2010.11.17
国民は「施主」である
きのうのエントリで採り上げたasahi.comのニュース(若手官僚2人がシンクタンク設立)に、みんなの党の山内康一氏も言及している。

山内康一の「蟷螂(とうろう)の斧」 - 元官僚がシンクタンク設立(2010年11月16日)
http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-572e.html

<霞が関の官僚機構も、霞が関の外の民間シンクタンクやNPOも、
どちらも活発に政策を議論し、アイデアを出し合い「政策市場」で競い合うのが、
日本全体にとってベストな状況だと思います>。

<残念ながらこれまで日本は、霞が関の外の政策立案機能が弱かったのが現実です。
これからは民間シンクタンクが頑張って、霞が関とは異なる視点から、
政策を提言し、政治が実現していく、というルートを強化すべきです>。

<そういう意味では、朝比奈さんと遠藤さんのチャレンジは意味があります。
二人とも元官僚なので、霞が関の手法も強みも弱みも熟知しています>。

みんなの党は「脱官僚」を唱えていて、幹事長の江田憲司氏も元官僚の政治家である。みんなの党には、やはり元官僚で現在はシンクタンク「政策工房」の代表取締役会長である高橋洋一氏も協力していると言われている。よって、「元官僚がシンクタンク設立」というニュースに山内氏が注目するのも当然だろう。

<彼らが中心になって若手官僚の政策提言グループ「プロジェクトK」を立ち上げ、
霞が関の改革案を「霞ケ関構造改革・プロジェクトK」と銘打って出版しました。
彼らは霞が関の中では、急進改革派として注目されてきました>。

<元官僚が霞が関のライバルとして民間シンクタンクを立ち上げる、すばらしいです。
問題は彼らに仕事を発注する行政機関、地方自治体、企業があるか、という点です。
彼らが活躍できるか否かは、日本の「政策市場」が成熟しているか否かの試金石です。
朝比奈さん、遠藤さんには、がんばってほしいと思います>。

行政機関や地方自治体をサポートする役割も重要だが、できるだけ純粋に「民間のカネ」で政策シンクタンクが回っていく、という「政治エコシステム」ができていけばいいと思う。アメリカなどでよくやっているように、まずはテレビなどのメディアが引っぱり出して、どんどんコメントしてもらってはどうか。官僚のときには立場上しゃべれなかったことも、しゃべってくれるだろう。

日本の「政策市場」は成熟どころか、そんなものが存在するとは誰も知らないくらい、「無」に近い状態ではないか。すべてはこれから、という段階だろう。しかし、動きは出てきていると思う。政権交代も、みんなの党の浮上も、その「変化の兆し」だろう。朝比奈氏・遠藤氏の「脱藩」とシンクタンク設立も、この流れの上にある。

日本の国民は、「政治は政府がやるものだ」と思い込んでいて、すべて政府に「おまかせ」「丸投げ」してしまっている。蔵研也氏はこれを「クニガキチント」と呼んだが、この「クニガキチント」構造こそ、政治に関する多くの問題の基本要因であると思う。この構造を脱却し、少なくとも「どのような政治がいいのか」というアウトラインまでは国民が主体的に考えて、政府はそれを実現する「下僕」になる、という「上下関係」をつくっていく必要がある。

日本という国が「住宅」だとすれば、国民はその「施主」にあたる(「国民が政治を育てる」)。いまの日本というのは、政府が「競合のない独占ハウスメーカー」みたいなものだろう。国民という「施主」がまったく主体的に考えておらず、日本という「住宅」をどう作るかについて、独占ハウスメーカーにすべて「おまかせ」状態なので、住宅の金額もスペックも、その独占ハウスメーカーが好きなようにやっているわけだ。独占ハウスメーカーも根っからの「ワルモノ」ではなく、大抵は「よきにはからって」くれているのだが、一部にはズルもあるし、タスクが集中しすぎていて、処理能力の限界もある。民間に任せればいいものを、政府が余計な介入をしたりもしているので、ますます政府の仕事が増えている。

民間の政策シンクタンクというのは、国民が主体的に考えるためのアドバイザーであり、また政治家という「建築家」をサポートする存在でもある。そのアドバイザーかつサポーターが、もし政府のカネで雇われていたら、国民が政府を「下僕」としてコントロールすることはできないだろう。

いまの日本は、国民がただ漠然と「いい政治をやってくれ」と考えているような感じだ。これだと、どのような政府がいいか、また政府の担当範囲はどこまでなのか、といったスペックがすべてあいまいになる。それでは当然うまくいかないのだが、しかしうまくいかない原因が、日本では「政治家が悪い」「官僚が悪い」といった「ワルモノ論」になってしまうのだ。原因はワルモノではなく、「いい政治」の内容、つまりどのような政府がいいか、また政府の守備範囲はどこまでなのかといったことについてのイメージを、そもそも国民が持っていないということにある。「クニガキチント」という妄想、いわば「政府万能論」が、うまくいかない現実に直面して180度反転し、その失望が「ワルモノ論」になるわけだ。これでは、いつまで経っても「いい政治」は実現できない。真の原因は国民にあるということを、国民自身がわかっていないのだ。

「クニガキチント」の妄想と、「ワルモノ論」は表裏一体のものだ。そこに抜けているのは、どのような政府がいいか、また政府の担当範囲はどこまでなのか、といった具体的な「スペック」の話である。これこそが「政策」なのだ。その「政策」を、政府でなく民間サイドで担うのが政策シンクタンクである。つまり、いまの日本における政策シンクタンクの層の「薄さ」は、世論やマスコミにおける政策論の「薄さ」、政治家になる人材の層の「薄さ」などにつりあったものだ。

すべての国民に対して、「建築家」並みの専門知識を持てというのは無理がある。しかし少なくとも、「施主」としての自覚と、どんな政治が「いい政治」なのかというビジョンを持つことは、国民としての義務ではないだろうか。その「施主」たる国民と、「建築家」たる政治家を橋渡ししつつ、その両方を助けるのが政策シンクタンクである。

ふだんから政策について考えていない人が、いきなり投票に行っても、まともな投票はできない。国民はふだんから政策について考えているべきだし、政治家も選挙のときだけ出てくるのではなく、ふだんから政策の話をしているべきだろう。国民がふだんから政策について考え、政治家がふだんから政策について話すとき、政策シンクタンクという専門家集団がいれば、その相談窓口や話し相手、「スパーリングパートナー」になれそうだ。そのようにして政策の話がもっと日常化すれば、国民の投票はより良いものになり、政治家の政治もより良いものになるだろう。日本の政治をもっと良くするために、民間の政策シンクタンクが果たせる役割の余地はきわめて大きい。


関連エントリ:
「プロジェクトK」の若手官僚2人が霞が関を去り、政策シンクタンク「青山社中」を設立
http://mojix.org/2010/11/16/aoyama-thinktank
日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」
http://mojix.org/2009/08/29/nihon_no_mondai
渡辺喜美・江田憲司『「脱・官僚政権」樹立宣言』 「ピュアネス」と「経験」を兼ね備えた貴重な政治家
http://mojix.org/2009/08/27/datsukanryou
国民が政治を育てる
http://mojix.org/2009/05/05/kokumin_seiji