2010.09.03
村上隆に「ムカつく」のはなぜか
Togetter - なぜ村上隆がヲタクに叩かれるのか
http://togetter.com/li/46166

村上隆がオタク界隈から批判されているそうで、その現象というか、構図が面白い。

オタク界隈から見て村上隆が「ムカつく」のには、主に次の3つの側面があると思う。

1)現代美術の作家が、われわれのオタクネタを「利用」している。「門外漢」「ヨソモノ」がムカつく。
2)それがとんでもない高値で取引されている。「金持ち」「商売」がムカつく。
3)なぜそれに高値がつき、現代美術として評価されるかが理解できない。「わからない」ことがムカつく。

「オタクの世界」と「現代美術の世界」は、それぞれ「ハイコンテクスト」な世界で、詳しい人にしか理解できない。

村上隆はその両方の世界に通じていて、「オタクの世界」の文物を「現代美術の世界」で売る「輸出業者」みたいなところがある。両方の世界に通じているからこそ、「これをこっちに持っていって、こういうふうに見せたら売れるな」ということがわかるわけだ。これはビジネス的には当然の考え方だし、投資でいう「裁定取引」にも似ている。

これを「オタクの世界」の住人から見ると、自分たちの世界のものが、なぜ「現代美術の世界」でそんなに評価され、高値で取引されるのか、理解できない。村上隆という「輸出業者」のおかげで、自分たちの世界が注目され、その「市場価値」が上がっているのに、上の1)~3)の「ムカつく」が合体して、素直に喜べず、むしろ反発を感じるわけだ。

2つの世界に通じた「輸出業者」が成功すると、輸入元にあたる世界の住人が「ムカつく」という構図は、しばしば見かける。例えば、梅田望夫氏の『ウェブ進化論』がバカ売れして、ネット技術に詳しい人が「ここに書いてあるようなことはとっくに常識で、新しくもないし、何でそんなに売れるのかわからない」とムカつく、みたいなのがそうだ。

梅田氏の『ウェブ進化論』の場合は、「ネット技術に詳しい人たちの世界」と「新書を読むような一般人の世界」にそれほど大きな隔たりがないし、「専門的な知見」を「一般読者」に紹介しているという意味では、ありふれた話だろう。ネット技術に詳しい人から見ると、「何でそんなに売れるのかわからない」と不満を感じつつ、自分たちのほうが「上の立場」である、という安心感はある。

しかし村上隆の場合は、「オタクの世界」と「現代美術の世界」が両方とも、高度に専門的な世界だ。さらに、「現代美術の世界」のほうが何か「偉い」感じがするし、よくわからない作品が何千万円、何億円で取引されたりしており、「オタクの世界」の住人からすると、自分たちが「下の立場」ではないか、と感じる。これが「ムカつく」のだろう。

現代美術は、印象派ダダ以来ずっと、いわば「スキャンダル」の歴史であり、「こんなものは芸術じゃない!」という反感や悪評によって、むしろ盛り上がり、注目されてきたところがある。「炎上マーケティング」みたいなものだ。

多くの人が「これはひどい」と騒げば騒ぐほど、「自分も見てみたい」と思うのが人間だろう。「たしかに、これはひどい」と思う人もいるが、「いや、これはむしろいいじゃないか」と思う人もいる。「これはひどい」と騒ぐ人は、その存在を広めてくれている。

村上隆に「ムカつく」のだとすれば、それはそこに「何か」があるからだ。どうでもいいもの、単につまらないものであれば、そもそも「ムカつく」ことすらない。

これだけ反感や悪評をひき起こすということは、現代美術ではむしろ名誉である。現代美術に限らず、いわゆる賛否両論のものには、たいてい「何か」がある。そこに「無視できないもの」があるのだ。現代美術というのは、その「何か」を意識的に追求することが「成果」になる領域である。

特に村上隆の場合は、これだけ商業的にも成功し、ビジネスを意識的に追求していること自体が、現代美術の「コンテクスト」から見ても異色である。アートをビジネスにしている人はたくさんいるが、村上隆のように「アートとビジネスの見分けがつかない」存在は、それほど多くない。このスリリングな立ち位置によって、村上隆は現代美術の側でも少なからぬ反感を買っている。

現代美術に限らず、日本ではそもそも「ビジネス」「金儲け」自体が反感を買う。村上隆は、その作風自体がスキャンダラスなだけでなく、そのスキャンダラスな作品がとんでもない高値で取引されていることや、「アートとビジネスの見分けがつかない」という存在のしかたも、スキャンダラスである。

しかし、冒頭のTogetterのまとめを読むと、村上隆は自分の考えをとてもていねいに説明していて、いわゆるアーティスト的な「お高い」感じがまったくない。むしろカッコ悪いくらいに説明していて、「ぶっちゃけ」ている。いわば、スキャンダルを自ら解体してしまっているのだ。アーティストというよりも、いい教師みたいな感じだ。ちゃんと批判者と同じ高さまで降りてきて、本音で対話している。こういうアーティストは、なかなかいないだろう。


関連エントリ:
極論の効用
http://mojix.org/2009/05/08/kyokuron_kouyou
肯定と否定は、実はけっこう近い
http://mojix.org/2005/09/23/093958