2005.12.19
「ユニークな能力」 と 「スタンダードな能力」
さまざまな憂鬱とわたし - 市場価値と仕事能力
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20051217/value

<たぶんスキルとか資格よりも、偶有的な自分の軌跡そのものに対してもっと興味を持つとか、実はそれが自分にとって一番大きな投資なんだ、という認識を持ったほうがいいように思う>。

<資格とかスキルって、結局のところ自分を代替可能な何かに位置づけることであって、確かにジョブ・ポータビリティは高まるけれども、自分自身で付加価値をデザインすることは難しいのである>。

まったく同感。

ここで言われている2つのタイプの能力を、私は

1) 「ユニークな能力」
2) 「スタンダードな能力」

と呼ぶことにしたい。

そしてこの話は、「なまえとタイトル」の議論に驚くほど重なってくる。


■ 「ユニークな能力」は、「固有名詞」

1)の「ユニークな能力」とは、その能力を持った人に強く属していて、独自性の高い能力だ。
冒頭の楠さんのエントリでいえば、<自分自身で付加価値をデザイン>できる能力だ。

このような能力は、「代わり」が見つけられない。他に似たような個体(人材)がないわけだから、
その人材、その能力は、その人の「なまえ」、つまり「固有名詞」によって認識されるしかない。

このような「ユニークな能力」を持っている人の代表は、アーティストやクリエイター、芸能人、俳優、作家などだろう。「名前が売れている」とか「有名人」は、たいていこれにあたる。

ユニークな能力は、基本的に1つしかないものなので、「固有名詞」的だ。


■ 「スタンダードな能力」は、「普通名詞」

これに対し、2)の「スタンダードな能力」、つまり標準化された能力は、一定の標準化されたスキルに基づく能力だ。標準化されているがゆえに、他にもそのスキル・能力を持った人材がたくさんいる。

標準化されているので、どこでも通用するというメリットがあるかわりに(これを楠さんは<ジョブ・ポータビリティ>と書いている)、独自性が少ないので、「替えがきく」ということでもある。

このようなスタンダードな能力は、その標準化されたスキルを意味する「普通名詞」によって認識される。その代表は、公認会計士や税理士、電気主任技術者、宅地建物取引主任者など、資格が必要なスキルだろう。

いくら高度な資格であっても、これらは標準化されたスキルである以上、<結局のところ自分を代替可能な何かに位置づける>ことになるわけだ。

スタンダードな能力は、ほぼ同型のスキルがたくさんあり、そのスキルがどれも同じ名前で呼ばれるという意味で、「普通名詞」的である。

■ 「スタンダードな能力」 は教育・訓練で伸ばせるが、「ユニークな能力」 はそれが困難

この2つのうち、教育や訓練で伸ばしやすいのは「スタンダードな能力」のほうだ。

それはスキルの内容がある程度標準化されていて、客観的なので、専門用語の意味などを伝達したり、理詰めで理解していくことができる。またスキルの到達度を、試験などで計測しやすい。

しかし「ユニークな能力」のほうは、ユニークである以上、ただお手本に沿って学習するような王道は存在しない。他の「ユニークな能力」の持ち主に刺激を受けながら、実践を通じて自分自身の独自性を模索していくような、不確かなプロセスを継続していくしかない。


■ 「スタンダードな能力」は評価しやすいが、「ユニークな能力」は評価されにくい

資格とか学歴とかいったものは、「スタンダードな能力」の指標である。
それは数値化しやすいので、客観的に評価もしやすい。

しかし「ユニークな能力」のほうは、そういう客観的な指標がない。
人気度や有名度、社会的評価などを目安にすることもできるが、あくまでも目安でしかない。
その人の作品や、仕事の結果そのものを、主観的に評価するしかない。


■ 「スタンダードな能力」はコモディティであり、「ユニークな能力」はクリエイティビティである

「スタンダードな能力」は、どんなに難しい資格であっても、そのスキルの持ち主がたくさんいる。
「替えがきく」という意味では、「コモディティ」だと言える。
コモディティにも高いものから安いものまであるが、コモディティであることには違いない。

資格とか学歴とかは、「スタンダードな能力」の指標だから、
資格とか学歴を重視する人は、コモディティのスペック(性能)を重視する人だ。

コモディティはなくてはならないものだし、そのスペックもいいに越したことはない。
しかし、しょせんはコモディティである以上、お金を払えば誰でも調達できるので、
コモディティだけでは決定的な競争優位に至ることはできない。

コモディティは、平均から「遅れない」ために必要なものだが、それだけでは平均より上に行けない。
他の人や会社から抜き出るには、コモディティに加えて「クリエイティビティ」が必要だ。


■ これからは「ユニークな能力」の重要性が高まる

あちこちで人材不足という話もよく聞くが、それでもネットの登場以降、
人材の流動性が上がり、スキルの調達コストは下がっているはずだ。

こうなると、コモディティである「スタンダードな能力」は容易に調達できるので、
相対的に「ユニークな能力」の希少性が高まり、それが競争力の決定要因になる。

能力を身につける立場としても、ユニークな能力を目指したほうがいいし、
人材を採用する企業の立場としても、ユニークな人材を採用したほうがいい。
どちらの立場であっても、「ユニークな能力」は資格や学歴では測れないので、
実践において独自性やクリエイティビティをどれだけ発揮できるかという真剣勝負になる。

だからこそ、「ブログが履歴書」にもなるわけだ。


■クリエイティビティはお金では買えない

そしてクリエイティビティというものは、自分自身がある程度のクリエイティビティを持っていないと、他の人のクリエイティビティを理解したり、それを引き出したりできないような、そういう「精妙なもの」だと思う。

コモディティはお金で買えるが、クリエイティビティはお金では買えない。
それは、人の心をお金で買えないのと似ている。


■「異なること」からシナジーが生まれる

日本では、「みんないっしょ」という同質性を重視し、異質性を嫌う傾向がある。
異質なものを見ると、まず否定し、拒絶してしまうのだ。

このようなマインドは、コモディティである「スタンダードな能力」を伸ばすにはいいが、
独自性・クリエイティビティに基づく「ユニークな能力」を伸ばすには、あまりいい精神風土ではない。
独自性とは、明らかに「みんなと違う」ものだからだ。

「異なること」を活かしてこそ、シナジー(相乗効果)が生まれる。「ユニークな能力」が伸びる土壌を作るには、「異なること」をプラスに捉え、むしろ褒めるようなマインドを、日本にもっと広め、根付かせる必要があると思う。


関連エントリ :
なまえとタイトル
http://mojix.org/2005/12/17/224625
「ロジカル」 はコモディティ化し、 「クリエイティヴ」 が浮上する
http://mojix.org/2005/10/12/201118
コンピュータと同じ歴史を歩む人間
http://mojix.org/2005/06/23/004635
ブログが履歴書
http://mojix.org/2005/12/15/185137
「みんなと同じことをする」人しかいない国
http://mojix.org/2005/12/06/181109
ミーハー、ヒネクレ、コダワリ
http://mojix.org/2005/12/10/230724