2005.07.10
個人イコール放送者
ブックオフの100円コーナーにあった、ジョン・ネスビッツ『トゥエンティ・ハンドレッド 2000 : 黄金世紀への予告』という本をパラパラ読んでみて、面白そうだったので買ってみた。1990年の本で、監訳は木村尚三郎。ネスビッツは1983年に『メガトレンド』が大ベストセラーになり、この本はその続編にあたる。

まだ拾い読みしている段階だが、第10章「個人の勝利」などは、1990年の本にもかかわらず、2005年の今こそ、とてもタイムリーな感じの内容に思える。

<世界規模の放送(ブロードキャスティング)が行なわれる一方で、同時に、究極のナローキャスティングたるオーディオおよびビデオ・カセットの流行現象が起きている。そこでは、個人イコール放送者である。過去の革命やクーデターで新政府がまず最初にやることは、ラジオ局やテレビ局の占拠だった。しかし、イランの王制の転覆や、ポーランドの連帯運動の最終的な革命成功は、支持者が非合法のカセットを地下に流して以後のことだった>。

いま10代の若者などは、「オーディオおよびビデオ・カセット」と言われても、きっと何のことかわからないだろう。15年前には、インターネットも(一般レベルでは)存在していなかった。それくらい、この15年間で技術は世界を塗り替えてしまった。

15年前にネスビッツが書いた「個人イコール放送者」という表現は、ブログやポッドキャスティングなどによって、いまや文字通り現実のものとなった。

<ジョージ・ギルダーはこう記している。「技術は、有識者の予測どおり一番上にいるビッグ・ブラザーに支配力をもたらす結果とはならず、それ本来の性格によって人民へと権力を引き戻した。全世界は、帝国主義、重商主義、国家主権主義がますます無能化することによって恩恵をこうむることになる」。現代の個人は「いにしえの王のそれをはるかに上回る創造とコミュニケーションの能力」を所有しているとギルダーは述べている>。

ネスビッツやギルダー、トフラーなどの未来学者が、この20~30年くらいのあいだに何を予言していたのか、あらためて学んでみたくなった(ギルダーは私は『テレコズム』しか読んでいないが、これにはかなり影響を受けた。ギルダーも、今こそホットな感じがする)。

日々流れ去っていくニュースや情報をフォローすることも大事だが、「椅子に座ってテーブルの前で、学問あるいは世界戦略を考える」(木村尚三郎)ような姿勢も、やはり大事なのだと気づかされる思いがする。

日々のフロー的な情報だけ追っていると、何が抜け落ちるかというと、まさに「歴史」だと思う。

ここのところずっと考えている「フローとストック」に関するヒントも、このあたりにありそうな気がしている。木村尚三郎とか、ネスビッツなどの名前が気になるのも、「歴史」に引き寄せられているという兆候かもしれない。