2008.12.13
「日本が好きなガイジン」の視点を生かす
私は初めて海外に行ったのが遅くて、31歳のときロンドンに旅行に行ったのが最初だった。

私にとって初の海外であるロンドンは、空港も、駅も、店も、街も、何もかもが新鮮で面白かった。しかし、その初の海外旅行を通じてもっとも新鮮だったのは、実は日本だった。ロンドンから帰国したとき、「外国から帰ってきたばかりのその目で、日本を見る」ということを初めて体験して、大きな衝撃を受けた。そのとき初めて、「日本はこういう国だったんだ」とわかったような気がしたのだ。

その後、アメリカに何度か行ったが、帰ってくるたびに、日本を「ガイジンの目で」見るような新鮮さがあった。私はその新鮮さが大好きなのだが、それは残念ながら1日か2日くらいで消えてしまう。

私は以前、「ガイジンになりたい」というエントリを書いたことがあるが、私はガイジンが大好きで、このブログに「ガイジン」カテゴリを作っているほどだ(私が「ガイジン」とカタカナ表記するときは、基本的に「日本好きの外人」を指す)。私がガイジンを好きな理由は、日本文化への熱い入れ込み具合とか、ユーモラスな日本語など、いろいろなポイントがあるけれども、私にとってガイジンは、「日本人にとってあたりまえになってしまった日本の良さを、あらためて教えてくれる存在」なのだ。ガイジンとはまさに、海外旅行から帰ってきたときに日本を「新鮮な目」で見られるという、その視点を持っている人たちだ。

もちろん、日本はいいところばかりではない。日本に来たガイジンも、短期滞在の観光ならば「日本のいいところ」ばかりが目につくだろうが、ずっと日本に住んで、日本で働いていれば、日本のダメなところがいろいろわかってくる。例えば、ロバート・フェルドマン氏タッド・バッジ氏などは、長年日本に住み、日本を愛しつつも、日本のダメなところも知り尽くした、経済・金融のスペシャリストだ。こういう「日本が好きなガイジン」の視点、特に高度な専門性を持った人たちの意見を、日本はもっと生かすべきだし、その人たちが何と言っているかにちゃんと耳を貸すべきだろう。

「日本が好きなガイジン」は、基本的には日本を愛していて、日本の長所もわかっているので、いたずらに日本全部を否定するという乱暴さがない。それでいて、ガイジンとしての客観的な視点、世界的な視野を保持しているから、日本にとってかけがえのない、ありがたい存在だろう。

また、これは私自身の経験に基づいた印象なのだが、日本で勉強していたり、日本で仕事しているガイジンは、概して優秀だ。これは、裏返して日本人で考えてみれば納得できる。海外に留学していたり、海外で働いている日本人は、平均的な日本人と比べれば、間違いなく優秀だろう。海外に出て行くには、言葉や文化などさまざまなカベを超える必要があるので、知性や意欲、度胸などいろいろな点で、ポテンシャルが高くないとやっていけない。だから、日本にいるガイジンが、平均的なガイジンよりも優秀だというのは間違いなさそうに思う。例えばクリス・サルツバーグさんなども、日本人顔負けの日本語でブログを書いているが、自分の母国語ではない日本語をここまでマスターしているわけだから、並外れて有能な人であることは疑いがない。

わたしたち日本人が、もっと外国を見たり、外国について知ることももちろん有意義だが、すぐ身近にいる「日本が好きなガイジン」に、日本はどこを伸ばすべきで、どこを直すべきなのかを聞いてみれば、きわめて即効的でポイントを突いたアドバイスをもらえるような気がする。