リチャード・カッツ「反成長的な慣行を社会的なセーフティネットと所得配分政策に置き換えよ」
東洋経済オンライン - 「子ども手当」論争から日本の病巣が見える――リチャード・カッツ
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/2dac33e8d3e3e67c27eaba7a5219d1a4/
これはいい記事。いまの日本の何が問題なのか、核心部分を指摘している。
<今まで日本は“福祉国家”というよりも“福祉社会”であった。多くの給付は政府ではなく、企業によって与えられてきた。医療保険も年金も失業保険も、勤務する企業の規模と勤続年数で決まっている。それが政府に対する圧力となって、経営体質の脆弱な企業を存続させてきた。また経済成長を高めるために必要な労働市場の弾力性を低下させてきた>。
<さらに悪いことに、所得再配分や雇用保護などの社会政策が暗黙のうちに行われてきたため、経済成長が阻害されてきた>。
<たとえば、食糧輸入や農地売却をさまざまな形で規制することで食糧価格が上昇し、農家が保護されてきた。消費者の払うコストは農家に支払われる給付額をはるかに上回っており、GDPの大きな損失を招いていた。加えて、農家の過剰な保護が、農家と都市住民の対立を先鋭化させることになり、社会的な連帯感を損なってきた>。
<これらの問題の解決策は、農家に所得補償を与える一方、自由な価格競争を認めて食糧価格を引き下げ、農地売却を自由化することにより、小規模農家を大規模で効率的な農家に吸収させることである。農業に限らず、セメント企業と建設会社も反競争的な慣行によって高い価格を請求することができたし、超低金利により“ゾンビ”企業も救われた>。
<こうした事態に終止符を打つために、反成長的な慣行を社会的なセーフティネットと所得配分政策に置き換える必要がある。言い換えれば、そうした政策は国民全体を対象にし、必要な資金は税金で調達しなければならない。だが、反競争的な制度と慣行が何十年にもわたって維持された結果、国民は改革に対して敵意と不信感を抱くようになっているのである>。
まったく同感だ。日本では「反成長的な慣行」「反競争的な制度」によって市場取引を制約することが「弱者保護」や「格差是正」とカンチガイされており、これが経済成長・市場競争の足を引っぱっている。これが他方で既得権益を保護・強化しており、競争ではなく「身分」による弱者・格差を生み出している。競争よりもむしろ不条理でグロテスクな状況が生じており、これが労働や価値創出へのインセンティブを喪失させている。
弱者保護や格差是正は、市場取引を規制で制約するのではなく、「セーフティネット」「再分配」によっておこなうべきなのだ。
つまり、国は民間の市場取引に原則として介入すべきではなく、できるだけ市場原理に任せるべきなのだ。民間どうしの市場取引は、それがたとえ強者と弱者の取引であっても、互いの自由意思に基づいておこなわれる。互いにメリットがあって合意の上で取引するのだから、そこで国が出しゃばってきて規制で強者の手足を縛っても、取引が減って経済がしぼむだけなのだ。解雇規制や派遣規制で企業を縛れば縛るほど、雇用は出てこなくなり、よけい失業者が増える、というのがそのいい例である(他の例:「日本の賃貸住宅ではなぜ保証人を要求されるのか 「保護」がむしろ「弱者」を生む日本の構造」)。
民間の市場取引は自由にさせて、経済を発展させると同時に、弱者救済は「セーフティネット」でおこない、格差是正は「再分配」によっておこなえばいい。民間の市場取引において「強者」を規制しても、取引量が減って経済がしぼむだけで、誰も幸せにならないのだ。サッチャーが言った「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません(The poor will not become rich, even if the rich are made poor.)」とは、このことを意味している。
関連エントリ:
「株主軽視」を国が強制する公開会社法 またしても「弱者を救済するために、強者を規制する」という「間違った正義」
http://mojix.org/2010/01/07/koukai_kaishahou
「派遣禁止なら正社員雇う」企業は14% 派遣禁止は「幸福が望ましいから不幸を禁止する」ようなもの
http://mojix.org/2009/12/09/haken_kinshi_seishain
八田達夫『ミクロ経済学』 終章「効率化政策と格差是正政策の両立」
http://mojix.org/2009/08/16/hatta_micro_kouritsu
解雇規制や、国による大会社の救済はなぜうまくいかないのか
http://mojix.org/2009/07/04/kaikokisei_kyuusai
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/2dac33e8d3e3e67c27eaba7a5219d1a4/
これはいい記事。いまの日本の何が問題なのか、核心部分を指摘している。
<今まで日本は“福祉国家”というよりも“福祉社会”であった。多くの給付は政府ではなく、企業によって与えられてきた。医療保険も年金も失業保険も、勤務する企業の規模と勤続年数で決まっている。それが政府に対する圧力となって、経営体質の脆弱な企業を存続させてきた。また経済成長を高めるために必要な労働市場の弾力性を低下させてきた>。
<さらに悪いことに、所得再配分や雇用保護などの社会政策が暗黙のうちに行われてきたため、経済成長が阻害されてきた>。
<たとえば、食糧輸入や農地売却をさまざまな形で規制することで食糧価格が上昇し、農家が保護されてきた。消費者の払うコストは農家に支払われる給付額をはるかに上回っており、GDPの大きな損失を招いていた。加えて、農家の過剰な保護が、農家と都市住民の対立を先鋭化させることになり、社会的な連帯感を損なってきた>。
<これらの問題の解決策は、農家に所得補償を与える一方、自由な価格競争を認めて食糧価格を引き下げ、農地売却を自由化することにより、小規模農家を大規模で効率的な農家に吸収させることである。農業に限らず、セメント企業と建設会社も反競争的な慣行によって高い価格を請求することができたし、超低金利により“ゾンビ”企業も救われた>。
<こうした事態に終止符を打つために、反成長的な慣行を社会的なセーフティネットと所得配分政策に置き換える必要がある。言い換えれば、そうした政策は国民全体を対象にし、必要な資金は税金で調達しなければならない。だが、反競争的な制度と慣行が何十年にもわたって維持された結果、国民は改革に対して敵意と不信感を抱くようになっているのである>。
まったく同感だ。日本では「反成長的な慣行」「反競争的な制度」によって市場取引を制約することが「弱者保護」や「格差是正」とカンチガイされており、これが経済成長・市場競争の足を引っぱっている。これが他方で既得権益を保護・強化しており、競争ではなく「身分」による弱者・格差を生み出している。競争よりもむしろ不条理でグロテスクな状況が生じており、これが労働や価値創出へのインセンティブを喪失させている。
弱者保護や格差是正は、市場取引を規制で制約するのではなく、「セーフティネット」「再分配」によっておこなうべきなのだ。
つまり、国は民間の市場取引に原則として介入すべきではなく、できるだけ市場原理に任せるべきなのだ。民間どうしの市場取引は、それがたとえ強者と弱者の取引であっても、互いの自由意思に基づいておこなわれる。互いにメリットがあって合意の上で取引するのだから、そこで国が出しゃばってきて規制で強者の手足を縛っても、取引が減って経済がしぼむだけなのだ。解雇規制や派遣規制で企業を縛れば縛るほど、雇用は出てこなくなり、よけい失業者が増える、というのがそのいい例である(他の例:「日本の賃貸住宅ではなぜ保証人を要求されるのか 「保護」がむしろ「弱者」を生む日本の構造」)。
民間の市場取引は自由にさせて、経済を発展させると同時に、弱者救済は「セーフティネット」でおこない、格差是正は「再分配」によっておこなえばいい。民間の市場取引において「強者」を規制しても、取引量が減って経済がしぼむだけで、誰も幸せにならないのだ。サッチャーが言った「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません(The poor will not become rich, even if the rich are made poor.)」とは、このことを意味している。
関連エントリ:
「株主軽視」を国が強制する公開会社法 またしても「弱者を救済するために、強者を規制する」という「間違った正義」
http://mojix.org/2010/01/07/koukai_kaishahou
「派遣禁止なら正社員雇う」企業は14% 派遣禁止は「幸福が望ましいから不幸を禁止する」ようなもの
http://mojix.org/2009/12/09/haken_kinshi_seishain
八田達夫『ミクロ経済学』 終章「効率化政策と格差是正政策の両立」
http://mojix.org/2009/08/16/hatta_micro_kouritsu
解雇規制や、国による大会社の救済はなぜうまくいかないのか
http://mojix.org/2009/07/04/kaikokisei_kyuusai