2006.02.06
知名度はバブルになりやすく、ロングテールにこそたくさんの実力者が埋もれている
西村肇の発見は、私にとって特別な「固有名詞」の発見だ。

その人を発見して、文章を読み込んでいってこれほど興奮したのは、
おそらく梅棹忠夫とか、甲田光雄以来だと思う。

西村肇にしても、梅棹忠夫、甲田光雄にしても、もう老人といっていい年齢だ。
こういうすごい人の存在を知らずに私は過ごしてきたかと思うと、情けなくなる。
まさしく「ヘタな考え、休むに似たり」だ。

そして、私が知らないすごい人はまだまだたくさんいるに違いない。
日本だけでなく、当然海外にもいるだろうし、
すでに死んでしまった歴史上の人まで入れれば、それこそ無数にいる。

しかしむずかしいのは、こういう特別な「固有名詞」との出会いは、
「属性」的なフィルタリング、効率のいい発見の方法がないという点だ。
とにかくその人の書いたものを直接読むしかない。

西村肇は東大、梅棹忠夫は京大、甲田光雄は阪大を出たかもしれないが、
西村肇、梅棹忠夫、甲田光雄のような特別な「固有名詞」は、
東大、京大、阪大といった「属性」とは関係ない。
特別な固有名詞は、どこへ行ったって、あるいはどこへも行かなくても、頭角をあらわすものだと思う。

知名度や、出回っている評判も私は信用しない。
読んで「ピンとくる」かどうかが全てだ。
梅棹忠夫は有名だが、甲田光雄や西村肇は梅棹忠夫ほど有名ではないだろう。
有名・無名は関係ない。
有名でもくだらないものはたくさんあり、無名でもすばらしいものはたくさんある。

知名度というのはお金と同じで、いったん有名になったら雪だるま式に有名になるので、
実力以上に知名度のある「バブル」が起こりやすい。

逆にいうと、実力があるのに有名にならない人、「割安株」のほうが大半である。
人があまり注目しないロングテールにこそ、たくさんの実力者が埋もれている。

特に日本は、「みんなと同じことをする」傾向が強く、自分自身の考えで判断する傾向が弱いので、
過大評価されるバブルと、過小評価されるロングテールの「格差」がつきやすい。


関連エントリ :
私は属性を信じない 私が信じるのは固有名詞だ
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「みんなと同じことをする」人しかいない国
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群集がいつも賢いとは限らない 「Wisdom of Crowds」の成立条件
http://mojix.org/2006/01/14/100147
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