2011.04.09
「弱者扱い」の功罪
「弱者」とは、弱い立場にある人である。

弱い立場にある人を助けるために、その人に対して、この人は弱者であるという「しるし」が必要な場合がある。弱者が弱者だとわかるように、「弱者のしるし」を貼るのだ。

しかし、弱い立場にある人は、この「弱者のしるし」を貼られることを望んでいるわけではない。どんなに弱い人にも、プライドがある。「弱者のしるし」を貼ることは、そのプライドを傷つけるだろう。

それでも、弱い立場にある人が「弱者のしるし」を受け入れることがあるのは、それによって「助け」を得られることを期待してのことだ。欲しいのは「助け」であって、「弱者のしるし」を望んでいるわけではない。

つまり、弱い立場にある人に「弱者のしるし」を貼るという「弱者扱い」には、功罪の両面がある。

プラス面は、弱者に「弱者のしるし」を貼ることで、実際に役に立つ「助け」が生じやすくなることだ。

マイナス面は、弱者に「弱者のしるし」を貼ることで、弱者のプライドが傷ついたり、社会のなかで差別的な扱いが生じかねないことだ。

「弱者扱い」の典型例のひとつが、「老人扱い」だろう。老人に対して「老人」というレッテルを貼り、老人を特別扱いすることは、功罪の両面がある。

「老人扱い」によって、老人が電車で席を譲ってもらいやすい、といったプラス面が生じる。これは自明だろう。

しかし、老人を特別扱いする「老人扱い」によって、プライドが傷ついたり、意欲を失わせたり、さらには機会損失や不公平といった実害が生じている、といったマイナス面は、日本ではあまり理解されていないように思う。

このことは老人に限らず、「弱者扱い」一般に言える。「弱者扱い」は、プライドを傷つけたり、意欲を失わせたり、機会損失や不公平を生みやすい。

「弱者扱い」によって、弱者はほんとうに救われるのだろうか。


関連エントリ:
「保護」はシステムを弱体化させ、自立する力を失わせる
http://mojix.org/2009/05/07/hogo_jakutaika
韓国における老人の立場 「敬老」というパターナリズム
http://mojix.org/2009/04/11/kankoku_roujin