鳩山由紀夫「A New Path for Japan」
ついに8月30日、総選挙投票日である。歴史的な「政権交代」が確実視されている今回の総選挙だが、どうなるか。
この歴史的な総選挙に世界じゅうが注目するなかで、民主党の鳩山代表がニューヨーク・タイムズに寄稿した論文「A New Path for Japan」が、波紋を呼んでいる。
asahi.com - 米紙に寄稿の「鳩山論文」相次ぎ批判 米国内の専門家ら(2009年8月29日3時8分)
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200908280447.html
<民主党の鳩山代表が27日付の米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)に寄稿した論文をめぐり、米国内に波紋が広がっている。「米国主導」の世界経済の体制を批判的にとらえ、アジア中心の経済・安全保障体制の構築を強調した内容が、米側の目には「現実的でない」と映るようだ。専門家らの間には日米関係の今後に懸念を抱くむきもある>。
<鳩山氏は論文のなかで、「冷戦後、日本は米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションにさらされ、人間の尊厳が失われている」と指摘。自ら掲げる「友愛」の理念のもと、地域社会の再建や、東アジア地域での通貨統合と恒久的な安全保障の枠組みを作る考えを強調した>。
<これに対し、日本政治に詳しい米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員は27日、朝日新聞の取材に「グローバリゼーションは米国式の資本主義、との批判だが、これはG20における日本の役割にとって、何を意味するのか。民主党政権は国際通貨基金(IMF)体制の支援から離れて、他の体制を見いだすのか。経済再生の努力から優先順位を移すのか。米ドル体制の支援とは、別な立場をとるのだろうか」と疑問を投げかけた>。
<元米政府関係者は「オバマ政権は、(鳩山氏の)論文にある反グローバリゼーション、反アメリカ主義を相手にしないだろう。それだけでなく、この論文は、米政府内の日本担当者が『日本を対アジア政策の中心に据える』といい続けるのを難しくするし、G7の首脳も誰一人として、彼の極端な論理に同意しないだろう。首相になったら、評論家のような考え方は変えるべきだ」と批判した>。
その論文とは、次のものだ。
New York Times - A New Path for Japan (August 26, 2009) Yukio Hatoyama
http://www.nytimes.com/2009/08/27/opinion/27iht-edhatoyama.html
冒頭から、米国主導の市場原理主義的な資本主義を批判するという比較的強い調子のもので、それに対して鳩山氏の持論である「友愛」を説くものだ。
この鳩山論文を、NGTNさんが日本語に全訳している。
Everybody Gets What They Want - New Path for Japan(鳩山由紀夫の論説)
http://ngtn.blogspot.com/2009/08/new-path-for-japan.html
この論文から、冒頭の数パラグラフを抜き出してみよう(英語は原文、カッコ内の日本語はNGTNさんのもの)。
<In the post-Cold War period, Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a U.S.-led movement that is more usually called globalization. In the fundamentalist pursuit of capitalism people are treated not as an end but as a means. Consequently, human dignity is lost>.
(冷戦後の時代において、より一般的にはグローバリゼーションと呼ばれる米国主導の動きにおける市場原理主義の風によって、日本は絶えず打ちのめされてきた。原理主義者による資本主義の追求においては、人々は目的としてではなく手段として扱われる。結果として、人間の尊厳は失われる。)
<How can we put an end to unrestrained market fundamentalism and financial capitalism, that are void of morals or moderation, in order to protect the finances and livelihoods of our citizens? That is the issue we are now facing>.
(どのようにすれば我々は、市民の暮らしと家計を守るために、無制限の市場原理主義と金融資本主義-それらはモラルと節度が欠如したものなのだが-を終わらせることができるのだろうか? それは我々が現在直面している問題だ。)
<In these times, we must return to the idea of fraternity — as in the French slogan “liberté, égalité, fraternité” — as a force for moderating the danger inherent within freedom.>
(今日、「自由(Freedom)」に生来的に内包されている危険を和らげる力として、我々は友愛の考えに戻らなければならない。フランスのスローガンである「自由、平等、博愛」のように。)
<Fraternity as I mean it can be described as a principle that aims to adjust to the excesses of the current globalized brand of capitalism and accommodate the local economic practices that have been fostered through our traditions.>
(私の言う友愛とは、現在のグローバル化している資本主義ブランドの行き過ぎに適応し、我々の伝統を通じて育まれたローカルの経済の慣習に適合することを目的とした原則であると説明される。)
<The recent economic crisis resulted from a way of thinking based on the idea that American-style free-market economics represents a universal and ideal economic order, and that all countries should modify the traditions and regulations governing their economies in line with global (or rather American) standards>.
(アメリカ式の自由市場経済が普遍的で理想的な経済秩序を表し、全ての国々は自分たちの経済を統治している慣習と規制を、グローバルな(もっといえばアメリカ的な)基準に合わせて変更しなければならないという考え方こそが、最近の経済危機を引き起こした。)
<In Japan, opinion was divided on how far the trend toward globalization should go. Some advocated the active embrace of globalism and leaving everything up to the dictates of the market. Others favored a more reticent approach, believing that efforts should be made to expand the social safety net and protect our traditional economic activities. Since the administration of Prime Minister Junichiro Koizumi (2001-2006), the Liberal Democratic Party has stressed the former, while we in the Democratic Party of Japan have tended toward the latter position>.
(日本においては、グローバリゼーションにどれくらい向かうべきか意見は分かれていた。ある者は、グローバリズムの積極的な採用と、すべてをマーケットの命令にまかせることを主張した。他の者は、社会的なセーフティネットを拡大し我々の伝統的な経済活動を守るために努力されるべきだと信じて、もっと控えめなアプローチに賛同した。2001年から2006年の小泉政権以来、自民党は前者を強調してきた。一方で我々民主党は、後者のポジションを取ってきた。)
<The economic order in any country is built up over long years and reflects the influence of traditions, habits and national lifestyles. But globalism has progressed without any regard for non-economic values, or for environmental issues or problems of resource restriction.>
(あらゆる国家の経済秩序は、長い年月をかけて作り上げられるものであり、伝統や習慣やその国のライフスタイルの影響を反映しているものだ。しかし、グローバリズムは、非経済的な価値や環境問題や資源の制約の問題などは考慮せずに発達してきた。)
<If we look back on the changes in Japanese society since the end of the Cold War, I believe it is no exaggeration to say that the global economy has damaged traditional economic activities and destroyed local communities>.
(冷戦終了後の日本社会における変化を振り返ると、グローバル経済が伝統的な経済活動にダメージを与え、地域コミュニティを破壊したといっても過言ではないと私は信じている。)
これが冒頭部分で、以下では「東アジアのコミュニティ」や「アジア共通通貨」などについて書かれている。
私はこの鳩山論文を読んで、はっきりいって恐怖を感じた。青臭い左翼の学生が書いたものであれば許されるだろうが、政権を獲り、首相になることが確実視されている人がこんな考えを持っているというのは、冗談では済まされない。
日本に住んでいて、民主党や鳩山代表のポジションにある程度なじんでいる私でさえ、驚き、恐怖すら感じる内容なのだから、日本の政治を知らず、コンテクストを共有していない外国人がこれを読んだら、どう思うだろうか。冒頭の記事によると、<日本政治に詳しい米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員>ですら、批判的なコメントを出している。別の元米政府関係者は<G7の首脳も誰一人として、彼の極端な論理に同意しないだろう。首相になったら、評論家のような考え方は変えるべきだ>と言っているとのことだが、これでもまだ同情的なコメントだと思う。
この鳩山論文は、単に次のリーダーの認識というだけでなく、今後の日本の政治・経済の行方を世界に暗示するという重要な役割を持っている。その内容がこれでは、「日本売り」「日本離れ」を生むのはもちろん、特にアメリカに対しては「日本への警戒」すら生み出しかねない。「無視」で済めばラッキーだろう。なぜこのタイミングで、ここまでアメリカを敵視する青臭い論文を出したのか、まったく理解できない。
鳩山氏の「友愛」というコンセプト自体は、いわば社訓みたいなものだから、「美しい日本」でも、「とてつもない日本」でも、別になんでもいい。重要なのは「実際に何をやるか」だ。もし今後の日本が、この鳩山論文の路線でそのまま進むならば、
1 市場をさらに強く規制する
2 貿易もさらに保護する
3 再分配もさらに強化する
というふうになるしかないだろう。いわば「友愛の強制」だ。もしこんなことをすれば、ただでさえ弱りきった日本経済は完全に壊滅し、国自体が滅んでもおかしくない。とてもじゃないが、「友愛」どころではない。
この鳩山論文からは、自由市場や資本主義に対する「疑念」が強く感じられる。それが日本をダメにしている、という論調だ。しかし、これは話がアベコベである。いまの日本があるのは、まさに自由市場や資本主義のおかげなのだ。最近の日本経済の停滞も、自由市場や資本主義が悪いのではなくて、むしろ規制が強すぎて、資源配分が最適化されていないからだ(日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」)。いまの日本の問題は、自由市場や資本主義が「足りない」ことなのだ。
規制好きな民主党の中でも、おそらく鳩山氏はとりわけ規制好きで、裏を返せばとりわけ経済オンチなのだろう。その経済オンチぶりを、この鳩山論文で世界にさらしてしまったわけだ。
池田信夫 blog - 鳩山氏の攻撃する間違った敵
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9c36b54c3df3aa4088c221de5a1039a8
<世界の有力誌が、ほとんど同じように鳩山氏の「市場原理主義」批判を嘲笑しているのは、偶然ではない。これから首相として国際舞台で演説することになる鳩山氏は知っておいたほうがいいと思うが、市場原理主義とかグローバリズムというのは、欧米では無知な左翼の使う言葉である。こういう言葉を使っているだけで、彼は世界の常識を知らない田舎者として無視されるだろう。そしてこれが日本の株式市場の主役である外人投資家の見方でもある>。
池田信夫氏がこう書いていたのは8/21だが、1週間ほどで、早速その通りになってしまった。今回は鳩山氏がみずから書いた論文なので、軽いコメントなどと違って、言い逃れの余地がない。その論文がこれほど左翼的な青臭い内容だというのは、まさに驚愕である。
私にとって、ほぼ全編にわたって違和感のあるこの鳩山論文だが、もっとも違和感があるのが、<the danger inherent within freedom>(「自由(Freedom)」に生来的に内包されている危険)というフレーズだ。これは「自由は危険だ」「自由は与えないほうがいい」というふうに私には読める。この鳩山氏の見方は、自由市場や資本主義に対する疑念に貫かれたこの論文の方向性とも一致する。危険なのはむしろ、自由を制約しようとする鳩山氏の考え方のほうだろう。
自由市場や資本主義は、もちろん万能ではないし、無制限でもない。それは最も自由を重視するリバタリアンですら認めている。「市場の失敗」は確実に存在するし、世界のすべてが市場化されているわけでもない。
しかしこの鳩山論文は、単に「市場には限界がある」「無制限な自由は認められない」といったあたり前のことを言っているのではない。自由市場や資本主義に対する基本的な疑念があり、そのために「市場を制限せよ」「自由を制約せよ」という「統制」への志向を感じさせる。いわば、日本を「友愛」の原理で「設計」しなおします、と宣言しているような感じなのだ。この考え方は、もはや社会主義に近いだろう。
私も「政権交代」自体は支持するのだが、この鳩山論文にあらわれた考え方はまったく支持できない。民主党は「小さな政府」を目指すのではなかったのか。鳩山氏も「小さな政府」を支持していたはずだが、市場規制強化・保護貿易強化・再分配強化といった方向は、まさに「大きな政府」以外の何ものでもない。
今回の鳩山論文はおそらく、その重みを自覚していない鳩山氏の「天然」キャラがそのまま出たもので、民主党内にも十分なチェック機能がなかった、というのが実情に近いのだろう。鳩山氏がこの論文のような左翼的な理想主義を持つのは自由だが、この認識が今後も変わらないのなら、国のリーダーには全くふさわしくない。いまの日本の課題は、何をおいても経済を立てなおすことであり、その意味でも、今回の鳩山論文は何重にもピントがズレている。
鳩山氏はおそらく、「いい人」なんだと思う。左翼的な理想主義者は、正義感の強い「いい人」であることが多い。しかし世の中は「いい人」ばかりではないし、「いい人」になりなさい、と強制することもできない。鳩山氏のような考え方の問題点は、「いい人」であることを制度化して、「強制」しようとすることだ。人の価値観はさまざまなのに、「いい」ものを「強制」してくる。まさにパターナリズムだ。しかし、「いい人」であることを「強制」しようとする人は、本当に「いい人」なんだろうか? 鳩山氏の「友愛」は、ここに根本的な矛盾がある。
「いい」ものを「強制」するという考え方の危険性に対して、鳩山氏だけでなく、日本人そのものがナイーブすぎるように思う。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉を、あらためて書いておきたい。
関連:
Everybody Gets What They Want - New Path for Japan(鳩山由紀夫の論説)
http://ngtn.blogspot.com/2009/08/new-path-for-japan.html
末尾のNGTNさんによるコメントも参照。ほぼ私の認識と同じだ。
池田信夫 blog - 「東アジア共同体」という幻想
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/909ac48bd69774e5bde4b47136ab6313
鳩山論文の外交面について、日本政治史的な観点から解説されている。
Observing Japan - Hatoyama in the New York Times
http://www.observingjapan.com/2009/08/hatoyama-in-new-york-times.html
日本政治に詳しいトバイアス・ハリスも厳しい評。「鳩山首相が民主党政権最大の弱点になるだろう」。
関連エントリ:
日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」
http://mojix.org/2009/08/29/nihon_no_mondai
「自民は不満、民主は不安」 一時的なバラマキではなく、真の経済成長をもたらす規制改革を
http://mojix.org/2009/08/24/jimin_minshu_goumon
どんなに素晴らしい価値観であっても、価値観の「強制」には反対する
http://mojix.org/2009/08/01/kachikan_kyousei
この歴史的な総選挙に世界じゅうが注目するなかで、民主党の鳩山代表がニューヨーク・タイムズに寄稿した論文「A New Path for Japan」が、波紋を呼んでいる。
asahi.com - 米紙に寄稿の「鳩山論文」相次ぎ批判 米国内の専門家ら(2009年8月29日3時8分)
http://www2.asahi.com/senkyo2009/news/TKY200908280447.html
<民主党の鳩山代表が27日付の米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)に寄稿した論文をめぐり、米国内に波紋が広がっている。「米国主導」の世界経済の体制を批判的にとらえ、アジア中心の経済・安全保障体制の構築を強調した内容が、米側の目には「現実的でない」と映るようだ。専門家らの間には日米関係の今後に懸念を抱くむきもある>。
<鳩山氏は論文のなかで、「冷戦後、日本は米国主導の市場原理主義、グローバリゼーションにさらされ、人間の尊厳が失われている」と指摘。自ら掲げる「友愛」の理念のもと、地域社会の再建や、東アジア地域での通貨統合と恒久的な安全保障の枠組みを作る考えを強調した>。
<これに対し、日本政治に詳しい米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員は27日、朝日新聞の取材に「グローバリゼーションは米国式の資本主義、との批判だが、これはG20における日本の役割にとって、何を意味するのか。民主党政権は国際通貨基金(IMF)体制の支援から離れて、他の体制を見いだすのか。経済再生の努力から優先順位を移すのか。米ドル体制の支援とは、別な立場をとるのだろうか」と疑問を投げかけた>。
<元米政府関係者は「オバマ政権は、(鳩山氏の)論文にある反グローバリゼーション、反アメリカ主義を相手にしないだろう。それだけでなく、この論文は、米政府内の日本担当者が『日本を対アジア政策の中心に据える』といい続けるのを難しくするし、G7の首脳も誰一人として、彼の極端な論理に同意しないだろう。首相になったら、評論家のような考え方は変えるべきだ」と批判した>。
その論文とは、次のものだ。
New York Times - A New Path for Japan (August 26, 2009) Yukio Hatoyama
http://www.nytimes.com/2009/08/27/opinion/27iht-edhatoyama.html
冒頭から、米国主導の市場原理主義的な資本主義を批判するという比較的強い調子のもので、それに対して鳩山氏の持論である「友愛」を説くものだ。
この鳩山論文を、NGTNさんが日本語に全訳している。
Everybody Gets What They Want - New Path for Japan(鳩山由紀夫の論説)
http://ngtn.blogspot.com/2009/08/new-path-for-japan.html
この論文から、冒頭の数パラグラフを抜き出してみよう(英語は原文、カッコ内の日本語はNGTNさんのもの)。
<In the post-Cold War period, Japan has been continually buffeted by the winds of market fundamentalism in a U.S.-led movement that is more usually called globalization. In the fundamentalist pursuit of capitalism people are treated not as an end but as a means. Consequently, human dignity is lost>.
(冷戦後の時代において、より一般的にはグローバリゼーションと呼ばれる米国主導の動きにおける市場原理主義の風によって、日本は絶えず打ちのめされてきた。原理主義者による資本主義の追求においては、人々は目的としてではなく手段として扱われる。結果として、人間の尊厳は失われる。)
<How can we put an end to unrestrained market fundamentalism and financial capitalism, that are void of morals or moderation, in order to protect the finances and livelihoods of our citizens? That is the issue we are now facing>.
(どのようにすれば我々は、市民の暮らしと家計を守るために、無制限の市場原理主義と金融資本主義-それらはモラルと節度が欠如したものなのだが-を終わらせることができるのだろうか? それは我々が現在直面している問題だ。)
<In these times, we must return to the idea of fraternity — as in the French slogan “liberté, égalité, fraternité” — as a force for moderating the danger inherent within freedom.>
(今日、「自由(Freedom)」に生来的に内包されている危険を和らげる力として、我々は友愛の考えに戻らなければならない。フランスのスローガンである「自由、平等、博愛」のように。)
<Fraternity as I mean it can be described as a principle that aims to adjust to the excesses of the current globalized brand of capitalism and accommodate the local economic practices that have been fostered through our traditions.>
(私の言う友愛とは、現在のグローバル化している資本主義ブランドの行き過ぎに適応し、我々の伝統を通じて育まれたローカルの経済の慣習に適合することを目的とした原則であると説明される。)
<The recent economic crisis resulted from a way of thinking based on the idea that American-style free-market economics represents a universal and ideal economic order, and that all countries should modify the traditions and regulations governing their economies in line with global (or rather American) standards>.
(アメリカ式の自由市場経済が普遍的で理想的な経済秩序を表し、全ての国々は自分たちの経済を統治している慣習と規制を、グローバルな(もっといえばアメリカ的な)基準に合わせて変更しなければならないという考え方こそが、最近の経済危機を引き起こした。)
<In Japan, opinion was divided on how far the trend toward globalization should go. Some advocated the active embrace of globalism and leaving everything up to the dictates of the market. Others favored a more reticent approach, believing that efforts should be made to expand the social safety net and protect our traditional economic activities. Since the administration of Prime Minister Junichiro Koizumi (2001-2006), the Liberal Democratic Party has stressed the former, while we in the Democratic Party of Japan have tended toward the latter position>.
(日本においては、グローバリゼーションにどれくらい向かうべきか意見は分かれていた。ある者は、グローバリズムの積極的な採用と、すべてをマーケットの命令にまかせることを主張した。他の者は、社会的なセーフティネットを拡大し我々の伝統的な経済活動を守るために努力されるべきだと信じて、もっと控えめなアプローチに賛同した。2001年から2006年の小泉政権以来、自民党は前者を強調してきた。一方で我々民主党は、後者のポジションを取ってきた。)
<The economic order in any country is built up over long years and reflects the influence of traditions, habits and national lifestyles. But globalism has progressed without any regard for non-economic values, or for environmental issues or problems of resource restriction.>
(あらゆる国家の経済秩序は、長い年月をかけて作り上げられるものであり、伝統や習慣やその国のライフスタイルの影響を反映しているものだ。しかし、グローバリズムは、非経済的な価値や環境問題や資源の制約の問題などは考慮せずに発達してきた。)
<If we look back on the changes in Japanese society since the end of the Cold War, I believe it is no exaggeration to say that the global economy has damaged traditional economic activities and destroyed local communities>.
(冷戦終了後の日本社会における変化を振り返ると、グローバル経済が伝統的な経済活動にダメージを与え、地域コミュニティを破壊したといっても過言ではないと私は信じている。)
これが冒頭部分で、以下では「東アジアのコミュニティ」や「アジア共通通貨」などについて書かれている。
私はこの鳩山論文を読んで、はっきりいって恐怖を感じた。青臭い左翼の学生が書いたものであれば許されるだろうが、政権を獲り、首相になることが確実視されている人がこんな考えを持っているというのは、冗談では済まされない。
日本に住んでいて、民主党や鳩山代表のポジションにある程度なじんでいる私でさえ、驚き、恐怖すら感じる内容なのだから、日本の政治を知らず、コンテクストを共有していない外国人がこれを読んだら、どう思うだろうか。冒頭の記事によると、<日本政治に詳しい米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員>ですら、批判的なコメントを出している。別の元米政府関係者は<G7の首脳も誰一人として、彼の極端な論理に同意しないだろう。首相になったら、評論家のような考え方は変えるべきだ>と言っているとのことだが、これでもまだ同情的なコメントだと思う。
この鳩山論文は、単に次のリーダーの認識というだけでなく、今後の日本の政治・経済の行方を世界に暗示するという重要な役割を持っている。その内容がこれでは、「日本売り」「日本離れ」を生むのはもちろん、特にアメリカに対しては「日本への警戒」すら生み出しかねない。「無視」で済めばラッキーだろう。なぜこのタイミングで、ここまでアメリカを敵視する青臭い論文を出したのか、まったく理解できない。
鳩山氏の「友愛」というコンセプト自体は、いわば社訓みたいなものだから、「美しい日本」でも、「とてつもない日本」でも、別になんでもいい。重要なのは「実際に何をやるか」だ。もし今後の日本が、この鳩山論文の路線でそのまま進むならば、
1 市場をさらに強く規制する
2 貿易もさらに保護する
3 再分配もさらに強化する
というふうになるしかないだろう。いわば「友愛の強制」だ。もしこんなことをすれば、ただでさえ弱りきった日本経済は完全に壊滅し、国自体が滅んでもおかしくない。とてもじゃないが、「友愛」どころではない。
この鳩山論文からは、自由市場や資本主義に対する「疑念」が強く感じられる。それが日本をダメにしている、という論調だ。しかし、これは話がアベコベである。いまの日本があるのは、まさに自由市場や資本主義のおかげなのだ。最近の日本経済の停滞も、自由市場や資本主義が悪いのではなくて、むしろ規制が強すぎて、資源配分が最適化されていないからだ(日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」)。いまの日本の問題は、自由市場や資本主義が「足りない」ことなのだ。
規制好きな民主党の中でも、おそらく鳩山氏はとりわけ規制好きで、裏を返せばとりわけ経済オンチなのだろう。その経済オンチぶりを、この鳩山論文で世界にさらしてしまったわけだ。
池田信夫 blog - 鳩山氏の攻撃する間違った敵
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9c36b54c3df3aa4088c221de5a1039a8
<世界の有力誌が、ほとんど同じように鳩山氏の「市場原理主義」批判を嘲笑しているのは、偶然ではない。これから首相として国際舞台で演説することになる鳩山氏は知っておいたほうがいいと思うが、市場原理主義とかグローバリズムというのは、欧米では無知な左翼の使う言葉である。こういう言葉を使っているだけで、彼は世界の常識を知らない田舎者として無視されるだろう。そしてこれが日本の株式市場の主役である外人投資家の見方でもある>。
池田信夫氏がこう書いていたのは8/21だが、1週間ほどで、早速その通りになってしまった。今回は鳩山氏がみずから書いた論文なので、軽いコメントなどと違って、言い逃れの余地がない。その論文がこれほど左翼的な青臭い内容だというのは、まさに驚愕である。
私にとって、ほぼ全編にわたって違和感のあるこの鳩山論文だが、もっとも違和感があるのが、<the danger inherent within freedom>(「自由(Freedom)」に生来的に内包されている危険)というフレーズだ。これは「自由は危険だ」「自由は与えないほうがいい」というふうに私には読める。この鳩山氏の見方は、自由市場や資本主義に対する疑念に貫かれたこの論文の方向性とも一致する。危険なのはむしろ、自由を制約しようとする鳩山氏の考え方のほうだろう。
自由市場や資本主義は、もちろん万能ではないし、無制限でもない。それは最も自由を重視するリバタリアンですら認めている。「市場の失敗」は確実に存在するし、世界のすべてが市場化されているわけでもない。
しかしこの鳩山論文は、単に「市場には限界がある」「無制限な自由は認められない」といったあたり前のことを言っているのではない。自由市場や資本主義に対する基本的な疑念があり、そのために「市場を制限せよ」「自由を制約せよ」という「統制」への志向を感じさせる。いわば、日本を「友愛」の原理で「設計」しなおします、と宣言しているような感じなのだ。この考え方は、もはや社会主義に近いだろう。
私も「政権交代」自体は支持するのだが、この鳩山論文にあらわれた考え方はまったく支持できない。民主党は「小さな政府」を目指すのではなかったのか。鳩山氏も「小さな政府」を支持していたはずだが、市場規制強化・保護貿易強化・再分配強化といった方向は、まさに「大きな政府」以外の何ものでもない。
今回の鳩山論文はおそらく、その重みを自覚していない鳩山氏の「天然」キャラがそのまま出たもので、民主党内にも十分なチェック機能がなかった、というのが実情に近いのだろう。鳩山氏がこの論文のような左翼的な理想主義を持つのは自由だが、この認識が今後も変わらないのなら、国のリーダーには全くふさわしくない。いまの日本の課題は、何をおいても経済を立てなおすことであり、その意味でも、今回の鳩山論文は何重にもピントがズレている。
鳩山氏はおそらく、「いい人」なんだと思う。左翼的な理想主義者は、正義感の強い「いい人」であることが多い。しかし世の中は「いい人」ばかりではないし、「いい人」になりなさい、と強制することもできない。鳩山氏のような考え方の問題点は、「いい人」であることを制度化して、「強制」しようとすることだ。人の価値観はさまざまなのに、「いい」ものを「強制」してくる。まさにパターナリズムだ。しかし、「いい人」であることを「強制」しようとする人は、本当に「いい人」なんだろうか? 鳩山氏の「友愛」は、ここに根本的な矛盾がある。
「いい」ものを「強制」するという考え方の危険性に対して、鳩山氏だけでなく、日本人そのものがナイーブすぎるように思う。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉を、あらためて書いておきたい。
関連:
Everybody Gets What They Want - New Path for Japan(鳩山由紀夫の論説)
http://ngtn.blogspot.com/2009/08/new-path-for-japan.html
末尾のNGTNさんによるコメントも参照。ほぼ私の認識と同じだ。
池田信夫 blog - 「東アジア共同体」という幻想
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/909ac48bd69774e5bde4b47136ab6313
鳩山論文の外交面について、日本政治史的な観点から解説されている。
Observing Japan - Hatoyama in the New York Times
http://www.observingjapan.com/2009/08/hatoyama-in-new-york-times.html
日本政治に詳しいトバイアス・ハリスも厳しい評。「鳩山首相が民主党政権最大の弱点になるだろう」。
関連エントリ:
日本の問題は「市場の失敗」でなく「政府の失敗」
http://mojix.org/2009/08/29/nihon_no_mondai
「自民は不満、民主は不安」 一時的なバラマキではなく、真の経済成長をもたらす規制改革を
http://mojix.org/2009/08/24/jimin_minshu_goumon
どんなに素晴らしい価値観であっても、価値観の「強制」には反対する
http://mojix.org/2009/08/01/kachikan_kyousei