「困っている人を救いたい」という気持ちは正しいが、それを「他人に強制する」のは間違いだ
asahi.com - 亀井金融相の債務返済猶予策、銀行協会長が異論(2009年9月24日23時47分)
http://www.asahi.com/politics/update/0924/TKY200909240268.html
<全国銀行協会の永易克典会長(三菱東京UFJ銀行頭取)は24日の記者会見で、亀井静香金融相が打ち出した債務の返済猶予措置(モラトリアム)に対し「一方的な議論は採りづらい」「主要国の自由主義経済の下で、一律かつ長期にわたる発動例はない」と述べた。異例な政策だけに冷静な議論を求めたものだ>。
<「貸し出しの原資は預金。国内外の株主もいる」とも話し、返済猶予で銀行の財務が悪化すれば、こうした関係者の利益を損ねる恐れがあるとの見解を示した。貸し渋り批判には「中小企業への円滑な資金供給は本業中の本業。精いっぱいやるという覚悟でやっている」と説明した>。
<日本では戦前、関東大震災(1923年)と昭和金融恐慌(27年)時にモラトリアムが発動されたが、それぞれ30日間、21日間とされるなど限定的だった。亀井金融相は業績が悪化した中小企業や個人の住宅ローンを対象に「一律、3年程度」のモラトリアム導入を打ち出している>。
<また、永易会長は郵政民営化見直しの動きを「官業の復権とか、暗黙の政府保証をベースに(日本郵政が)規模を拡大していくのは、国民経済的に言って良いことではない。金融システムに悪い影響を与えるような民営化見直しは困る」と批判した>。
この債務返済猶予措置(モラトリアム)は、ほんとうに危ない。これは絶対に阻止しなければならない。
郵政再国有化もひどいが、これはその比ではない致命的な愚策だ。「徳政令」とも呼ばれているが、こんなことをすれば、銀行は貸し出しをしなくなる。銀行が貸し出しをしなくなれば、「経済の血液」が止まる。中小企業を救うどころか、金融危機が起きて、中小企業もろとも日本経済自体が吹っ飛んでもおかしくない。もちろん日本だけでは済まないだろう。
亀井金融相は「資金繰りに困っている中小企業がかわいそうだ」と考え、それを救うつもりなのだろうが、まったく反対のことが起きる。お金を貸したら、こんなふうに「徳政令」が出て、延滞や焦げ付きが出るのでは、銀行はやっていけない。「返してもらえないならば、貸せない」という判断になり、貸し出しが大きく絞られてしまう。
これはまさに、解雇規制とまったく同じ構図だ。解雇を規制すれば労働者の「保護」になると考える人は、解雇を規制すると採用が絞られる、という企業の行動が理解できない。あるいは理解していても、それを「企業が悪い」からだと考える。
同様に、返済猶予を与えれば中小企業の「保護」になると考える人は、返済猶予を与えれば貸し出しが絞られる、という銀行の行動が理解できない。あるいは理解していても、それを「銀行が悪い」からだと考える。
「困っている人を救いたい」という気持ちは正しいのだが、それを「他人に強制する」のは間違いだ。解雇規制にしても、借地借家法にしても、このモラトリアムにしても、「弱者救済のコストを、取引相手である会社や大家や銀行に強いる」という点が同じだ。
政府は民間と違って強制力を持っているので、この「弱者救済のコストを民間に強いる」ことができてしまう。解雇規制も、借地借家法も、このモラトリアムも、全部同じ発想だ。「あなたがこの人を救いなさい」と国が命令するわけで、これはもはや共産主義みたいなものだろう。
この「弱者救済を市場取引に埋め込む」というパターンがなぜ最悪かというと、市場取引そのものを減らしてしまい、経済を縮小してしまうからだ。これならまだ、弱者救済に必要なコストを税金で集めたほうがマシだ。解雇規制で言えば、解雇を規制して労働者を保護するのではなく、解雇は自由にしてセーフティネットで保護したほうがいい、というのと同じだ。
「困っている人を救いたい」という気持ちは、誰だって持っているだろう。しかし、それを「他人に強制」していいものだろうか。「困っている人を救いたい」と思うならば、その本人が自主的にやればいいのであって、なぜそれを「他人に強制」するのか。
政府は「困っている人を救う」という名目で、莫大な出費をおこなっている。その出費はもちろん税金だから、わたしたちが負担している。政府は「困っている人を救う」ためのコストを、わたしたちという「他人」に「強制」しているのだ。政府が強制的に徴収して政府がおこなう、というこの「クニガキチント」方式は、莫大な出費のかなりの部分が、「困っている人を救う」以外のところに流れていきやすい。よって、これ自体に問題があると私は考えるが(リバタリアニズム)、それでもまだ、「弱者救済を市場取引に埋め込む」パターンに比べれば、この税金を経由する「クニガキチント」方式のほうがマシだ。大ざっぱにいえば、取引規制に比べれば、ムダ使いのほうがマシなのだ。
鳩山内閣発足時点から、「亀井金融相」というのはもっとも違和感のあるポジションだったので、モラトリアムを言い出したときも、ある意味「トンデモ案」として、私はあまり気にしていなかった。しかし、その方向でニュースが着々と積み重なってきて(末尾の「関連」参照)、鳩山「未体験ゾーン」内閣ならば、これが通ってしまうこともありえるという気がしてきた。
鳩山内閣の方向を考えれば、これも「友愛」として正当化されてしまう、というのは考えられる。鳩山論文の内容や、労働規制強化、郵政再国有化といった政策にあらわれているように、自由経済・資本主義・民営化といった方向は「悪」で、計画経済・社会主義・国有化といった方向が「善」であるかのような見方が、随所に感じられる。まさに「友愛」を制度化して、「強制」する方向だ。
民主党が総選挙で圧勝したことは確かだが、それはこれまでの自民党政治に対する「ノー」が大部分であって、こうした「左傾化」を国民が支持しているとはとても思えない。少なくとも、国民新党は議席の上では負けており、国民新党との連立、さらに「亀井金融相」というポジションを、国民が支持しているとはまったく思えない。ましてやこのモラトリアムは、日本経済をめちゃくちゃにするテロリズムのようなものだと思える。郵政再国有化よりも、温室ガス25%減よりも、これは致命的な政策だ。なぜこんな人を金融相という要職につけたのか?家で寝ていてくれたほうがはるかにマシだ。
もし私が亀井金融相の立場であれば、資金繰りに困っている中小企業を救うためのアイディアがないか、まず民間に働きかけたい。ファンドを立ち上げたり、マイクロファイナンス的な手法など、やる気と工夫しだいで、国や銀行から融資する以外の救済方法はあると思う。民間には、そういったノウハウを持っている金融関係者や、中小企業を救うために融資や出資をしてもいいと考える人がたくさんいるはずだ。その中小企業がほんとうに必要な存在であれば、少なくともその顧客や取引先、従業員などがいくらか資金を出すと思う。日本では、銀行を経由しない直接の融資がまだ少ないので、これはうまくいけば、日本の金融をむしろ盛り上げる可能性もある。高齢者のお金もあまり活用されていないようなので、中小企業に出資してもらうのはどうか。経営に参画できるくらい元気で経験豊富な高齢者もたくさんいると思う。カネとヒトのマッチングで中小企業を救い、高齢者にも力を発揮してもらう。
なんにせよ、誰にも「強制」することなく、できるだけ「自主的」な資金によって救済すべきだ。「自主的」な資金が集まらないのであれば、その会社は必要とされていない、ということも考えられる。残酷なようだが、それが市場というものだ。
市場とは、欲しいと思ったものを買い、欲しいと思わないものは買わない、という市場参加者の自由な判断が集まったものだ。「市場は自由でできている」のだ。市場原理で会社が潰れてしまうことが「残酷」で、許せないと思うならば、市場参加者1人1人に対して「あなたがその会社から買わないのは残酷だ」と言って歩くしかない。
この残酷さに耐えられず、市場参加者に対して、政府がむりやり「友愛」を「強制」すれば、市場は小さくなったり、おかしくなっていく。押し売りを好む人がいないのと同じく、「強制」は市場参加者を遠ざけるのだ。「強制」するのではなく、「自主的」に取引したいと思わせるように工夫すれば、その反対に市場は大きくなり、活気づいていく。経済はけっきょく人間でできているので、これは「人間を動かす」方法とまったく同じだ。
関連:
日経ネット - 支払い猶予法案で調整指示 亀井氏、副大臣・政務官に(2009/9/25 13:19)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090924AT2C2400B24092009.html
日経ネット - 亀井金融相、返済猶予制度「官房長官はコメントする立場にない」(2009/9/25 15:14)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090925AT2C2500F25092009.html
関連エントリ:
日本は再び「大きな政府」路線へ 鳩山「未体験ゾーン」内閣
http://mojix.org/2009/09/17/hatoyama_mitaiken
日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」
http://mojix.org/2009/08/29/nihon_no_mondai
http://www.asahi.com/politics/update/0924/TKY200909240268.html
<全国銀行協会の永易克典会長(三菱東京UFJ銀行頭取)は24日の記者会見で、亀井静香金融相が打ち出した債務の返済猶予措置(モラトリアム)に対し「一方的な議論は採りづらい」「主要国の自由主義経済の下で、一律かつ長期にわたる発動例はない」と述べた。異例な政策だけに冷静な議論を求めたものだ>。
<「貸し出しの原資は預金。国内外の株主もいる」とも話し、返済猶予で銀行の財務が悪化すれば、こうした関係者の利益を損ねる恐れがあるとの見解を示した。貸し渋り批判には「中小企業への円滑な資金供給は本業中の本業。精いっぱいやるという覚悟でやっている」と説明した>。
<日本では戦前、関東大震災(1923年)と昭和金融恐慌(27年)時にモラトリアムが発動されたが、それぞれ30日間、21日間とされるなど限定的だった。亀井金融相は業績が悪化した中小企業や個人の住宅ローンを対象に「一律、3年程度」のモラトリアム導入を打ち出している>。
<また、永易会長は郵政民営化見直しの動きを「官業の復権とか、暗黙の政府保証をベースに(日本郵政が)規模を拡大していくのは、国民経済的に言って良いことではない。金融システムに悪い影響を与えるような民営化見直しは困る」と批判した>。
この債務返済猶予措置(モラトリアム)は、ほんとうに危ない。これは絶対に阻止しなければならない。
郵政再国有化もひどいが、これはその比ではない致命的な愚策だ。「徳政令」とも呼ばれているが、こんなことをすれば、銀行は貸し出しをしなくなる。銀行が貸し出しをしなくなれば、「経済の血液」が止まる。中小企業を救うどころか、金融危機が起きて、中小企業もろとも日本経済自体が吹っ飛んでもおかしくない。もちろん日本だけでは済まないだろう。
亀井金融相は「資金繰りに困っている中小企業がかわいそうだ」と考え、それを救うつもりなのだろうが、まったく反対のことが起きる。お金を貸したら、こんなふうに「徳政令」が出て、延滞や焦げ付きが出るのでは、銀行はやっていけない。「返してもらえないならば、貸せない」という判断になり、貸し出しが大きく絞られてしまう。
これはまさに、解雇規制とまったく同じ構図だ。解雇を規制すれば労働者の「保護」になると考える人は、解雇を規制すると採用が絞られる、という企業の行動が理解できない。あるいは理解していても、それを「企業が悪い」からだと考える。
同様に、返済猶予を与えれば中小企業の「保護」になると考える人は、返済猶予を与えれば貸し出しが絞られる、という銀行の行動が理解できない。あるいは理解していても、それを「銀行が悪い」からだと考える。
「困っている人を救いたい」という気持ちは正しいのだが、それを「他人に強制する」のは間違いだ。解雇規制にしても、借地借家法にしても、このモラトリアムにしても、「弱者救済のコストを、取引相手である会社や大家や銀行に強いる」という点が同じだ。
政府は民間と違って強制力を持っているので、この「弱者救済のコストを民間に強いる」ことができてしまう。解雇規制も、借地借家法も、このモラトリアムも、全部同じ発想だ。「あなたがこの人を救いなさい」と国が命令するわけで、これはもはや共産主義みたいなものだろう。
この「弱者救済を市場取引に埋め込む」というパターンがなぜ最悪かというと、市場取引そのものを減らしてしまい、経済を縮小してしまうからだ。これならまだ、弱者救済に必要なコストを税金で集めたほうがマシだ。解雇規制で言えば、解雇を規制して労働者を保護するのではなく、解雇は自由にしてセーフティネットで保護したほうがいい、というのと同じだ。
「困っている人を救いたい」という気持ちは、誰だって持っているだろう。しかし、それを「他人に強制」していいものだろうか。「困っている人を救いたい」と思うならば、その本人が自主的にやればいいのであって、なぜそれを「他人に強制」するのか。
政府は「困っている人を救う」という名目で、莫大な出費をおこなっている。その出費はもちろん税金だから、わたしたちが負担している。政府は「困っている人を救う」ためのコストを、わたしたちという「他人」に「強制」しているのだ。政府が強制的に徴収して政府がおこなう、というこの「クニガキチント」方式は、莫大な出費のかなりの部分が、「困っている人を救う」以外のところに流れていきやすい。よって、これ自体に問題があると私は考えるが(リバタリアニズム)、それでもまだ、「弱者救済を市場取引に埋め込む」パターンに比べれば、この税金を経由する「クニガキチント」方式のほうがマシだ。大ざっぱにいえば、取引規制に比べれば、ムダ使いのほうがマシなのだ。
鳩山内閣発足時点から、「亀井金融相」というのはもっとも違和感のあるポジションだったので、モラトリアムを言い出したときも、ある意味「トンデモ案」として、私はあまり気にしていなかった。しかし、その方向でニュースが着々と積み重なってきて(末尾の「関連」参照)、鳩山「未体験ゾーン」内閣ならば、これが通ってしまうこともありえるという気がしてきた。
鳩山内閣の方向を考えれば、これも「友愛」として正当化されてしまう、というのは考えられる。鳩山論文の内容や、労働規制強化、郵政再国有化といった政策にあらわれているように、自由経済・資本主義・民営化といった方向は「悪」で、計画経済・社会主義・国有化といった方向が「善」であるかのような見方が、随所に感じられる。まさに「友愛」を制度化して、「強制」する方向だ。
民主党が総選挙で圧勝したことは確かだが、それはこれまでの自民党政治に対する「ノー」が大部分であって、こうした「左傾化」を国民が支持しているとはとても思えない。少なくとも、国民新党は議席の上では負けており、国民新党との連立、さらに「亀井金融相」というポジションを、国民が支持しているとはまったく思えない。ましてやこのモラトリアムは、日本経済をめちゃくちゃにするテロリズムのようなものだと思える。郵政再国有化よりも、温室ガス25%減よりも、これは致命的な政策だ。なぜこんな人を金融相という要職につけたのか?家で寝ていてくれたほうがはるかにマシだ。
もし私が亀井金融相の立場であれば、資金繰りに困っている中小企業を救うためのアイディアがないか、まず民間に働きかけたい。ファンドを立ち上げたり、マイクロファイナンス的な手法など、やる気と工夫しだいで、国や銀行から融資する以外の救済方法はあると思う。民間には、そういったノウハウを持っている金融関係者や、中小企業を救うために融資や出資をしてもいいと考える人がたくさんいるはずだ。その中小企業がほんとうに必要な存在であれば、少なくともその顧客や取引先、従業員などがいくらか資金を出すと思う。日本では、銀行を経由しない直接の融資がまだ少ないので、これはうまくいけば、日本の金融をむしろ盛り上げる可能性もある。高齢者のお金もあまり活用されていないようなので、中小企業に出資してもらうのはどうか。経営に参画できるくらい元気で経験豊富な高齢者もたくさんいると思う。カネとヒトのマッチングで中小企業を救い、高齢者にも力を発揮してもらう。
なんにせよ、誰にも「強制」することなく、できるだけ「自主的」な資金によって救済すべきだ。「自主的」な資金が集まらないのであれば、その会社は必要とされていない、ということも考えられる。残酷なようだが、それが市場というものだ。
市場とは、欲しいと思ったものを買い、欲しいと思わないものは買わない、という市場参加者の自由な判断が集まったものだ。「市場は自由でできている」のだ。市場原理で会社が潰れてしまうことが「残酷」で、許せないと思うならば、市場参加者1人1人に対して「あなたがその会社から買わないのは残酷だ」と言って歩くしかない。
この残酷さに耐えられず、市場参加者に対して、政府がむりやり「友愛」を「強制」すれば、市場は小さくなったり、おかしくなっていく。押し売りを好む人がいないのと同じく、「強制」は市場参加者を遠ざけるのだ。「強制」するのではなく、「自主的」に取引したいと思わせるように工夫すれば、その反対に市場は大きくなり、活気づいていく。経済はけっきょく人間でできているので、これは「人間を動かす」方法とまったく同じだ。
関連:
日経ネット - 支払い猶予法案で調整指示 亀井氏、副大臣・政務官に(2009/9/25 13:19)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090924AT2C2400B24092009.html
日経ネット - 亀井金融相、返済猶予制度「官房長官はコメントする立場にない」(2009/9/25 15:14)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090925AT2C2500F25092009.html
関連エントリ:
日本は再び「大きな政府」路線へ 鳩山「未体験ゾーン」内閣
http://mojix.org/2009/09/17/hatoyama_mitaiken
日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」
http://mojix.org/2009/08/29/nihon_no_mondai