2013.02.26
日本国憲法は当初、文語体・漢字カタカナ交じり文で書かれていた
ウィキペディアの「公用文作成の要領」に、日本国憲法の表記がどう決まっていったのか、その経緯が載っている。

<日本国憲法につながる新憲法の草案は1946年(昭和21年)3月6日に公表された「憲法改正草案要綱」までは、内容的には主権在民、象徴天皇制、戦争の放棄などを規定したほぼ現在の日本国憲法と同じものになっていたものの、大日本帝国憲法と同じ文語体・漢字片仮名交じり文で書かれていたが、1946年(昭和21年)3月26日に「国民の国語運動連盟」が内閣総理大臣幣原喜重郎に対して以下の7項目からなる「法令の書き方についての建議」を提出したことによって本格的な法令・公用文の表記方法の改革が始まることになる>。

1946年3月6日の「憲法改正草案要綱」の時点では、内容的にはいまの日本国憲法とほぼ同じものだったが、書き方が大日本帝国憲法と同じ、文語体・漢字片仮名交じり文だったそうだ。つまり、<日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ應シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得>みたいな文だったわけだ。漢字とカタカナだけで、句読点もない上に、言い回しも漢文調なので、わかりにくい。

これに対して、「国民の国語運動連盟」という団体が「法令の書き方についての建議」という提案書を作って、総理大臣(幣原喜重郎)に出した。その内容は次の7項目だったそうだ。

1. 文体は口語体とすること。
2. 難しい漢語は出来るだけ使わないこと。
3. わかりにくい言い回しを避けること。
4. 漢字は出来るだけ減らすこと。
5. 濁点、半濁点、句読点を用いること。
6. かなは平仮名を用いること。
7. 行を改めるときは書き出しの一文字を下げること。

じつにわかりやすい7項目である。日本国憲法に限らず、普通に「読みやすい文章の書き方」としても通用しそうな内容だ。

これを出した「国民の国語運動連盟」とは、何者だったのか。こう書かれている。

<なお、「国民の国語運動連盟」とは、カナモジカイと山本有三がその自宅に開設した三鷹国語研究所を中心として日本ローマ字会、日本エスペラント学会、言語文化研究所(日本語教育振興会の後身団体)、国語文化研究所など、さまざまな立場の国語改革運動団体33団体が集まって1946年(昭和21年)3月26日に結成された国語学者安藤正次を代表とする団体である。同連盟は、多くの国民の意見を反映した組織であるとする権威付けのために、結成に当たってあまりにも広範な立場の団体を集めてしまったために組織としての性格や目標が不明確になものになってしまった>。

なんと、カナモジカイ山本有三が中心になり、そこにローマ字会やエスペラント学会など、さまざまな国語改革運動の団体が加わったものだったのだ。<あまりにも広範な立場の団体を集めてしまった>と書かれているが、逆にいえば、それくらい危機感をもって「大同団結」したわけだ。「国民の国語運動連盟」の結成日は1946年3月26日とのことで、これは「法令の書き方についての建議」の提出日だから、まさにそのために団体を結成したわけだ。

このあとの展開がおもしろい。

<当初政府はこの提案を受け入れることに難色を示していたが(但し、もともと法制局(現内閣法制局)の内部において一部に口語体化すべきではないかとの見解を持つ者もいたため、ごく非公式にではあるが口語体化が検討されていたとされている。)、この提案を日本の民主化の為に国語改革が必要だとして日本語表記のローマ字化まで視野に入れていたGHQが支持したことによって政府は方針転換し、憲法をはじめとする法令を口語化していくことになった>。

政府はこれを受け入れようとしなかったが、GHQが支持したというのだ。GHQは<日本語表記のローマ字化まで視野に入れていた>ので、これを支持したらしい。GHQが日本語表記をローマ字化しようとしていたという話は、私も聞いたことがある。GHQは「ローマ字論者」だったわけだ。

この提案が受け入れられて、憲法草案はその方向に修正されていく。

<なお、憲法草案の口語体化の作業自体も、最初は「国民の国語運動連盟」の山本有三が手がけている。内閣法制局ではこの憲法改正草案を公表するに当たって、内容についての説明とは別に「憲法改正草案の文体等の形式に関する説明」という憲法改正草案の文体などについて説明した文書を公表しており、それには次の内容が含まれている>。

内閣法制局が出したその説明文書には、以下の7項目が含まれているとのこと。

1. 文体は口語体を採用する。
2. 用語は努めて難解な字句を避け、やむを得ないものを除いてはできるだけ平易なものを使用する。
3. 用字について、仮名は平仮名を使用する。連体詞、助詞、助動詞、動詞などは仮名書きする。
4. 句読点は理解に資するように豊富に用いる。
5. 送りがなは誤読のないように留意して使う。
6. 改行の際には一字下げを行う。
7. 法文としての正確さを保つため、「及び」、「並びに」、「又は」、「若しくは」等の用法は従来どおりとする。

なんと、先の7項目と大部分同じである。「国民の国語運動連盟」が出した提案が、ほぼそのまま通ったわけだ。

<これらは当時としては画期的であって、現在の「公用文作成の要領」(本通達)につながっている>。

この日本国憲法の「書き方」の改革が、その後の公用文の書き方を変えていき、1952年(昭和27年)の「公用文作成の要領」という通達につながった、とのこと。

いまの日本国憲法ができるまでに、こんな方向転換があったとは。カナモジカイ山本有三を中心とする「国民の国語運動連盟」は、日本国憲法をわかりやすくする、という大きな転換をなしとげ、これが公用文の改革にまでつながった。法や公用文は、社会のルールや運用方法を記述した「コード」である。このコードを一般人にもわかりやすいものに変えたのは、きわめて大きな功績だろう。


関連エントリ:
法律はソースコードに似ている
http://mojix.org/2012/12/22/law-source-code
カナモジカイと山下芳太郎
http://mojix.org/2005/07/22/063749