Jeffrey Zeldman「ツイッターのフォロワー数を競うのは無意味」
著名なウェブデザイナーであるJeffrey Zeldmanが昨年の4月に書いた、「Stop chasing followers」という一文を知った。
Jeffrey Zeldman - Stop chasing followers
http://www.zeldman.com/2010/04/21/stop-chasing-followers/
ツイッターのフォロワー数を競うのは無意味だ、といった内容。ツイッターに限らない普遍的な教訓を含んでおり、なかなかいい内容だと思う。いくつか抜き出してみよう。
<The internet is not a numbers game. It’s about dialog, persuasion, and influence.>
(大意:インターネットは数のゲームではない。そのゲームを成立させているものは、「対話すること」「説得すること」「影響を与えること」だ。)
<You don’t want a million people reading your HTML5 blog. You want members of the HTML5 working groups and key influencers from Google, Apple, and Microsoft reading your HTML5 blog. Likewise, it’s better to have twenty meaningful comments than a thousand +1s.>
(大意:あなたがHTML5についてのブログを書いているとする。あなたはそれを100万人の人に読んでもらいたいとは思わないだろう。あなたが自分のブログを読んで欲しいと思うのは、HTML5ワーキンググループのメンバーや、GoogleやApple、Microsoftにいる影響力のある人たちだろう。同じように、「+1」というコメントを1000個もらうよりは、意味のあるコメントを20個もらいたいと思うだろう。)
<Following doesn’t mean paying attention. You don’t want numbers on Twitter, not really. What you want is to follow and be followed by human beings who care about issues you care about.>
(大意:フォローすることは、「注意を払うこと」を意味してはいない。あなたはツイッターで、フォロワー数の「大きな数字」を欲しいわけではないだろう。あなたがほんとうに欲しているものは、あなたと関心を共有する人たちをフォローし、フォローされることだろう。)
<This thing we make together. This thing is about hearts and minds, not eyeballs. Especially not eyeballs that aren’t even watching. Eyeballs is so 90s. And it was never the right metric.>
(大意:ネットというものは、わたしたちがいっしょに作るものだ。ネットを成立させているものは、ハートとマインドであって、アイボール(目玉)ではない。特に、見てもいないアイボールは不要である。アイボールで考えるのは90年代の発想だ。というか、アイボールが正しい尺度であったためしがないのだ。)
ここでの「フォロワー数」は、「知名度」に置き換えても大体通じると思う。
まず中身や実力があって、それに「知名度」がついてくる、というのが自然な順番だろう。しかし、「この人は有名だから、すごい人なのだろう」「この本は売れているから、いい本なのだろう」というふうに判断する人がたくさんいるので、「知名度」は自己増殖していく傾向がある。
「知名度」はしばしば利益につながるので、この仕組みを使って利益をあげようと考える人が出てくるのも当然だろう。
Jeffrey Zeldmanの書いていることは美しいし、理想かもしれない。しかし、現実世界というものは、もうちょっと「欲にまみれている」ように思う。
関連エントリ:
人気のメカニズム
http://mojix.org/2008/10/30/popularity_mechanism
知名度はバブルになりやすく、ロングテールにこそたくさんの実力者が埋もれている
http://mojix.org/2006/02/06/005535
Jeffrey Zeldman - Stop chasing followers
http://www.zeldman.com/2010/04/21/stop-chasing-followers/
ツイッターのフォロワー数を競うのは無意味だ、といった内容。ツイッターに限らない普遍的な教訓を含んでおり、なかなかいい内容だと思う。いくつか抜き出してみよう。
<The internet is not a numbers game. It’s about dialog, persuasion, and influence.>
(大意:インターネットは数のゲームではない。そのゲームを成立させているものは、「対話すること」「説得すること」「影響を与えること」だ。)
<You don’t want a million people reading your HTML5 blog. You want members of the HTML5 working groups and key influencers from Google, Apple, and Microsoft reading your HTML5 blog. Likewise, it’s better to have twenty meaningful comments than a thousand +1s.>
(大意:あなたがHTML5についてのブログを書いているとする。あなたはそれを100万人の人に読んでもらいたいとは思わないだろう。あなたが自分のブログを読んで欲しいと思うのは、HTML5ワーキンググループのメンバーや、GoogleやApple、Microsoftにいる影響力のある人たちだろう。同じように、「+1」というコメントを1000個もらうよりは、意味のあるコメントを20個もらいたいと思うだろう。)
<Following doesn’t mean paying attention. You don’t want numbers on Twitter, not really. What you want is to follow and be followed by human beings who care about issues you care about.>
(大意:フォローすることは、「注意を払うこと」を意味してはいない。あなたはツイッターで、フォロワー数の「大きな数字」を欲しいわけではないだろう。あなたがほんとうに欲しているものは、あなたと関心を共有する人たちをフォローし、フォローされることだろう。)
<This thing we make together. This thing is about hearts and minds, not eyeballs. Especially not eyeballs that aren’t even watching. Eyeballs is so 90s. And it was never the right metric.>
(大意:ネットというものは、わたしたちがいっしょに作るものだ。ネットを成立させているものは、ハートとマインドであって、アイボール(目玉)ではない。特に、見てもいないアイボールは不要である。アイボールで考えるのは90年代の発想だ。というか、アイボールが正しい尺度であったためしがないのだ。)
ここでの「フォロワー数」は、「知名度」に置き換えても大体通じると思う。
まず中身や実力があって、それに「知名度」がついてくる、というのが自然な順番だろう。しかし、「この人は有名だから、すごい人なのだろう」「この本は売れているから、いい本なのだろう」というふうに判断する人がたくさんいるので、「知名度」は自己増殖していく傾向がある。
「知名度」はしばしば利益につながるので、この仕組みを使って利益をあげようと考える人が出てくるのも当然だろう。
Jeffrey Zeldmanの書いていることは美しいし、理想かもしれない。しかし、現実世界というものは、もうちょっと「欲にまみれている」ように思う。
関連エントリ:
人気のメカニズム
http://mojix.org/2008/10/30/popularity_mechanism
知名度はバブルになりやすく、ロングテールにこそたくさんの実力者が埋もれている
http://mojix.org/2006/02/06/005535