すばらしい例になっている。しばらくネットに書いていれば、だんだん「皮膚」が厚くなってきて(訳注:耐性がつき)、まともな批判と、憎悪に満ちた毒吐きを区別できるようになる。そのうち、憎悪に満ちた毒吐きのほうは何とも思わなくなり、まともな批判だけを受け止めて、理性的に処理し、そこから学ぶようになる。Alice Hoffmanがブログを書いていなかったのは残念だ。もしブログをやっていたら、過敏すぎるエゴを克服して、より良い書き手になれていたのではないか)
冒頭のFelix Salmonのエントリは、この部分に共感して、これを引用し、自分の話につなげているわけだ。
<まともな批判と、憎悪に満ちた毒吐きの区別>のあたりは、ポール・グレアムの「反論ヒエラルキー」を思い出させるし、<憎悪に満ちた毒吐き>にあふれているネットという意味では、いまや日本のネット界における一大ムーヴメントと化した梅田望夫「残念」騒動にも通じるものがある。
<憎悪に満ちた毒吐き>とは、まさにネットの「残念」な側面である。これは望ましくないものではあるが、もはや「残念な現実」として受け止めるほかない。
ネットに書きつづけ、<憎悪に満ちた毒吐き>を浴びていると、「残念」なネットに対して、いわば「免疫力」がついてくる。これがネットに書くことの効用のひとつだ、というのがこの話だ。
関連エントリ:
反論ヒエラルキー
http://mojix.org/2008/04/13/disagreement_hierarchy
梅田望夫進化論
http://mojix.org/2009/06/08/umeda_shinkaron
「バカなもの」を書いているのがむしろ「バカ」ではないことが「残念」なのではないか?
http://mojix.org/2009/06/11/zannen_mondai
http://blogs.reuters.com/felix-salmon/2009/06/30/the-upside-of-being-flamed/
「ネットで叩かれることの効用(The upside of being flamed)」について書いた面白いエントリ。
ブログを書いている人は、ネットで叩かれることに慣れているが、ブログを書いていない人はそれに慣れていない。ブログを書き始めたジャーナリストが、早速ついたひどいコメントにショックを受けたり、激昂するのを何度も見てきた、などと書かれている。
このエントリは、The Cajun Boyという人がGawkerに書いた次の記事を受けて書かれている。
Gawker - Look Who's Snarking Now: Novelist Uses Twitter to Trash Critic
http://gawker.com/5303534/alice-hoffman-trashes-literary-critic-on-twitter
Alice Hoffmanという小説家が、Boston Globeに載った自作に対する評に腹を立て、その評を書いたRoberta Silmanという人をTwitterで罵(ののし)り始めた。その評を載せたBoston Globeという媒体、そしてBostonという街までも罵倒し、Roberta Silmanの電話番号まで書いてしまった、という怒りのエスカレート過程が、Twitterのスクリーンショットとともに解説されている(Alice HoffmanのTwitterアカウントはすでに閉鎖されている)。
Roberta Silmanという人の評は、Alice Hoffmanの作品を批判している部分もあるが、褒めている部分もあり、比較的冷静なもののようだ。それに対して、Alice Hoffmanが激昂してしまったのは、「ネットで叩かれる」ことに慣れていなかったからで、もしAlice Hoffmanがブログを書いていたら、こうはならなかっただろう、という意味のことが書かれている。
<For all the criticisms that exist about writing on the internet, this situation is a bright, shining example of one of the best things about writing on the internet—After a while it thickens your skin to the point where you're easily able to easily differentiate between valid criticism and hateful venom-spewing. At some point, the hateful venom-spewing fails to even faze you any longer, while the valid criticisms are accepted and processed rationally and learned from. Too bad Alice Hoffman never had a blog to help her overcome her hypersensitive ego. She'd be a better writer because of it.>
(大意:ネットで書くことには批判もたくさんあるが、この話は、ネットで書くことの最良の側面のひとつに関する、すばらしい例になっている。しばらくネットに書いていれば、だんだん「皮膚」が厚くなってきて(訳注:耐性がつき)、まともな批判と、憎悪に満ちた毒吐きを区別できるようになる。そのうち、憎悪に満ちた毒吐きのほうは何とも思わなくなり、まともな批判だけを受け止めて、理性的に処理し、そこから学ぶようになる。Alice Hoffmanがブログを書いていなかったのは残念だ。もしブログをやっていたら、過敏すぎるエゴを克服して、より良い書き手になれていたのではないか)
冒頭のFelix Salmonのエントリは、この部分に共感して、これを引用し、自分の話につなげているわけだ。
<まともな批判と、憎悪に満ちた毒吐きの区別>のあたりは、ポール・グレアムの「反論ヒエラルキー」を思い出させるし、<憎悪に満ちた毒吐き>にあふれているネットという意味では、いまや日本のネット界における一大ムーヴメントと化した梅田望夫「残念」騒動にも通じるものがある。
<憎悪に満ちた毒吐き>とは、まさにネットの「残念」な側面である。これは望ましくないものではあるが、もはや「残念な現実」として受け止めるほかない。
ネットに書きつづけ、<憎悪に満ちた毒吐き>を浴びていると、「残念」なネットに対して、いわば「免疫力」がついてくる。これがネットに書くことの効用のひとつだ、というのがこの話だ。
関連エントリ:
反論ヒエラルキー
http://mojix.org/2008/04/13/disagreement_hierarchy
梅田望夫進化論
http://mojix.org/2009/06/08/umeda_shinkaron
「バカなもの」を書いているのがむしろ「バカ」ではないことが「残念」なのではないか?
http://mojix.org/2009/06/11/zannen_mondai