2011.07.07
経済の核心は「お金」ではなく「効用」である
「経済」がしばしばワルモノと見なされるのは、経済というものが、もっぱら「お金」を追求するものだと思われているからだろう。

経済はお金を追求するものだと考えているから、「お金より大事なものがある」とき、経済は「大事なもの」と対立する存在になって、ワルモノになるわけだ。

しかし実際は、経済の核心はお金よりもむしろ「効用」なのである。効用とは、何かを得たときに生じる「満足」のことだ。平たくいえば「価値」といってもいい。お金は、この効用を得るための手段にすぎない。

効用は減ることもある。例えば、電車に乗ってどこかへ出かける途中、電車が止まってしまったとする。この電車の遅延によって、サイフの中のお金が減ったわけではないが、時間を失って、その日の予定も狂ってしまう。その遅延によって、それがなければできたはずのことが、できなくなってしまうのだ。

効用の減少は、一種の「費用(コスト)」である(経済学でいう「機会費用」)。人間は、効用が増す方向に動こうとし、効用が減るのを避けようとする。この効用の増減がインセンティブ(動機づけ)になり、人間の行動をかたちづくる。

効用は、つねにお金のかたちをとるわけではない。むしろ、お金を経由せずに、効用が直接増えたり減ったりすることのほうが多い。つまり、人間はお金によっても動かされるが、お金だけに動かされているわけではない。むしろ、お金によらない原因で動かされることのほうが多い。

「お金より大事なものがある」場合、その大事なものを失ってしまったら、そこで失われる効用は大きい。だからこそ、それは「お金より大事」なわけだ。これはまさに効用の視点であり、本来の意味で「経済的な見方」なのだ。

「お金より大事なもの」が粗末に扱われている場合、それは経済が悪いのではなく、その「大事なもの」の価値=効用を正しく評価していない、その社会の問題である。「大事なもの」の価値=効用を正しく評価しない社会は、いずれしっぺ返しを食らう。


関連エントリ:
「経済優先」という批判
http://mojix.org/2011/07/05/keizai-yuusen
経済の本質は「お金」でなく「物々交換」で考えたほうがわかりやすい
http://mojix.org/2010/12/06/keizai-honshitsu