2011.01.06
田村耕太郎「この際、日本を30のシンガポールに分けたらどうか?」
前参議院議員の田村耕太郎氏が、「この際、日本を30のシンガポールに分けたらどうか?」という提言をしている。

日経ビジネスオンライン : 田村耕太郎の「経世済民見聞録」 - この際、日本を30のシンガポールに分けたらどうか?(2011年1月5日)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110104/217792/

<日本の問題は、日本政府ができもしないのに、日本政府が国民にやさしくしようとすることから始まっている。その背後に、政権を失いたくない、選挙に落ちたくないという政治家の存在がある>。

まったくその通りだと思う。

日本政府はひたすら国民を甘やかし、問題に切り込まず、解決を先送りしつづけている。これは良く言えば「パターナリズム」であり、子供を甘やかす親のようなものだろう。しかし悪く言えば「詐欺」であり、本来果たすべき役割を果たさず、自分の保身しか考えていない給料泥棒である。

日本の問題はどこにあり、どうやれば解決できるのか。頭のいい政府の人間が、これを理解していないはずがないのだ。しかし、ほんとうにそれをやろうとすれば、激しい抵抗にあい、いまの職や地位を失いかねない。だから誰もやろうとせず、「知らんぷり」しているのだろう。

<私はここに、日本に30のシンガポールをつくることを提言する。今や国民1人当たりでアジアNo1の豊かさを誇り、今年の上半期も18%近い成長率をたたき出したあの国だ。その秘密はそのサイズにあると思う。私は、人口400万人のシンガポールが、財政錯覚を起こさず、住民が政府と一緒になり、創造力と危機感を共有して繁栄する地域を築いていく適性サイズだと思う。人口1億2000万人の日本なら30のシンガポールができる>。

この「日本に30のシンガポールをつくろう」という提言は、田村耕太郎氏の以前からの持論である。私もこれに賛同し、本ブログでも紹介してきた。

田村耕太郎参議院議員「日本を30のシンガポールに分ける」
http://mojix.org/2009/10/01/30_singapore_in_japan

<シンガポールのような小国は、資源もほとんどないので、とにかく人や企業を集めて、そこから価値を生み出すしかない。強い規制・高い税金では人も企業も集まらないし、ダメな政治をチンタラやっている余裕もない。小国にはそういう緊張感があり、どうやって先進国や大国と渡り合っていくのか、自国の「生き残り戦略」を必死で考える(田村氏は<背水の陣>と表現している)。そういう緊張感のある小国を日本の中にたくさん作る、というのがこの話だ>。

今回の記事では、この話がより詳しく述べられている。

<「日本に30のシンガポールをつくる」ことは、完全な1国2制度だ。その代わり地方交付税のような財政調整機能は廃止。一つひとつの「シンガポール」である自治体が税制から法制度まで自在に決められる。自ら徴税し、住民とともに使途を検討し、決めて実行する。自らやりくりするのだ>。

<国は、各自治体が拠出する基金でひっそりと運営する。外交防衛、マクロの経済・金融にその役割を限定する>。

<これは地方分権とか道州制ではなく霞ヶ関解体である。日本の最大の問題は公的債務の大きさと成長力の低下である。これは親方日の丸意識から来る財政錯覚とイノベーション不在にある。まず、財政錯覚の打破。このためには財政をできるだけ住民の近くに持ってきて、責任と参画意識を共有することだ。財政が今のように遠くに離れると、地方の住民は国の金庫には「金のなる木」があると思ってしまう。この木に成る金を引っ張ってくるのが良い政治家ということになる。そんな政治を積み重ねた結果が GDPの2倍に上る累積債務だ。「自分たちの払った金でやりくりする」という当たり前の感覚を当たり前にしていくのだ>。

<次に、「シンガポール」間の自由競争を導入し、政治制度のイノベーションを起こす。実際に現場を運営していない霞ヶ関に社会を元気にする制度を生み出すよう求めるのは酷だ>。

<税制で勝負をかけてもいいだろう。法人税カットに絞るか、消費税カットに絞るか。カジノ収入に賭けて無税を貫くこともできるかもしれない。もしくは富裕層に優遇税制を提供する。国内外から富裕層が集まる逃避地にすることで、豊かな財源を獲得してもいい。若者を集める税や補助金、高齢者を集める税や補助金も競い合えばいい。現行の特区みたいなものではガス抜きにもならない>。

<アイデアはいくらでも出てくる。要は、リーダーと住民が心と財布を一つにして死ぬ気で頑張らないと実現できないということだ。死ぬ気でやるなら、世界の投資家は未開の新興国より、日本を選ぶだろう。日本版シンガポールに投資してハンズオンで手伝ってくれるにちがいない。「死ぬ気」というのを正確に定義すれば「国や他の自治体から財政支援は一切受けない」ということだ。助けられてはいけない>。

<最後に、「日本に30のシンガポールをつくる」この制度こそが、本当の国家経営者を生み出す。選んだ人によって、自らの納税額や行政サービスが直接・即時に影響を受けるからだ。本当の民主主義を日本人が学ぶのだ。今のような知名度や世襲ではなく、投票はもちろん候補者選定にもさらに真剣になるだろう。その自治体を見限って引っ越す「足による投票」も増えるだろう>。

<日本版シンガポールを導入すれば、切羽詰った厳しい状況の中で、それぞれの「シンガポール」のリーダーたちが成果を出す外交交渉も学んでいくだろう。グローバル社会に対応しないと、「シンガポール」は生きていけない>。

今回の記事も、完全に賛同できる内容だ。

「日本に30のシンガポールをつくる」というのは、言い換えれば、「日本を連邦制にする」という話に近い。

日本も連邦制にすればいいのでは
http://mojix.org/2010/08/04/renpousei

<仮に一票の格差がほぼ解消されたとしても、1億2千万人の国をどうするのか、中央集権体制で決めている限り、ほぼ永遠にうまくいかないのではないか。政治とは制度の「設計」だから、中央集権体制とは、その「設計」をひとつに決めなければならないということだ。1億2千万人という規模の国の「設計」をひとつに決めなければならないということ自体が、基本的な「設計」として誤っているように思う>。

<社会というものは複数の人間から成る以上、その複数の人間の全員が完全に合意することはありえない。しかし、その社会のサイズが小さければ小さいほど、そこに参加する人間の数が少ないので、その社会における決定は、各個人の希望からの乖離が少なくなる>。

<システムが長く生き残るには、「多様性」が欠かせない。中央集権体制の日本は、社会レベルでの「多様性」を欠いているので、個々の人間という個体レベルでの「多様性」をも失わせてしまう。この中央集中型の設計をやめて、分散型の設計に切り替えれば、社会レベルでも「多様性」が生じるし、複数の社会から選択できる自由が生じることで、個人レベルの「多様性」も拡大するだろう>。

こういう「多様性」のある「分散型」の社会というのが、私にとって理想的な社会だ。日本がこういう方向に進めば、日本はきっと変われるし、良くなると思う。

「全体でひとつの設計を選ばねばならない」というのが、そもそも無理な「設計」なのだ。国という大きなシステムを、より小さいシステム、「小国」に分割する。こうすれば、それぞれが自由に「設計」を決められるようになるし、国におんぶする依存体質もなくなる。

田村耕太郎氏の「日本を30のシンガポールに分ける」という表現は、

1)日本を「小国」に分割しよう

という提言だけでなく、そうすれば、

2)日本もシンガポールのように元気になる

という意味を含んでいる。「地方分権」「地域主権」「道州制」といった硬い表現に比べて、そうすることの「メリット」がわかりやすいのがいい。


関連エントリ:
日本も連邦制にすればいいのでは
http://mojix.org/2010/08/04/renpousei
北海道独立論
http://mojix.org/2010/02/24/hokkaido_dokuritsu
田村耕太郎参議院議員「日本を30のシンガポールに分ける」
http://mojix.org/2009/10/01/30_singapore_in_japan
大前研一による「道州制のビジネスモデル」
http://mojix.org/2008/06/23/ohmae_doushuusei