2010.10.21
これを「リバタリアンIT長者のトンデモ思想」と言い切れるか PayPal創業者ピーター・シールの「先見力」
ニューズウィーク日本版 - リバタリアンIT長者のトンデモ思想(2010年10月19日)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2010/10/post-1720.php

<「大学を中退して起業すれば10万ドル」という提案は、シリコンバレーに蔓延する行き過ぎた自由主義の象徴だ>という副題で、PayPal創業者・元CEOの起業家、ピーター・シール(Peter Thiel)が紹介されている。

<フェースブックへの投資などで儲けた金を、宇宙に自由主義者の新国家を作るために投ずるシール>など、この記事ではピーター・シールを「トンデモなリバタリアンIT長者」として、批判的かつユーモラスに紹介している。

まあブッ飛んでいることは確かだろう。しかし、この人は決してただのトンデモじゃない。PayPalの創業者・元CEOであり、Facebookにも初期に投資しているのだから、そこだけ見ても、この人の「先見力」は明らかだ。記事中には、例えばこういう記述がある。

<彼を突き動かす原動力は「ITユートピア構想」だ。オンライン決済サービス、ペイパルの創業で、シールは税制や中央銀行の政策の縛りを超えたグローバル通貨の創設を目指した。フェースブックは彼にとって、国境を越えた自発的なコミュニティーを形成する一つの手段だった>。

もしこれを読んで、単に「トンデモ」としか感じない人がいるとしたら、むしろ鈍感であり、現状認識が遅れているように思う。

最近では音楽やアプリケーション、電子書籍などのダウンロード販売も普及してきて、ネットでの決済もあたりまえになりつつあるが、1998年創立のPayPalは、はるか昔からそこに注目していた。

ネット上で販売や決済をやろうとすれば、必ず「通貨」や「制度」が問題になってくる。ネットは国境を越えているが、「通貨」や「制度」は国に縛られているからだ。ピーター・シールはもともとリバタリアンなので、この限界を超えようとする意識がとりわけ強いことは間違いない。しかしリバタリアンでなくたって、ネット上での販売や決済について考えていけば、「通貨」や「制度」という問題はすぐに行き当たるのだ。

このテーマについては、以前「企業が通貨を発行する時代 通貨という「プラットフォーム」」というエントリで、私はこのように書いた。

<すでに、ツバルのような小国が自国のドメインをまるごと売る、といった例があるが、今後は例えば、そうした小国がGoogleのような企業と組んで、国の通貨や金融システムをまるごとその企業にアウトソースする、といったこともありうるかもしれない。そうなれば、小国であることがハンディやデメリットではなく、国の仕組みをスピーディにどんどん変えていけることがむしろ強み・メリットになるかもしれない>。

<ネットはすでに国境を越えているが、通貨や法はまだ国に縛られている。情報技術のプラットフォーム上で有償のコンテンツやサービスを増やし、決済をやろうと思えば、必ず通貨や法が問題になってくる。つまり情報技術のプラットフォームと、金融や通貨は「地続き」なのだ。もし仮に、Googleのような企業が小国と組んで、その通貨や法を動かせるようになれば、その小国のイノベーションはきわめて速くなり、情報技術を中心とした人や企業を世界じゅうから引きつけるかもしれない。今後の世界では、情報技術の比重・重要性がますます高まっていくことは間違いないから、そうなれば、世界の中でのその小国の存在感も高まっていくことは間違いない>。

私でもこれくらいは想像がつくのだから、世界規模でITプラットフォームの主導権争いを実際におこなっている「GAMANA」やFacebookのような企業であれば、こんなことはとっくの昔から当然考えているだろう。

記事では上の部分につづけて、こういう記述がある。

<オフラインの世界では、シールは海上に法律の及ばない水上共同体を作ったり、宇宙開発を進めたりする非営利団体「シースティーディング(海上国家建造計画)」の中心的な支援者でもある。狙いは、海上や宇宙空間で新たな政治体系を作り上げること。実現には時間がかかるかもしれないが、そのための対策も忘れていない。人間は1000年生きられると信じて延命方法の研究を行っているメシュセラ基金に巨額の寄付をしているのだ>。

このレベルまで来ると、たしかに普通の人からすると「トンデモ」風味が感じられるかもしれない(笑)。しかし私のようにリバタリアニズムに共感している人間からすると、「まあそうだろうなあ」という納得感がある。ピーター・シールの場合、これはリバタリアニズム的な動機から出ているだけでなく、ネットでの商取引に「通貨」や「制度」が障害になる、という先の話の延長上にあることは間違いない。Googleのような企業がツバルのような小国と組んでもおかしくない、という私の考えに賛同してくれる人であれば、海上や宇宙に新しい「国」を作ろうという発想も、それほど荒唐無稽とは思わないだろう。

いずれにしても、このピーター・シールの「トンデモ」な試みは誰にも迷惑をかけていないのだし、巨額のカネをこういう先進的な研究につぎ込んでいるわけだから、むしろ人類に貢献している。シリコンバレーでは、起業や投資で成功して億万長者になった人が、こういうブッ飛んだ研究にカネを出すことで、さらにイノベーションが起きていくというサイクルがあるのだろう。こういうブッ飛んだ研究は、国の税金ではできない。

この海上国家構想については、以前、次のエントリで紹介したことがある。

ミルトン・フリードマンの孫にしてGoogleエンジニア、パトリ・フリードマンによるプロジェクト「海上住宅研究所」
http://mojix.org/2008/08/23/patri_friedman_seasteading

<米PayPal社の創設者であるPeter Thiel氏から受け取った50万ドルの寄付金を元手に、米Google社のエンジニアと米Sun Microsystems社の元プログラマーは、「多様な社会システム、政治体制、法制度を持つ」実験的な海上コミュニティーの構築を目的とする団体『海上住宅研究所』(Seasteading Institute)を設立した>。



そう、「トンデモなリバタリアンIT長者」のPayPal創業者、ピーター・シールが50万ドルを出したのは、同じくリバタリアンで、それもミルトン・フリードマンの孫にしてGoogleエンジニアという、こちらもスゴイ肩書きのパトリ・フリードマンだったのだ。

まさに「トンデモなリバタリアン」のコンビとも言えるかもしれないが、こういうクレイジーなことに本気で取り組む人がいて、それにカネを出してくれる人がいる、というのがアメリカのすごいところだ。これを「トンデモ」だと鼻で笑うような「常識人」よりも、トンデモでクレイジーなことに挑戦する人のほうが、断然カッコいいと思う。


関連:
Wikipedia - Peter Thiel
http://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Thiel

関連エントリ:
企業が通貨を発行する時代 通貨という「プラットフォーム」
http://mojix.org/2010/01/04/company_money
ミルトン・フリードマンの孫にしてGoogleエンジニア、パトリ・フリードマンによるプロジェクト「海上住宅研究所」
http://mojix.org/2008/08/23/patri_friedman_seasteading