2008.04.15
世間と社会は違う
日本の強み、日本の弱み。
日本の可能性、日本の課題。
日本の特殊性。
日本語。
日本の歴史。

最近の私は、日本への興味が増している。

阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書)という本があることを知り、入手した。
阿部謹也の名前は歴史学者として聞いたことがあるくらいで、本を読んだことはなかった。

<私たちの誰もが世間という言葉を使っている。世間を知らない大人は一人もいないのである。それにもかかわらず世間とは何かと聞けばきちんと答えられる人はいない。世間について研究した人もほとんどいないのである。世間を社会と同じものだと考えている人もいるらしい。しかし世間は社会とは違う。明治以降世間という言葉は文章の中からは徐々に消えていったが、会話の中では今でもしばしば使われ、諺(ことわざ)の形ではきわめて使用頻度が高い。他方で社会という言葉は明治以降徐々に文章の中で使われはじめ、学者やジャーナリスト、教師などはこの言葉を使うが、その意味は西欧の歴史的背景の中で生み出されたかなり抽象的なものであり、世間がもっているような具体性を欠いている>。
(阿部謹也『「世間」とは何か』序章より)

これだ。社会と世間は違うものだったのだ。
まだ読み始めたばかりだが、この本こそ、「日本とは何か」という問いに答えてくれるような気がしている。

社会は、独立した個人がルールによって共存していく場所であり、個人は異なることが前提だ。
世間は、個人の独立性、異なる部分を消しさり、そこに一体化することを求められるものだ。

なぜ日本では個性や才能がつぶされてしまうのか。
それは、日本が社会というよりも世間だからなのだ。
嫉妬や消極性、減点主義、事なかれ主義といった日本的なマインドは、
社会ではなく世間という仕組みの維持に都合がいいものだったのだ。

関連エントリ:
山崎養世によるバランスのとれた日本評
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規格外の東大名誉教授、西村肇
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